1970年8月30日(日)
「起きてメシ食うべや~!」
7時10分過ぎ、おじさんの声で目が覚めました。('_')
朝ごはんをいただき出発の準備を整えて、
家族の見送りの中、新潟県・佐々木を出発。
何とお弁当まで作っていてくれました。
お世話になった佐藤さんご家族に感謝です。(^_^)/~
新発田を過ぎてさらに進み、
阿賀野川の大きな橋を越えると新潟市に入りました。
交通量の多い街なか
信号で停まるとお店のおじさんが「どこから来た?どこまで行くの?」
愛車レッド号には「日本一周一人旅」と書いてあるので、
しばしばこうした質問を受けます。(*_*)
さらっとかわして先に進みます。(笑)
その直後でした。
路地から車が急に出て来て衝突してしましました。Σ(゚Д゚)
事故です!!!
わたしは横倒れになり、
積んである荷物が道路に散乱しました。
見ていた周囲の人たちはざわつき、
運転手が車から降りて来て「大丈夫ですか!?」
わたしを起こしました。
しばし呆然としましたけど足を少し擦りむいた程度、
幸いにもぶつかった角度が良かったのか?
愛車レッド号はチェーンが外れただけで済みました。
何のつもりか、運転手はわたしに千円を手渡し、
「ごめんね」と言って去りました。
※その後の後遺症はありませんでした。
えっ?あるって?(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
それにしても日本一周の最終段階にきて初めて事故に遭うとは。"(-""-)"
でも千円手にしたことだし?気を取り直して再び出発!(*^^*)
国道8号線に入り新潟平野を南西に進みます。
道は狭くて交通量は相変わらず多いのですが、
平坦なので比較的に走りやすくて距離も稼げそう、
事故でロスした分を取り戻したいと思います。
三条を過ぎて中之島村で小休止。
商店に入ってパン一個とペプシコーラ(大)を注文、
作ってもらったお弁当にプラスしての昼ごはんです。
商店のおじさんはお茶を出してくれて気さくに話しかけてきました。
走っている時から足が痛いなと感じていましたが、
気が付けば事故で擦りむいた足から出血していました。(;_;
40分ほど休み、タオルで止血して再出発です。
※日記にははっきりと「中之島村」と記されていますが、
調べたところ「昭和31年に北魚沼郡塩沢町と合併して消滅」とあります。
これはどういうことでしょうか?
ひょっとしたら信号名だけ昔の地名で残っていたのかもしれません。
どなたかご存知の方は教えてください。
国道17号線に入りました。
賑やかで信号の多い長岡の街を過ぎてしばらくすると、
道の脇から冷たい空気が。('_')
「風穴」です。
興味が沸いて中に入ってみると、すぐに行き止まり。
それなのに、どこからとなく冷たい風が吹いてきてとても気持ち良かったです。(気持ち悪いかもw)
※この風穴も調べましたが、どこなのか謎のままです。
ご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。
小千谷を過ぎるころ日も傾き、そろそろ今宵の寝床探しです。
民家の庭にテントを張らせてもらうことを考えましたが、
テントの設営には手間と時間がかかります。
寺の本堂など、屋根のある場所を借りる方が合理的でした。
もちろん家に泊めていただければ最高なのですが、
それは甘え過ぎというものでしょう。( `ー´)ノ
川口町というところまで来ると、
近くに宝積寺(ほうしゃくじ)というお寺がありました。
※北魚沼郡川口町=現在は長岡市の飛び地のようです。
宿泊のお願いをするとOKしてくれましたが、
お客さんたちが来ているので帰るまで時間をつぶしていてくれとのこと。
思いがけず千円の大金を手にした?宮之上少年の目指すは
街のパチンコ屋です。('ω')
最初は出玉が良く、そこで止めておけば良かったのですが、
結局100円をすることになりました。(*_*;
宿泊の許可をいただいたお寺に戻り、
手作り寝袋にくるまって本堂の横に寝ました。
〔この日使ったお金〕 ペプシコーラ(大)¥60 パン4個合計¥80
グリコ・ジャイアントアイス¥30 パチンコ¥100 合計¥270
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