アンディ・シンプキンスの思い出
2021年 07月 24日
アンディ・シンプキンスの思い出
[Jazz inside story]
アンディ・シンプキンス(bs)は、ブルーノートレコードの看板バンド「The three sounds」やジョージ・シアリング(pf)のバンド、またサラ・ボーン(voc)の伴奏者として来日したこともある素晴らしいベーシストです。
わたしが彼に初めて会ったのは、サラ・ボーンのコンサートを終えて、わたしの出演していた六本木のジャズクラブに遊びに来た日のことでした。
その時はベイシーバンドの名ドラマー、ハロルド・ジョーンズ(ds)と一緒でした。
アンディの大ファンだったので、彼らを呼び込んで数曲演奏することが出来て大感激でした。
当時わたしは米軍横田基地で黒人たちと演奏していました。
ある日仲間から、赤坂山王ホテルで行われる、ロレツ・アレキサンドリア(voc)とハーブ・エリス(gt)カルテットのチケットをもらいました。
山王ホテルは基本的に軍関係者しか入れないホテルなので特権でした。
歌も演奏も素晴らしくて、終演後は彼らに近づいていろいろお話ししました。
もちろんアンディと話すのが目的でした。
(わたしの英語力は大したことないです。)
話は変わって。
日本側は北村英治(cl)さん、アメリカ側はビル・ベリー(cor)さんが主催して「International JAZZ Party」がアメリカ西海岸で毎年行われました。
日本からも大勢のお客様が参加して、アメリカのお客様の中には、レイ・ブラウン(bs)がいたり、クリント・イーストウッドがいたりと、それはそれはVIPばかりです。
もちろん北村英治さんのバンドの一員として演奏もするのですが、アメリカ側が用意した、たくさんのバンドのメンバーと「一期一会」のバンドも組まされます。
わたしの場合、嬉しいことにアメリカ人のファンがたくさん付いていたので毎年組まされました。
例えば「ヨシアキ"ミヤ"スペシャルバンド」みたいな。
どんなメンバーで組まされるのか、行って見ないとわからないので、緊張感半端でなく楽しみでもありました。
ある時はテナーがスコット・ハミルトンでベースがジョン・クレイトンとか。(^^)
ある年のこと、何とアンディ・シンプキンスと一緒になりました。(^o^)ヤッタ〜
言うまでもなく演奏は最高で、終わった後アンディに「今度わたしとレコーディングしていただけますか?」と聞いてみたところ、二つ返事でOK。
帰国後にキングレコードのディレクターと相談してレコーディングが決まりました。
こうして1997年2月12日〜15日、カリフォルニア・ロングビーチのスタジオで、フランク・コレット(pf)アンディ・シンプキンス(bs)シャーマン・ファーガソン(ds)のメンバーで「L.A.Connection」を収録しました。
ホテルはアンディの家の近く、AzusaにあるL.A.郊外のマリオットで、部屋からほとんど出ずにギターの練習してました。
ホテルのレストランに食事に行くと、どのテーブルも男女のペアでいっぱい。
なるほど今日がバレンタインデーだったのかと我に帰った。
連日アンディがわたしをピックアップして、スタジオのあるロングビーチまで1時間のドライブ。
アンディに初めて会った六本木のジャズクラブでのことや、山王ホテルのことなど、彼は一切覚えていませんでした。ははは(*_*)
アンディはその1年半後に病気のために亡くなりましたが、わたしにとって素晴らしい思い出、そして素晴らしい作品を収録出来たことを有り難く思います。