宮之上貴昭執筆による長期連載


by ymweb
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父の実家、上馬のお婆ちゃんの家に行き、「玉電」乗って2つ目、
今は「サンチャ」と言うらしい三軒茶屋に到着。

この「玉電」、正確には「東急玉川電鉄」とか何とか言うらしいですが、
みんな「たまでん」と発音しています。

当時は渋谷と二子玉川を結んでいる路面電車でしたが、
現在ではその部分のほとんどは地下に潜り、路線をはるかに延長して、
神奈川県大和市の中央林間まで走る「東急田園都市線」となっています。
起点はもはや渋谷ではなく、
墨田区押上あたりまで延びているそうですから驚きですね。

「玉電」は木造の車両がほとんどでしたが、
時たま「新車」と銘打った丸っこい車両がありました。
この新車も、道路を往来する車やバイクなどに混じって走るわけですが、
これに乗る時は少し「未来っぽく」て?子供心に胸がときめきました。
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さて三軒茶屋に到着すると、早速楽器や巡りです。
当時も三軒茶屋は人が多く、賑わっていました。

ギターが飾ってあるお店を数軒覗いたりしましたが、
どんなギターを買ったら良いのかさっぱり解かりませんでした。
どのお店もクラシックギターやフォークギターが所狭しに並んでいますが、
目安は「見た目と値段」しかありません。
こう見えても、子供の頃からわりと良識派だったのか、
お婆ちゃんに高額な出費をさせることに戸惑いもありました。
その時、目の前に「ミドリヤ」がありました。

当時「ミドリヤ」といえば、「丸井」と並んで、
ローンでの買い物をいち早く世間にアピールした大手会社の一つです。
この中にある楽器店には、ギターの品数が豊富に揃っていました。
それでこの店で選ぶことにしました。

音色や弾き易さなどは二の次でした。
見た目で選んで手にして、音を出してみるわけでもなく、
値段の付けられた正札を見せてお婆ちゃんの顔色を伺いました。

中段の右に飾ってあるギターに目が留まりました。
¥8.500の正札の付いているフォークギターです。
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「これでいい」
手にしたものの、実際に弾いて音を出して確認するわけでもない私に、
「いいのかいこれで??」
念を押すお婆ちゃん。

おそらく頭金¥1.500を払って、残金の¥7.000を
¥1.000ずつ7回払いにしたのだろうと子供心に勝手に計算して、
お婆ちゃんに心から感謝しました。

さて帰り道は来た時よりルンルンです。

家に帰って早速弾いてみることにしました。
しかし。。。指が!!!
せっかくお婆ちゃんに買ってもらったギターでしたが、
試練に直面する大きな問題が起こりました。
# by ymweb | 2007-04-10 18:37 | じゃずぎたりすと物語

執筆中記

〈じゃずぎたりすと物語〉

お陰さまで大勢の方に好評をいただいていますが、
一部の人から「そこまで明かしていいの?」という声もあります。

確かに過去のプライベートなことまで書き過ぎの感がありますが、
これも現在の〈ギャグギタリスト〉に至る経緯ですので、
今後もありのまま、心のままに書いていきたいと思います。

今後とも宜しくお願いします。
# by ymweb | 2007-04-09 18:33 | じゃずぎたりすと物語

6 〈ギターが!!〉

「おふくろ、金貸してくれよ」

そう、兄はお金の無心に来ていたのです。

私はしばしばこの光景を目にしていました。

考えてみれば、当時兄は24、5歳で一人暮らしでした。

日払いのダンプの運転手などをしていたようですけど、
生活は安定しているとは思えません。
しかし幼い頭ではその状況など理解することが出来ませんし、
大好きな父が、そうした兄の行動にいつも批判的だったので、
私の考えも父の見方に影響されて兄を嫌うようになったのかもしれません。

兄の発する言葉に私がいちいち揚げ足を取ったのでしょう。
「よしあき!この野郎!!」 兄は突然キレました。

私の胸ぐらをつかんで押し倒し、部屋に立て掛けてあったギターのほうに向かい、
弦を思いっきり引っ張って、全ての弦を切ってしまいました。

ギターが、大切にしていたギターが。。。。

いくら兄からもらったとはいえ、これほど悔しいことはありません。

さんざん母と口論の末、兄は出て行きました。

母は泣いている私を見て憐れに思い、
「よしあき、大切なギター壊れちゃったね。。。」
「そうだ、上馬のお婆ちゃんに相談してみようね。」
「お婆ちゃんだったらよしあきを可愛がっているから、
訳を話せば新しいギターを買ってくれるかもしれないよ」

早速お婆ちゃんに電話をかけてくれました。上馬の。

でも、ちょっと待ってください。

考えてみればギター自体は壊れていませんから、
弦を取り替えるだけでよかったのではないでしょうか?

そう、1セット買うだけで済んだはずですね。

幼い頭では「弦が切れたらギターという楽器は終わり」なのでしょう。
母もそう考えていたのでしょうか。。。

そういえば、もらってから一度も弦は交換していませんでした。

とにかく上馬のお婆ちゃんのOKが出たそうで、
週末にはお婆ちゃんと三軒茶屋に行って、
新しいギターを買ってもらうことになりました。

もう気分は一転、ルンルンです。
# by ymweb | 2007-04-07 18:31 | じゃずぎたりすと物語
母が寝床から起き出して、帰った父を迎えているようだ。
おそらくつまみやビールを出しているのだろう。

その時、「おい、何時だと思っているんだ!」
部屋の外から私に向かって低い声が聞こえた。

父は口数の少ない人でしたが、大柄で力が強く、
私が2つの腕を使っても腕相撲に勝てませんでした。
また大の釣り好きで、誰に自慢したいのか、玄関には大きくて立派な釣竿が
これ見よがしに飾ってありました。
しばしば私をバイクの後ろに乗せて、いろいろな場所に釣りに連れて行きました。
私はそんな父を尊敬していましたし、大好きでした。
しかし今は、疲れて帰る父よりギターに夢中ですから、
無視して練習を続けていました。

すると母が
「よしあき、いい加減にしなさい、お父さん怒っているわよ!」
「うるせーな!」
かまわず弾き続けていると、しばらくしてまた母が
「お父さんうるさくて寝れないって。」

それでも気にせずに練習を続けていると、部屋のドアがいきなり開きました。
バリーン!!
目の前に仁王立ちした父。
飛んできたのは鉄の灰皿でした。

灰皿はギターのすぐ横のふすまにぶち当たりました。
危ない!!
もう少しで私かギターに当るところでした。

「いい加減にしろ!それで食っていくわけじゃあるまいし!」

はっきり言って父は恐いです。
ここは素直に練習をやめて、明日の朝早くから練習することにしました。

三日に一度帰る「父の日」のための、良い練習方法を考え付きました。
何しろ団地住まいですから、練習は他の部屋まで音は筒抜け。
そこで部屋の押入れに入り、さらに弦の下のほうにタオルを巻いて練習します。
暗いので電球を設置しました。
ポコポコとギター本来の音色は得られませんが、これで防音対策は十分です。
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こうして昼も夜も楽しく練習をする毎日が続きました。

そんなある日、兄が家にやって来ました。
父より5歳年上の母が、兄を連れ子で結婚したため、
私の父と兄は13歳しか違わず、私と兄も12歳違いです。

父は本来なら連れ子の兄の方にケアを十分して育てるべきでした。
しかし実の子供の私に対してのみ愛情を育みました。
この境遇が兄の性格を変化させる元凶だったのかもしれません。
ボクシングや空手など、喧嘩にすぐさま対応できる格闘系にはまり、
しばしば睡眠薬を常用して朦朧となり、ロレツが回らないこともありました。
ですから、いくらギターをくれたとはいえ、私はそんな兄を嫌っていました。

私の3歳年下の実の弟はというと、実は生まれながらにして身体障害者、
つまり「知恵遅れ」でした。
このような境遇のためか、兄弟はいるものの一人っ子のような、長男のような、
今日に至る私の独特な性格が築かれたのかもしれません。

そんな中、兄とちょっとした事で口論となりました。

さらなる大事件はこの直後に起きます。
# by ymweb | 2007-03-29 18:26 | じゃずぎたりすと物語
部屋のテーブルの上には昨日の宿題のやり残し。
そんなことなど全く気にしないで、起き抜けに先ずギターを手に取る。
その音を聴いてか、母が「よしあき、ご飯よ~~」と台所で叫んでいるけど
「ん?ご飯? いらな~い!」
ギターによって脳内モルヒネが注入されている今の私にとって、
朝ごはんなど食べてる暇などない。
昨日弾けなくって悔しかったフレーズを黙々弾いていると、
遠くでチャイムの音。
♪ ピ~ンポ~ン~パ~ンポ~ン ♪ ポ~ンパ~ン~ピ~ンポ~ン♪ ピ~ン~
あわてて、かばんに教材を詰め込んで、というか、ほとんど昨日のままのかばんを持って玄関を飛び出す。
そう、私の通う日野二中は道路を1本隔てた目の前にありました。

幼い頃から運動能力に長けていた私は、短距離リレーの選手で、
小学校最後の運動会では赤組代表選手となり、優勝旗も手にしました。
そんな私ですから、始業のチャイムが鳴り始めてから鳴り終わるまでに教室に入って着席しています。少しハーハーしていますが。

そんな運動能力を買われて、中学進学と同時に、いろいろなクラブ活動からの勧誘がありました。
陸上部からはもちろん、体操部やテニス部など。。。
当時も性格は現在と全く同じで、疲れることをするのが嫌いなため、ことごとくそれらの入部を断りました。
でも音楽に携わりたいという気持ちから、何を血迷ったのか「ブラスバンド部」に入部しました。

手渡されたて吹くように命じられた楽器はホルン。
うあ~。。。なんぢゃこれ!? 貝みたいな楽器だな。。。

少し吹いてみると、音は出るようになりました。
しかし私は譜面が全く読めません。
それで先生に、どこをどのように吹くか教えてもらったところ、
「ンパ ンパ ンパ ンパパ  パッ パッ ンパパ」
おいおい!! 1歳児が初めて口にする言葉ぢゃあるまいし、嫌だよ~~~

というわけで、私のブラスバンド入部は2回の出席を持ちまして自主退部となりました。

その後も私は相変わらず「チャイムダッシュ」で家を出て、
終了の「チャイムダッシュ」で誰よりも早く部屋に帰る、そんな生活が続きました。
ギターを弾く以外に楽しみはな~んにもありませんでした。
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父は私が物心ついた頃から運転手を職業としていました。
チャップリンやスーザン・ヘイワードらの映画でお馴染みの
RKO映画の専属運転手もしていたことがあります。
家には自家用として〈ダッジ〉があって、父はそれを乗り回していましたから、
結構羽振りは良かったのかもしれません。

その後に「国際自動車株式会社」、現在の「Kmモータース」でしょうか?
転職して、ここでも高級外車のハイヤーの運転手をしていました。

そんな父は仕事柄、おおよそ2日泊まりで働いて帰るという不規則なパターンでした。
疲れている様子で、深夜に帰ると決まって機嫌が悪かった。
音楽には関心も興味も理解も全く示さない人でした。

そんなある晩遅く、私が部屋でギターを弾いていると、父が仕事から帰ってきました。
事件はここから始まります。
# by ymweb | 2007-03-23 17:55 | じゃずぎたりすと物語