19 〈母が・・・〉
2007年 08月 13日
父は静かな口調で電話口から「貴昭。。。」とささやきました。
私はある程度覚悟はしていましたが、さすがに次に発せられた言葉に衝撃は隠せませんでした。
「あのな、お母さんはな。。。」
「明日退院するからな!」
・・・・・・・ 何だ?何だ????
母は昔から貧血気味で、今回もふらっときてバランスを崩し、
冷蔵庫の角に頭をぶつけて脳震とうを起こしたらしい。
それで検査の結果、ずっと患っている肝炎が悪化したのとは無関係とのこと。
大したことなくてほっとしました。
とはいえ、退院したばかりの母は、当然私がケアしなければなりません。
今日から夏休み。
この事件がなければ今日から南日本一周に向けていざ出発!のはずだったのです。
本当に残念ですが、この計画は諦めざるを得ません。
母が帰ってくる部屋をきちっと掃除して、布団を敷く用意をしました。
自分で言うのもおかしいのですが、私はギターに夢中になり過ぎる以外は、
昔から良識があり、親の言うことはちゃんと聞く良い子でした。
親がたくさんの愛情を持って育ててくれたからに違いありません。
翌日、いつものように部屋でギターを練習していると、
病院に迎えに行った父が母を連れて帰ってきました。
顔色はいくらか青白いものの、思ったより元気そうでほっとしました。
父はいつまでも仕事を休むわけにもいかないので、
私が母の世話をすることになりました。
この日休みだった父が、ギターを弾いている私の部屋に入ってきました。
ギターはもちろん、音楽に全く興味ない父でしたが、
私の机の上にある「自転車旅行」と書かれてノートぱらぱらめくってボソッと
「お前、残念だったな。。。」
「うん。。でも仕方ないよ、家事もやらないといけないし。。。」
「来週から行けないのか?」
「えっ?? どうやって??」
「自転車をどこかまで送って、そこからスタートすればいい。」
「だってお母さんの面倒は?!」
「もうほとんど良くなってるし、来週から茨城のおばちゃんが手伝いに来るんだぞ。」
「え~~っ!茨城のおばちゃんが?!」
一筋の光が射したようです。
母のケアはおばちゃんと交代して、来週早々に出発するとして、
それまで自転車で走ったであろう距離、そしてそこまでの列車の所要時間を合計してみました。
途中まで列車で行くにしても、ルートは東海道線を京都まで行き、
そこから山陰ルートを通って山口県・小郡に抜ける。
そう、自転車で走るルート通りにしたいと思いました。
山口県・小郡
ここが出発点となりました。
自転車は「駅留め」で送ると5日で到着するとのこと。
ばっちり間に合います。
予期せぬ母の入院のために出発が10日ほど遅れ、出発地も変更になりましたが、
半分あきらめかけていた自転車旅行のスタートとなりました。
つづく