じゃずぎたりすと物語 30 〈警察署〉
2008年 02月 08日
30 警察署
大型トラックは私のほんの30センチ右後ろで急ブレーキをかけて停止した。
あわてて左にハンドルを切りなおした私は縁石を乗り越えて転倒してしまった。
トラックの運転手は窓から顔を出し、「お~い、大丈夫か?」
車の接触したわけではないけど、倒れた勢いで、
ハンドルに固定されているバッグから荷物が歩道に散乱した。
運良くどこにも怪我はなさそうでした。
「だ、大丈夫です。。。」
こちらを確認するかのようにして運転手はそっと車を走り出させた。
大丈夫と言ったものの、雨の中で散乱した荷物を
歩道に這いつくばって拾っている自分がなんとも情けなく、
また涙が溢れてきました。
雨に濡れた地図を最後に拾い上げた時、
なんと、20メートルほど先に赤い光の電気の輝く建物を目にした。
そう、警察署だった。
この転倒事故を気付かなかったのか??
普通「こん棒」みたいなものを持って入り口の前に立っているだろ?
大きな警察署なのに雨のせいか外に警察官はいませんでした。
助けろよ。。。
少し腹が立ったまま警察署の中に入って、
どこか泊まれるところを紹介してもらおうと考えました。
事情を話したけど時間はすでに夜10時を過ぎていて、
適当な宿泊場所など見つかるはずもありません。
すると年配のお巡りさんが「あのベンチで寝てろ」
トイレの横のベンチを指差しました。
はっきり言ってベッドにしては背丈より短くて狭いし、
明るいし話し声もするので、
落ち着いて寝れそうにありませんでしたが、
事情が事情ですからやむを得ません。
結局どれほど眠れたのでしょうか、いつの間にか夜が明けていました。
疲れが取れたような気はしませんでしたが、雨風と寒さが凌げました。
この居心地のあまり良くない場所は早々に引き上げて、
早めに出発することにしました。
交通量が次第に増えてくると、自分が大阪の市街地に入ったことを示します。
久しぶりの都会ですが、交差点の信号で停まるたびに人々の視線が私に向けられるので
少し照れてしまいます。
ここから進路を東にとって古都・奈良を目指します。
見たことのある鹿のいる景色が広がりました。
シチュエーションこそまったく違うものの、
そう、中学校の時に修学旅行で来た奈良公園です。
観光客で賑わっていました。
ここから進路を北にとって京都を目指します。
京都ももちろん修学旅行のコースでした。
東京生まれの私にとって、京都とか奈良という場所は一種の憧れがあります。
しっとりしていて落ち着いた雰囲気というイメージです。
今夜は是非とも京都に宿泊して街を散策したいと考えました。
都会ではテントを張る場所を探すのが困難ということは理解していますから、
早めに着いて安宿を探すことにしました。
賑わう四条河原町から裏手に入って、安そうな旅館かホテルを探しました。
しかしさすがに京都。
どこの旅館もホテルも大仰な門構えで、いかにも「高い」感が溢れています。
そうこうしていると、麩屋町三条に質素な旅館を見つけました。
「炭屋旅館」と書いてあります。
ここだったら京都の街を散策するのには格好のロケーションです。
そんなに高そうではないし。。。。
玄関は綺麗に掃除が行き届いていて小ぢんまりしています。
「こんにちは~~」
女将さんらしき女性が出て来ました。
私の風体と自転車を見て
「旅行なさっているのですね?」
私は予算があまりないことを素直に伝えると、
「ではもし外国の方と相部屋でよろしければ、
素泊まりで1.500円でお泊まりください。」
この金額でも私にとっては大出費ですが、街の中に泊まりたかったことと、
外人さんと一緒というのも緊張感があって少し魅力を感じたので、
この旅館に宿泊することにしました。
※後から解ったのですが、この「炭屋旅館」は京都の老舗高級旅館でした。
現在は解りませんが、当時は外人旅行者用に同室で安く部屋を提供していました。
部屋に入って荷物を広げていると二人の外国の人が部屋に入ってきました。
緊張してしまいましたが、彼らの笑顔にこちらも笑顔でOKでしょう、きっと。
オハイオ州から来たと言っているような気がしました。
自転車は旅館に置いといて、京都の街を足で散策しました。
修学旅行の思い出は、ほとんど夜の「枕投げ」しか残っていませんが、
こうして京都に、自転車で九州から四国を回って来たことは感慨もひとしおです。
すごいなと、あらためて思いました。
満足のいくまで古都の空気を吸って部屋に戻り、お風呂に入ることにしました。
風呂はとてもいい匂いがしています。
驚きました、総ヒノキ造りの風呂でした。
風呂から上がると、先ほどの外人たちも部屋に戻っていて、
ガイドブックを見てくつろいでいました。
カタコトの英語で少しだけ話しましたが、
昨夜の警察署泊まりであまり眠れなかったので、すぐに眠くなりました。
彼らはまだ二人で話していましたが、私は自分の布団を引っ張り出して横になり、
「おやすみなさい」というつもりで、
何と「グッド・イブニング!」と言ってしまいました。
すかさず彼らは「オオッ、グッド・ナイト!」と言い返してきました。
壁側を向いて眠りに就くふりをする私の顔は、
この時赤くなっていたことを彼らは知りません。
京都まで来ましたが、このまま東海道を走って帰るわけではなく、
明日からは琵琶湖の東側を通って北陸に出て、福井から金沢、富山。
そして飛騨高山から北アルプスを越えて松本から甲州街道で帰路に着く、
まさに山あり谷ありのコースを選択してあります。
一日一日がまさに波乱万丈の自転車旅行記はまだまだ続きます。
つづく

写真 : 奈良の五重塔と愛車レッド号
大型トラックは私のほんの30センチ右後ろで急ブレーキをかけて停止した。
あわてて左にハンドルを切りなおした私は縁石を乗り越えて転倒してしまった。
トラックの運転手は窓から顔を出し、「お~い、大丈夫か?」
車の接触したわけではないけど、倒れた勢いで、
ハンドルに固定されているバッグから荷物が歩道に散乱した。
運良くどこにも怪我はなさそうでした。
「だ、大丈夫です。。。」
こちらを確認するかのようにして運転手はそっと車を走り出させた。
大丈夫と言ったものの、雨の中で散乱した荷物を
歩道に這いつくばって拾っている自分がなんとも情けなく、
また涙が溢れてきました。
雨に濡れた地図を最後に拾い上げた時、
なんと、20メートルほど先に赤い光の電気の輝く建物を目にした。
そう、警察署だった。
この転倒事故を気付かなかったのか??
普通「こん棒」みたいなものを持って入り口の前に立っているだろ?
大きな警察署なのに雨のせいか外に警察官はいませんでした。
助けろよ。。。
少し腹が立ったまま警察署の中に入って、
どこか泊まれるところを紹介してもらおうと考えました。
事情を話したけど時間はすでに夜10時を過ぎていて、
適当な宿泊場所など見つかるはずもありません。
すると年配のお巡りさんが「あのベンチで寝てろ」
トイレの横のベンチを指差しました。
はっきり言ってベッドにしては背丈より短くて狭いし、
明るいし話し声もするので、
落ち着いて寝れそうにありませんでしたが、
事情が事情ですからやむを得ません。
結局どれほど眠れたのでしょうか、いつの間にか夜が明けていました。
疲れが取れたような気はしませんでしたが、雨風と寒さが凌げました。
この居心地のあまり良くない場所は早々に引き上げて、
早めに出発することにしました。
交通量が次第に増えてくると、自分が大阪の市街地に入ったことを示します。
久しぶりの都会ですが、交差点の信号で停まるたびに人々の視線が私に向けられるので
少し照れてしまいます。
ここから進路を東にとって古都・奈良を目指します。
見たことのある鹿のいる景色が広がりました。
シチュエーションこそまったく違うものの、
そう、中学校の時に修学旅行で来た奈良公園です。
観光客で賑わっていました。
ここから進路を北にとって京都を目指します。
京都ももちろん修学旅行のコースでした。
東京生まれの私にとって、京都とか奈良という場所は一種の憧れがあります。
しっとりしていて落ち着いた雰囲気というイメージです。
今夜は是非とも京都に宿泊して街を散策したいと考えました。
都会ではテントを張る場所を探すのが困難ということは理解していますから、
早めに着いて安宿を探すことにしました。
賑わう四条河原町から裏手に入って、安そうな旅館かホテルを探しました。
しかしさすがに京都。
どこの旅館もホテルも大仰な門構えで、いかにも「高い」感が溢れています。
そうこうしていると、麩屋町三条に質素な旅館を見つけました。
「炭屋旅館」と書いてあります。
ここだったら京都の街を散策するのには格好のロケーションです。
そんなに高そうではないし。。。。
玄関は綺麗に掃除が行き届いていて小ぢんまりしています。
「こんにちは~~」
女将さんらしき女性が出て来ました。
私の風体と自転車を見て
「旅行なさっているのですね?」
私は予算があまりないことを素直に伝えると、
「ではもし外国の方と相部屋でよろしければ、
素泊まりで1.500円でお泊まりください。」
この金額でも私にとっては大出費ですが、街の中に泊まりたかったことと、
外人さんと一緒というのも緊張感があって少し魅力を感じたので、
この旅館に宿泊することにしました。
※後から解ったのですが、この「炭屋旅館」は京都の老舗高級旅館でした。
現在は解りませんが、当時は外人旅行者用に同室で安く部屋を提供していました。
部屋に入って荷物を広げていると二人の外国の人が部屋に入ってきました。
緊張してしまいましたが、彼らの笑顔にこちらも笑顔でOKでしょう、きっと。
オハイオ州から来たと言っているような気がしました。
自転車は旅館に置いといて、京都の街を足で散策しました。
修学旅行の思い出は、ほとんど夜の「枕投げ」しか残っていませんが、
こうして京都に、自転車で九州から四国を回って来たことは感慨もひとしおです。
すごいなと、あらためて思いました。
満足のいくまで古都の空気を吸って部屋に戻り、お風呂に入ることにしました。
風呂はとてもいい匂いがしています。
驚きました、総ヒノキ造りの風呂でした。
風呂から上がると、先ほどの外人たちも部屋に戻っていて、
ガイドブックを見てくつろいでいました。
カタコトの英語で少しだけ話しましたが、
昨夜の警察署泊まりであまり眠れなかったので、すぐに眠くなりました。
彼らはまだ二人で話していましたが、私は自分の布団を引っ張り出して横になり、
「おやすみなさい」というつもりで、
何と「グッド・イブニング!」と言ってしまいました。
すかさず彼らは「オオッ、グッド・ナイト!」と言い返してきました。
壁側を向いて眠りに就くふりをする私の顔は、
この時赤くなっていたことを彼らは知りません。
京都まで来ましたが、このまま東海道を走って帰るわけではなく、
明日からは琵琶湖の東側を通って北陸に出て、福井から金沢、富山。
そして飛騨高山から北アルプスを越えて松本から甲州街道で帰路に着く、
まさに山あり谷ありのコースを選択してあります。
一日一日がまさに波乱万丈の自転車旅行記はまだまだ続きます。
つづく

写真 : 奈良の五重塔と愛車レッド号
by ymweb
| 2008-02-08 05:48