ジミー・スミスの思い出
2021年 03月 14日
【じゃずぎたりすと物語】
久しぶりの再開は《jazz Inside story》
長いことジャズミュージシャンやっていると、いろいろな出会いとエピソードがあります。
▪️ジミー・スミス(org)の思い出
1980年代初頭は忙しく、またお金も儲かった。
まさにバブルの時代だった。
わたしにはプロデューサーKが付いて、レコーディングの企画をいろいろ持って来た。
1981年にアルバムをコロンビアから出そうと、当時のレギュラーメンバーでレコーディングしたのが《リヴィエラ》で、バンド名をSMOKIN'にしたのはこの時から。

同年、プロデューサーKは、さらに美味しい仕事?を見つけた。
読売新聞、日本テレビを親会社に持つVAPレコードだ。
VAPレコードから初となるジャズのアルバムを作ろうという訳だ。
当時売れ筋だったクロスオーバーやフュージョンのような音楽をわたしに期待したようだが、お察しの通り断固拒否。
来日するオルガンの神様、ジミー・スミスとの共演を強く望んだ。
VAPレコードもそれを承諾してレコーディングすることになった。
ここで、もしわたしが前者を選択していれば、もしかしてハワイに別荘があったかもしれない。(^^)

ジミー・スミスのレセプションがあるとのことで、レコーディング関係者と一緒に大阪に飛んだ。
高級なホテルのラウンジには、ジミー・スミスの演奏や取材を求める記者、またジャズ関係者で溢れていてたが、本人の姿はなく、前座とおぼしき日本人のオルガンバンドが演奏していた。
どうやらジミー・スミスはここで演奏することを聞いてなく、プロモーターと揉めて機嫌を損ねているそうだ。(゚∀゚)
こうして2時間経っても本人は現れず、仕方ないから解散?と誰もが思ったその時、場内の雰囲気が一変した。
大勢に囲まれてジミー・スミスが現れた。
とても恐い顔をしている。
挨拶と媚び売りがはびこる中、VAPレコードのプロデューサーMがわたしを連れてジミー・スミスの元へ。
「こちらがあなたとレコーディングするミヤノウエ、日本のウェス・モンゴモリーです。」
( ̄^ ̄)ハッ!
ジミー・スミスはわたしの耳元で、「I like Wes Montgomery,but I don't like coppy」
((((;゚Д゚)))))))ガクガクブルブル
ジミー・スミスがステージに上がって弾き出した。
レコードで聴いた、まさにあのジミー・スミスだ!!(当たり前だけど、こんな表現しか出来ない)
ウルウルっとしかけたその時、ジミー・スミスが、「ミスターミヤノエ?」
わたしをステージに呼び出して、このヤングマンとレコーディングすることになっている旨を来場者に伝えた。
そして打ち合わせも何もないのにいきなり弾き出した。
「Baby,it's cold outside」だ。
曲は知っていたけど演奏したことなかったから、探りながらの演奏。
しかもウェスど真ん中の演奏しか出来ないのに、コピーは嫌いだと言われてる。
ええい、どうにでもなれ!!
恐い顔して弾き出したジミー・スミスだったけど、わたしの演奏で表情が変わり、しまいには笑顔になった。(о´∀`о)ホッ

終演後、ジミーさんからわたしに近づいて来て、レコーディングを楽しみにしていると話してくれた。

こうして1981年9月26日、東京アオイスタジオにてレコーディングして、「Touch of love」(VAPレコード)が完成しました。
ハワイに別荘は持てなかったけど、オルガンの神様をゲストに迎えて素晴らしい作品を残すことが出来ました。
4月1日発売の新作CD「THE MASTERS」のプロモーションビデオはこちらです。
https://www.youtube.com/watch?v=1jwW8ga7Cn4