阿寒湖でお会いした優しい人
2016年 04月 15日
ファンの皆様には大変お待たせいたしました。
しばらく絶筆していた「ジャズギタリスト物語」の続編を書いていきます。
「じゃずぎたりすと物語」は、私がギターを始めるきっかけから
プロのジャズギタリストになるまでの出来事を、
おおよそ史実に基づいて書いています。
途中から人生においての大きな思い出となった
「自転車日本一周旅行記」の話が長くなっていますが、 (ーー;)
私にとって15歳~16歳にかけての自転車日本一周旅行は、
体力作りはもとより、
根性や気力といった精神態度の原点ともなっています。
ほどなくして旅行記は終了させて、
またジャズギタリストへの道を綴りたいと思いますが、
自転車旅行記もまだまだ皆さんにお聞かせしたい
ハラハラ、ドキドキ、ワクワクの出来事がたくさんあります。
完走するまで引き続き読んでくだされば嬉しく思います。

北海道の日本最北の地に到達して南下する途中、
これまで記録したフィルムが残る大切なカメラをなくし、
予想外の砂利道の坂の連続を登りきり、
ようやくたどり着いた摩周湖は霧のため見ることが出来ず、
ガクッと肩を落として凹んでいる16歳の宮之上少年。
はてさて、これからの旅はどうなることでしょうか。
1970年8月12日(水)
昨日はようやくたどり着いたものの、
濃霧のため摩周湖を見ることが出来ず、
悔しいので朝7時に起きて、
バスでもう一度摩周湖天文台に向かうことにしました。
昨日の悪天候がウソのような晴天に恵まれ、
言葉で表現できないくらい摩周湖は美しい湖面も姿を現しました。
いや~来て良かった!!
しかしバス代が往復で380円とは高すぎる!
(日記にはそのように記されていますが、
当時の物価指数はいかほどだったのでしょうね)
美しい摩周湖を見てから再び宿に戻り、
昨日ブレーキが故障したので街の修理屋に寄った。
100円も取られた!
弟子屈の街を離れて「横断道路」と呼ばれる国道241号線に入り、
ひたすら阿寒湖を目指しました。
最初は舗装道路でしたがすぐに砂利道になって登坂もきつくて大変でした。
途中、ペンケトウ、パンケトウという小さいけど神秘的な2つの湖を遥か右手に眺め、
もう一つ峠を越えると阿寒湖まではもう一息です。
そんな時、「こんにちは」と声がかかって来ました。
わたしと同じく自転車旅行をしている大学生で、
岩手県から来て北海道一周しているそうです。
その小島さんは穏やかでとても良い感じのよい人で、
わたしが高校2年生だということを信じてくれませんでした。
すっかり意気投合して、今夜は彼と阿寒湖泊まりに決めました。
そして食事は彼持ち、テントはわたし持ちでキャンプ村に宿泊することにしました。

移動距離が比較的短かったので時間がありました。
わたしたちはボートを借りて阿寒湖の景色を楽しみました。

テントの隣では室蘭から来たファミリーがバーベキューを楽しんでいて、
わたしたちもちゃっかりご馳走になりました。(^^)/
そして何より嬉しかったのはそこにギターがあって弾くことが出来たことです。(^^♪

さらに嬉しいことがありました。
わたしが途中でカメラを失くしたことを小嶋さんに話すと、
「あなたはまだ道中長いのでこのカメラを貸してあげる」
そう言ってくれました。
自分も旅の途中だというのに、何と自己犠牲の精神の持ち主なのでしょう。
少しだけ気が引けましたけどここは遠慮しないでお借りすることにしました。
それでここから先の写真はリアルにわたしの撮影したものになります。(^^)/
小島さん、ありがとうございました。

※旅の後、ちゃんとカメラは小島さんにお返ししました。
小島さんと夜遅くまで話がはずみ、就寝したのは11時でした。
[この日使った費用] 弟子屈~摩周湖往復バス代380円 / 自転車修理100円 /
パン代合計85円 / アイスクリーム30円 / ボート代150円 〔合計745円〕
しばらく絶筆していた「ジャズギタリスト物語」の続編を書いていきます。
「じゃずぎたりすと物語」は、私がギターを始めるきっかけから
プロのジャズギタリストになるまでの出来事を、
おおよそ史実に基づいて書いています。
途中から人生においての大きな思い出となった
「自転車日本一周旅行記」の話が長くなっていますが、 (ーー;)
私にとって15歳~16歳にかけての自転車日本一周旅行は、
体力作りはもとより、
根性や気力といった精神態度の原点ともなっています。
ほどなくして旅行記は終了させて、
またジャズギタリストへの道を綴りたいと思いますが、
自転車旅行記もまだまだ皆さんにお聞かせしたい
ハラハラ、ドキドキ、ワクワクの出来事がたくさんあります。
完走するまで引き続き読んでくだされば嬉しく思います。

北海道の日本最北の地に到達して南下する途中、
これまで記録したフィルムが残る大切なカメラをなくし、
予想外の砂利道の坂の連続を登りきり、
ようやくたどり着いた摩周湖は霧のため見ることが出来ず、
ガクッと肩を落として凹んでいる16歳の宮之上少年。
はてさて、これからの旅はどうなることでしょうか。
1970年8月12日(水)
昨日はようやくたどり着いたものの、
濃霧のため摩周湖を見ることが出来ず、
悔しいので朝7時に起きて、
バスでもう一度摩周湖天文台に向かうことにしました。
昨日の悪天候がウソのような晴天に恵まれ、
言葉で表現できないくらい摩周湖は美しい湖面も姿を現しました。
いや~来て良かった!!
しかしバス代が往復で380円とは高すぎる!
(日記にはそのように記されていますが、
当時の物価指数はいかほどだったのでしょうね)
美しい摩周湖を見てから再び宿に戻り、
昨日ブレーキが故障したので街の修理屋に寄った。
100円も取られた!
弟子屈の街を離れて「横断道路」と呼ばれる国道241号線に入り、
ひたすら阿寒湖を目指しました。
最初は舗装道路でしたがすぐに砂利道になって登坂もきつくて大変でした。
途中、ペンケトウ、パンケトウという小さいけど神秘的な2つの湖を遥か右手に眺め、
もう一つ峠を越えると阿寒湖まではもう一息です。
そんな時、「こんにちは」と声がかかって来ました。
わたしと同じく自転車旅行をしている大学生で、
岩手県から来て北海道一周しているそうです。
その小島さんは穏やかでとても良い感じのよい人で、
わたしが高校2年生だということを信じてくれませんでした。
すっかり意気投合して、今夜は彼と阿寒湖泊まりに決めました。
そして食事は彼持ち、テントはわたし持ちでキャンプ村に宿泊することにしました。

移動距離が比較的短かったので時間がありました。
わたしたちはボートを借りて阿寒湖の景色を楽しみました。

テントの隣では室蘭から来たファミリーがバーベキューを楽しんでいて、
わたしたちもちゃっかりご馳走になりました。(^^)/
そして何より嬉しかったのはそこにギターがあって弾くことが出来たことです。(^^♪

さらに嬉しいことがありました。
わたしが途中でカメラを失くしたことを小嶋さんに話すと、
「あなたはまだ道中長いのでこのカメラを貸してあげる」
そう言ってくれました。
自分も旅の途中だというのに、何と自己犠牲の精神の持ち主なのでしょう。
少しだけ気が引けましたけどここは遠慮しないでお借りすることにしました。
それでここから先の写真はリアルにわたしの撮影したものになります。(^^)/
小島さん、ありがとうございました。

※旅の後、ちゃんとカメラは小島さんにお返ししました。
小島さんと夜遅くまで話がはずみ、就寝したのは11時でした。
[この日使った費用] 弟子屈~摩周湖往復バス代380円 / 自転車修理100円 /
パン代合計85円 / アイスクリーム30円 / ボート代150円 〔合計745円〕
by ymweb
| 2016-04-15 16:49
| じゃずぎたりすと物語