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宮之上貴昭執筆による長期連載


by ymweb
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母が寝床から起き出して、帰った父を迎えているようだ。
おそらくつまみやビールを出しているのだろう。

その時、「おい、何時だと思っているんだ!」
部屋の外から私に向かって低い声が聞こえた。

父は口数の少ない人でしたが、大柄で力が強く、
私が2つの腕を使っても腕相撲に勝てませんでした。
また大の釣り好きで、誰に自慢したいのか、玄関には大きくて立派な釣竿が
これ見よがしに飾ってありました。
しばしば私をバイクの後ろに乗せて、いろいろな場所に釣りに連れて行きました。
私はそんな父を尊敬していましたし、大好きでした。
しかし今は、疲れて帰る父よりギターに夢中ですから、
無視して練習を続けていました。

すると母が
「よしあき、いい加減にしなさい、お父さん怒っているわよ!」
「うるせーな!」
かまわず弾き続けていると、しばらくしてまた母が
「お父さんうるさくて寝れないって。」

それでも気にせずに練習を続けていると、部屋のドアがいきなり開きました。
バリーン!!
目の前に仁王立ちした父。
飛んできたのは鉄の灰皿でした。

灰皿はギターのすぐ横のふすまにぶち当たりました。
危ない!!
もう少しで私かギターに当るところでした。

「いい加減にしろ!それで食っていくわけじゃあるまいし!」

はっきり言って父は恐いです。
ここは素直に練習をやめて、明日の朝早くから練習することにしました。

三日に一度帰る「父の日」のための、良い練習方法を考え付きました。
何しろ団地住まいですから、練習は他の部屋まで音は筒抜け。
そこで部屋の押入れに入り、さらに弦の下のほうにタオルを巻いて練習します。
暗いので電球を設置しました。
ポコポコとギター本来の音色は得られませんが、これで防音対策は十分です。
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こうして昼も夜も楽しく練習をする毎日が続きました。

そんなある日、兄が家にやって来ました。
父より5歳年上の母が、兄を連れ子で結婚したため、
私の父と兄は13歳しか違わず、私と兄も12歳違いです。

父は本来なら連れ子の兄の方にケアを十分して育てるべきでした。
しかし実の子供の私に対してのみ愛情を育みました。
この境遇が兄の性格を変化させる元凶だったのかもしれません。
ボクシングや空手など、喧嘩にすぐさま対応できる格闘系にはまり、
しばしば睡眠薬を常用して朦朧となり、ロレツが回らないこともありました。
ですから、いくらギターをくれたとはいえ、私はそんな兄を嫌っていました。

私の3歳年下の実の弟はというと、実は生まれながらにして身体障害者、
つまり「知恵遅れ」でした。
このような境遇のためか、兄弟はいるものの一人っ子のような、長男のような、
今日に至る私の独特な性格が築かれたのかもしれません。

そんな中、兄とちょっとした事で口論となりました。

さらなる大事件はこの直後に起きます。
# by ymweb | 2007-03-29 18:26 | じゃずぎたりすと物語
部屋のテーブルの上には昨日の宿題のやり残し。
そんなことなど全く気にしないで、起き抜けに先ずギターを手に取る。
その音を聴いてか、母が「よしあき、ご飯よ~~」と台所で叫んでいるけど
「ん?ご飯? いらな~い!」
ギターによって脳内モルヒネが注入されている今の私にとって、
朝ごはんなど食べてる暇などない。
昨日弾けなくって悔しかったフレーズを黙々弾いていると、
遠くでチャイムの音。
♪ ピ~ンポ~ン~パ~ンポ~ン ♪ ポ~ンパ~ン~ピ~ンポ~ン♪ ピ~ン~
あわてて、かばんに教材を詰め込んで、というか、ほとんど昨日のままのかばんを持って玄関を飛び出す。
そう、私の通う日野二中は道路を1本隔てた目の前にありました。

幼い頃から運動能力に長けていた私は、短距離リレーの選手で、
小学校最後の運動会では赤組代表選手となり、優勝旗も手にしました。
そんな私ですから、始業のチャイムが鳴り始めてから鳴り終わるまでに教室に入って着席しています。少しハーハーしていますが。

そんな運動能力を買われて、中学進学と同時に、いろいろなクラブ活動からの勧誘がありました。
陸上部からはもちろん、体操部やテニス部など。。。
当時も性格は現在と全く同じで、疲れることをするのが嫌いなため、ことごとくそれらの入部を断りました。
でも音楽に携わりたいという気持ちから、何を血迷ったのか「ブラスバンド部」に入部しました。

手渡されたて吹くように命じられた楽器はホルン。
うあ~。。。なんぢゃこれ!? 貝みたいな楽器だな。。。

少し吹いてみると、音は出るようになりました。
しかし私は譜面が全く読めません。
それで先生に、どこをどのように吹くか教えてもらったところ、
「ンパ ンパ ンパ ンパパ  パッ パッ ンパパ」
おいおい!! 1歳児が初めて口にする言葉ぢゃあるまいし、嫌だよ~~~

というわけで、私のブラスバンド入部は2回の出席を持ちまして自主退部となりました。

その後も私は相変わらず「チャイムダッシュ」で家を出て、
終了の「チャイムダッシュ」で誰よりも早く部屋に帰る、そんな生活が続きました。
ギターを弾く以外に楽しみはな~んにもありませんでした。
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父は私が物心ついた頃から運転手を職業としていました。
チャップリンやスーザン・ヘイワードらの映画でお馴染みの
RKO映画の専属運転手もしていたことがあります。
家には自家用として〈ダッジ〉があって、父はそれを乗り回していましたから、
結構羽振りは良かったのかもしれません。

その後に「国際自動車株式会社」、現在の「Kmモータース」でしょうか?
転職して、ここでも高級外車のハイヤーの運転手をしていました。

そんな父は仕事柄、おおよそ2日泊まりで働いて帰るという不規則なパターンでした。
疲れている様子で、深夜に帰ると決まって機嫌が悪かった。
音楽には関心も興味も理解も全く示さない人でした。

そんなある晩遅く、私が部屋でギターを弾いていると、父が仕事から帰ってきました。
事件はここから始まります。
# by ymweb | 2007-03-23 17:55 | じゃずぎたりすと物語
朝起きると、部屋にはギターが置いてある。

チョウチョの模様はいかさないけど、小振りで、
初めて触るギターとしては向いているのかもしれない。

ド  レ  ミ ファ ソ ラ シ ド ド シラ ソファ ミレド ドレミ ファ ソラシド ド シラソ ファミレド ドレミファ ソラシド ドシラ ソファミ レド ドレミファ ソラシド ドシラソファミレド ドレミファ

学校に行く前に早速練習を始める。

これはきっと私の性格なのだろう、練習方法はとにかくしつこい。
右手の親指はすでに赤く腫れてきているし、左指には弦の跡がくっきり。
指は痛いけど、でも何だか楽しい。

「よしあき!ご飯食べる時くらいギター置きなさいよ!」
母の小言も無視して、箸を持ったままギターを抱えて、爪弾いてはご飯を一口。

ご存知の通り、ギターはピアノと違って、タッチしただけでは音が出ません。
意図する音を出そうとする場合、左指で「ド」なら「ド」のポジションを押さえて、
右指で左指の押さえた弦を正確にヒットする必要があります。
これがなかなか難しくて、押さえている隣の弦を弾いてしまいます。
もどかしいながらも、時々きれいに弦をヒットできて、早いパッセージで「ドレミファソラシド~~」と弾けた時は何だか嬉しくて、その感触が病み付きになっていきました。
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私は小学校を3箇所変わっています。
小学校入学当時、自宅は世田谷区桜新町にあったので、「桜町小学校」で1年の2学期までそこで過ごしましたが、その後、家族は日野市多摩平の公団に転居することになって、「日野市立第五小学校」に編入しました。
当時は全国的にマンモス団地の建設ラッシュで、日野市もその影響で急激に人工が増えて、小学校を新たに設立する必要がありました。
第五小学校「分校」という形で、新たに建設された別の場所にある学校でしばし学び、
その第五小学校分校は後に独立して「第六小学校」となりました。
私はその小学校の「第一回卒業生」ということになります。

こうして小学校の時に編入や、クラス替えがしばしば行われたせいか、
親しい友だちは出来ず、まっすぐ家に帰ってギターに触ることが何よりも楽しみでした。
もちろん独学で譜面も全く読めませんでしたが、小学校を卒業する頃になると、
たいていの曲は耳で聴いたメロディを追っかけて単音で弾くことができるようになりました。
# by ymweb | 2007-03-21 17:53 | じゃずぎたりすと物語
手渡されたギターは小振りで、ボディには貝殻のようなもので蝶の模様が入っていました。

この日生まれて初めてギターという楽器に触りました。

すると兄は「いいか、ここがドで何も押さえないのがレ、ミは・・・
教えてもらうのはいいけど、すでに指は痛いし、弦の跡がくっきりと付いている。
(き、きつい楽器だな。。。ギターって。。。)

兄の演奏する曲は演歌が中心なので、奏法も古賀正男そのものだった。
「貴昭、右手はな、細い方から3本の弦にそれぞれ薬指、中指、人差し指と当てて、
太い方の弦は親指で弾くのが本当のやり方なんだ!」

音楽性の好みは別として、10歳、小学校5年生の私にとって、
ギターの弾き方は兄を通してでしか知らないので、その教えは絶対でした。

確かにこの奏法は〈影を慕いて〉とか〈酒は涙か溜息か〉など、古賀メロディには最適だ。

実はギターを指で奏でるこの奏法こそが、ピックで演奏されることの多いジャズギターにあって、
私のギター演奏に大きく影響を与える奏法となっていきます。

夜も遅くなってきたので「じゃそろそろ僕帰るね」と立ち上がると、
兄が「貴昭!このギター持ってけ、お前にやるよ!」
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まさかくれるとは思っていなかったのでとても嬉しかった。

「このギターは三軒茶屋で1.500円も出して買ったんだぞ!!」
この恩着せがましい性格は少し私に似ています。(笑)

もらったギターを大切に脇に抱えて家路を急ぎました。スキップして。
# by ymweb | 2007-03-13 17:51 | じゃずぎたりすと物語

1 〈出会い〉

小学校5年生。
家には小さなおもちゃのピアノがあった。
左手でド・ソ・ミ・ソ・ド・ソ・ミ・ソと弾きながら右手でメロディを奏でる。
これって両手が別々のことをするのだから最初は難しいけど、
少し慣れてくると弾けるようになった。
何でもキーがCの単純な曲であれば左手でド・ソ・ミ・ソ~と弾いて楽しむことが出来た。
またFとGの、いわゆる3コードを左手で弾いてメロディーを奏でることが出来るようになった。

楽しい~~~ 何てサウンドする楽器だろう。。。
本物のピアノが欲しい!!
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親に「ねえ、お願いがあるんだけど、ピアノ買って~~」と駄々をこねたけど、
おそらく中流階級の下あたりに属する私の家ではそんな余裕などありません。
「何を馬鹿なことを言ってるんだ!」と一言。
当時、ピアノが置いてある家なんて相当の金持ちだった。
実際に、当時でもピアノの値段はアップライトで2.30万はしたと思う。

そうだ、クラスの諸藤君の家にピアノがあった。
遊びに行って弾かせてもらおう!

学校帰りに彼の家に上がりこみ、遊ぶこともなく、
出されたお菓子や飲み物にも手をつけずに、勝手に何時間もピアノに触っていた。
こうしてしばしばお邪魔して夕食時まで居座っていたのだから、
今考えてみれば諸藤君の家はかなり迷惑だったことだろう。

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私には父親が違う兄がいます。
母は父より5歳年上のため、その兄は父と13歳しか違いません。
そして私とも12歳離れています。
父親とあまり仲が良くないし、私とも歳が離れているのでほとんど交流がありませんでした。

兄は、家から歩いて10分のところにアパートを借りていました。
そこに呼ばれて遊びに行った時のことです。
兄はギターをポロポロと爪弾いています。
古賀正男メロディでしょうか、何しろ「ド演歌」で、弾く曲全てがマイナー調の曲です。
(うあ~~ ギターって暗い楽器だな。。。)

すると突然兄が、「貴昭、教えてやるから弾いてみるか?」
# by ymweb | 2007-03-10 18:00 | じゃずぎたりすと物語