じゃずぎたりすと物語 38 〈初心者?!〉
2009年 01月 06日

電話口での田中さんの声は渋くて、明らかに年上であることを連想させます。
「実は私は大学生で、これからジャズピアノを始めたいと思ってるんですよ。」
私たちは全員が高校生で、毎週のように集って練習している旨を伝えると、
「私の家で練習出来るので、良かったら遊びに来ませんか?」とのこと。
話を聴くと、何と田中さんの家は武蔵境。
私の高校のすぐそばです。
早速みんなの予定を合わせてお邪魔することにしました。
駅から亜細亜大学方面に向かって歩くことおよそ10分。
閑静な住宅地にあって、瀟洒な佇まいを見せる一軒家が田中さんの家でした。
門のチャイムを押して出てきたのは、優しそうなお母さんらしき人でした。
怪しげな3人の男子高校生を満面の笑みで迎えて、「さあさ、入ってください」
玄関にはすでに田中さんとおぼしき人が立っていて
「こんにちは」と声をかけてくれました。
(うわっ、大人だ。。。)
早速ピアノのある部屋に通されると、田中さんは自己紹介を始めました。
現在大学3年生で、ジャズピアノを専門学校に通って学ばれていること、
そしてこの部屋を使っていた祖父が数ヶ月前に亡くなったこと、などなど。
年上なのにほんとうに謙虚で誠実な話し方の田中さんを、
わたしたちはすっかり気に入っていました。
「少し音を合わせてみましょうか?」
私の提案で久島はスティックとブラシをケースから取り出し、
雑誌をスネヤドラムに見立てて4ビートを刻み、
斎藤も持参したエレキベースをケースから出した。
「とりあえずブルースか何か一緒に演奏してみましょう!」
すると田中さんが、「ちょっ、ちょっと待ってください!」
「初心者なので無理です。」
「またまた~~!!」
「いいえ、本当に無理なんです!」
「またまた~~!!」
音楽を専門に学んでいるのだから弾けないはずがありません。
かなり上手なのに、直前まで自分のことを低めておいて演奏に入るとバリバリ弾き、
わたしたちにショックを与えるタイプだと思っていました。
かまわずギタートリオでFのブルースを始めました。
田中さんは指先が少し震えていましたが、音を出したとたん、
「ピニョー~~~ン」 「ポロロ ポロリン」
(わざとか?? わざとはずす作戦か。。。)
その後もわたしたちに合わせようと必死の様相ですが、
一つとしてはまる音とリズムがありません。
途中で演奏を止めて、
「キーが違っていましたか?」と訊ねると、
「いえ、本当にピアノもジャズも初心者なのです、すみません」
田中さんは本当に初心者だったのでした。
でもわたしたちはそんな謙虚な田中さんのことが大好きになりました。
私はいろいろな曲のコード進行やバッキングのタイミングなどを田中さんに教えつつ、
また斎藤康彦のベースラインも教えながら、毎週のように練習を繰り返していきました。
思い起こせば、私はこの時期にバンドのアンサンブル方法などの
大きな訓練を受けたのかもしれません。
※田中さんとは連絡が取れました。
現在は千葉県で公立学校の音楽の教員をされていて、
2009年3月に定年退職されるそうです。
梅雨になりました。
しばらくギターとジャズの世界から離れなくてはいけない季節がやって来ます。
そうです、自転車日本一週旅行の後半がやって来るのです。
つづく