宮之上貴昭執筆による長期連載


by ymweb
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ファンにお年玉③

《じゃずぎたりすと物語》 58話「北海道の湖を巡る①」 
書き上げました。
http://ymweb.exblog.jp/

... 「じゃずぎたりすと物語」は、
私がギターを始めるきっかけから
プロのジャズギタリストになるまでの出来事を、
おおよそ史実に基づいて書いてます。

途中から人生においての大きな思い出となった
「自転車日本一周旅行記」に変わりかけちゃっていますが(ーー;)
私にとって15歳~16歳にかけての自転車日本一周旅行は、
体力作りはもとより、
根性や気力といった精神態度の原点ともなっています。

まもなく旅行記は終了して、
またジャズギタリストへの道を綴りたいと思いますが、
自転車旅行記もまだまだ皆さんにお聞かせしたい
ハラハラ、ドキドキ、ワクワクの出来事がたくさんあります。
完走するまで引き続き読んでくだされば嬉しく思います。

※初めて読まれる方は是非とも第一話からお読みください。
http://ymweb.exblog.jp/i4/6/

※記載してある自転車旅行記の情報は、
詳細に書き記された当時の日記からのものです。

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じゃずぎたりすと物語 58話「北海道の湖を巡る」
1969年8月10日(月)
朝、搾りたての牛乳をいただいて出発!
国道238号線はサロマ湖畔の美しい眺めと裏腹に、
タイヤが埋まってしまうほどの砂利道と、
道路工事による土埃の舞う悪路でした。
目に埃が入ってチリチリになるので、
鼻から口までタオルで覆い、
サングラスをしてペダルを踏みました。

原生花園で有名な能取湖畔に着いた時オシッコがしたくなり、
咲き乱れる美しい花の真ん中で用を足しました(´Д` )
広い北海道、気持ち良かったです(^O^)
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途中、青森から来たという自転車旅行者に出会い、
道中を共にしました。
カメラを紛失した私は、
その彼に写真を撮ってほしかった目論みもありました。
網走に到着すると、有名な刑務所の前で記念撮影をしました。
※この数十年後、私が北村英治(cl)バンドで
網走刑務所に慰問演奏に来ることになるとは、
この時点で予想するはずもありません。

網走市街を抜けて女満別に向かう国道沿いに
網走湖という湖が現れます。

大勢の人が水に浸かって何か採っています。
私たちも加わりました。
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アサリほどもある大きなシジミがたくさん採れました。
e0095891_14412173.jpg


目的地の美幌に到着すると、
二人でシジミを持参したのが功を奏したのか、
美幌の元町という地区にあるお寺が
今夜の宿泊を快諾してくれました。

スポークが折れていた愛車レッド号は近くの自転車屋に。
無料で直してくれたのはラッキーでした。
でもスタンドは外れたままですが(>_<)

二人で「ホルモン焼き」と書かれた看板に惹かれて店に入りました。
思ったより量が少なくてお腹が一杯にならず、
店を出てもう一軒ラーメン屋に入りました。

一人旅を続けている16歳の宮之上少年にとって、
話し相手がいること自体とても嬉しかったのです。
旅の出来事や情報などを交換して9時半頃に寝ました。

[この日使ったお金]
ガラナ\45 パン\20 ファンタ\40 ファンタ\30  パン\55 パン\54
夕飯 ホルモン焼き\100 めし\60 塩ラーメン\100  
合計\504
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# by ymweb | 2013-01-03 14:46 | じゃずぎたりすと物語
「じゃずぎたりすと物語」は、
私がギターを始めるきっかけから
プロのジャズギタリストになるまでの出来事を、
おおよそ史実に基づいて書いてます。

途中から人生においての大きな思い出となった
「自転車日本一周旅行記」に変わりかけちゃっていますが(ーー;)
私にとって15歳~16歳にかけての自転車日本一周旅行は、
体力作りはもとより、
根性や気力といった精神態度の原点ともなっています。
e0095891_14534818.jpg

まもなく旅行記は終了して、
またジャズギタリストへの道を綴りたいと思いますが、
自転車旅行記もまだまだ皆さんにお聞かせしたい
ハラハラ、ドキドキ、ワクワクの出来事がたくさんあります。
完走するまで引き続き読んでくだされば嬉しく思います。

※初めて読まれる方は是非とも第一話からお読みください。
http://ymweb.exblog.jp/i4/6/

※記載してある自転車旅行記の情報は、
詳細に書き記された当時の日記からのものです。

じゃずぎたりすと物語 57話「愛車レッド号骨折!」

8月9日(日) 
お世話になった浜野家の皆さんに挨拶をして、
10時30分に紋別を出発しました。
今日の目的地サロマ湖までの距離が短いので、のんびりの出発です。

走りやすかった国道238号は途中から砂利道になりました。
しばらく走っていると、激しい揺れのためにタイヤのスポークが1本、
続けてもう1本と折れてしまいました。
このまま走行すれば連鎖反応で他のスポークも次々と折れそうです。
道路脇に愛車レッドを停めて、
2本のスポークを絡ませて1本にして応急処置を施しました。
これでとりあえずOKかなと思ったら、
今度は自転車を支えるスタンドが根元からぐにゃっと曲がって、
レッド号はスローモーションのようにゆっくりと左に傾きました。
荷物の重みに耐え切れなかったようです。
何ということでしょう。。。
それでもオホーツク海の大海原を見てジャズの曲を口ずさみ、
16歳の宮之上少年はいくらか元気を取り戻してまた出発しました。

途中お腹が空いてきたので川西とう集落で商店に入り、
クッキーといちごサイダーというのを買いましたが、
結局お腹はいっぱいにならず、このチョイスは失敗でした。
湧別の街を過ぎて少し走ると、
左手には油を敷いたような穏やかで雄大な湖が姿を現しました。
北海道最大の湖、サロマ湖です。

珍しくまだ陽が高いうちに目的地まで到着しました。
観光案内所でテントを張れる場所や簡易宿泊所の情報などを聞こうと思い、
計呂地(ケロチ)という駅に行ってみました。
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もちろん口ずさんでいるのは「Take the A train」です。
確かに駅は駅でしたが、人もいないし、トイレ以外何にもありませんでした。
(計呂地駅は1987年に廃線になった湧網線の駅です。)
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写真:現在では鉄道公園として整備されているそうです。

さびれているとはいえサロマ湖は観光地なので、
そこら辺に勝手にテントを張るわけにもいきません。
商店に入って、アイスクリームを食べながら情報を聞いてみました。

国道沿い「法念寺」というお寺があると聞いて、早速行ってみました。
大きくはないお寺でしたが、綺麗に手入れされた美しいお寺でした。
境内にテントを張る交渉をしたところ、奥様が優しく対応してくださり、
住職と相談して、空き部屋に泊まらせていただくことになりました。

ちょうど札幌から来たという親戚の方が見えて、
その子供たちを湖畔に連れて行って遊んでくれとのこと。
思いがけずサロマ湖探索となりました。

美しい!!
ずっと地図みて心に思い描いていたサロマ湖が眼前に広がっています。

夕食もご馳走してくれることになり、
食卓には特産のホタテ貝とボラの刺身が並び、とても美味しくいただきました。
テレビでは「サインはV」の最終回を放送していました。
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部屋でくつろいでいると住職が、
「旅の目的や面白さを話してくれ」と近づいてきました。
これまでの出来事や、人との出会いなど、
私の話に熱心に耳を傾けていました。

明日の朝は搾りたての牛乳をご馳走してくれるそうで、
これも楽しみです。
寝たのは遅く、時計の針は11時を回っていました。

[この日使ったお金]
クッキー \50  いちごサイダー \30 アイスクリーム\20 
合計\100
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# by ymweb | 2013-01-02 14:56 | じゃずぎたりすと物語
これまであらすじ

「じゃずぎたりすと物語」は、私がギターを始めるきっかけから
プロのジャズギタリストになるまでの出来事を、
おおよそ史実に基づいて書いてます。。

途中から人生においての大きな思い出となった
「自転車日本一周旅行記」に変わりかけちゃっていますが、
私にとって15歳~16歳にかけての自転車日本一周旅行は、
体力作りはもとより、根性や気力といった精神態度の原点ともなっています。
まもなく旅行記は終了して、
またジャズギタリストへの道を綴りたいと思いますが、
まだまだ皆さんにお聞かせしたいハラハラ、ドキドキ、
ワクワクの出来事がたくさんあります。
完走するまで引き続き読んでくだされば嬉しく思います。

※初めて読まれる方は是非とも第一話からお読みください。
※記載してある情報は詳細に書き記された当時の日記からのものです。

56話「オホーツクの風がほおをつく?」

1969年8月8日(土)

「おい、どうした!?」
ギギーーッと急ブレーキの音を立てて
斜めに止まったトラックから声がかかりました。
私のほうが少し驚きました。

思い出をたくさん記録したカメラをなくして気を落とし、
フラフラと蛇行運転している私を心配したのでしょう。
「乗っていくか?」と声をかけてくれました。
ペダルを踏む体力も気力もなくなった私にとってまさに救いの船、
二つ返事でお願いすることにしました。

建築関係の仕事をされているらしい二人は割と無口、
運転手は芦屋小雁似で、もう一人は高校の数学の先生に似ていました。
こうして愛車レッドを荷台に乗せてオホーツク海を南下し、
車に揺られてうとうとしていると、雄武(おうむ)の町に到着しました。
そこは彼らが共同生活をしているらしい建築現場の仮設住宅でした。
インスタントラーメンに缶詰とコロッケをご馳走してくれました。
ここで寝かせてくれるのかと思いきや途中休憩だったらしく、
さらに先の紋別まで走ることになりました。
到着した紋別の事務所で布団を敷いてくれてそこで寝ました。

思いがけず距離を稼げたおかげで、
今日は紋別に留まることにしました。
オホーツク海のど真ん中に位置する紋別は、
冬は流氷の街として有名な港町です。
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今夜もこの街に泊まろうと思いますが、
昨夜お世話になった事務所の人たちはすでに仕事に出ているし、
連泊はさすがに気が引けるので、
テントを貼れる場所または神社かお寺を探すことにしました。
港の見える高台の公園にたどり着くと、
ポカポカの日差しの中で漁師らしいおじさんが網を修理していました。

いかにも自転車旅行をしている格好の私に向かって、
「まんま食え、まんま、北海道の三平を食わしてやる」
私の腹ペコがどうして分かっちゃったのしょうか(ーー;)
公園の隣にある家にお邪魔していただくことにしました。

三平とは三平汁のことで、
鮭や鱈などの魚と根菜を塩だけで煮た鍋でした。
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蛸と葱の酢味噌和えもいただいて、
心もお腹もすっかりいっぱいになったところに小学生の娘さん二人が帰宅。
このお嬢様方はとってもべっぴんさんでした。
お友達三人と一緒に港に魚が上がるのを見に行きました。
今夜はこの浜野家に泊めていただくことになり、
おかげで夕食ではカジカの味噌汁や蟹子などなど、
オホーツクの海の幸を堪能することが出来ました。

しかしこうした幸せな時間はそう長くは続きません。

       次号「愛車レッド号の骨折!」につづく
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# by ymweb | 2013-01-01 16:53 | じゃずぎたりすと物語

日本最北端の地に立つ

執筆中の「じゃずぎたりすと物語」は中盤から
「自転車日本一周旅行記」に変わりかけちゃっていますが、(^^;
私にとって15歳~16歳にかけての自転車日本一周旅行は、
体力作りはもとより、根性や気力といった精神態度の原点ともなっています。
まだまだ皆さんにお聞かせしたい
ハラハラ、ドキドキ、ワクワクの出来事がたくさんあります。
完走するまで引き続き読んでくだされば嬉しく思います。

※記載してある情報は詳細に書き記された当時の日記からのものです。


じゃずぎたりすと物語55話「日本最北端の地に立つ!」

朝5時30分に起床、6時から朝食だ。
日本一周自転車旅行の私にとって「早起き」はお茶の子さいさい。
ただ、宿泊している「青年の家」は少し右に傾いているのか、
国旗掲揚を見守ったり、ラジオ体操を義務付けられました。
右でも左でもない「ほんの少年に過ぎない」私にとって、
せっかく昨夜下げた国旗の掲揚はよく分からなかったけど、
ラジオ体操は楽しく参加しました。

7時
それほど居心地の良くなかった宿をさっさと後にして、
これから目指すは日本最北端の宗谷岬です!


風も強くて途中で雨にも降られたけど、
我慢してペダルを漕ぎ進むと間もなく宗谷岬。
宗谷岬とは岬の総称で、目指す最北端は大岬というところです。

着きました! ここが日本最北端の地です!
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比較的朝の早い時間だったので人影はまばらでした。
天気が悪いため、
期待していた樺太をここから見ることは出来ませんでした。

でも出発の時から思い描いていた最北端の地ですから、
近くにいた人にカメラのシャッターを押してもらいました。
そして行ったという証拠になる記念スタンプも日記に。
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私は近くにある灯台に登ってみました。
想像していたより面白くはなかったので、
すぐそばにある「日本軍望楼の基地」というところに行きました。
ここからソ連軍の船を監視したそうです。

その先の展望台みたいな場所にも登ってみました。
さすがにここは宗谷海峡を一望する素晴らしい眺めでした。
見下ろせば日本最北端の碑に集る人が増えてきました。
人はまるでバッタのようでした。


さて再び出発!!
ここからは進路が南へ南へと変わっていくわけです。

ガタガタガタガタ・・・・ 
道が悪くなってきました。
国道238号は非舗装の酷道です。

振動のために後ろの荷台のネジが外れて荷物がずり落ちました。
ハンドル前の荷物も飛び出しそうです。

どうしようかと困っていると、
後ろからサイクリストが来てゴムひもをくれました。
お陰で何とか応急処置を施して彼と一緒に再び出発。
しかしその後も悪路はずっと続き、
前の荷物が飛び出すのを手で押えながら必死に走りました。

それでも目の前に広がる猿払牧場の雄大な景色は印象的でした。

お腹が空いたので近くの商店に入りました。
私は食パンとソーセージを注文しました。

逆方向からサイクリストが走ってきたので、
気になる道の状態を聞くと、「もうすぐで舗装になる」とのこと。
すっかり気を良くして嬉しくなりました。
何しろ、ずっと続いたガタガタ道のために、
私の両手の平は血が滲むほど赤くなっていたのです。

出発の前にたくさんの牛が放牧されている
この猿払牧場の景色を写真に収めようと思い、
荷物の中からカメラを取り出そうとしたら・・・・

( ̄ー ̄?).....?? ん?

ない

カメラが ない (● ̄  ̄●)ボォ----

Σ\( ̄ー ̄;)ナンデヤネン

(☉౪ ⊙)プギャー!!!!

落とした!!!!

さっきオシッコしたところかな。。。。
最初に荷台が外れたところかな。。。。

知り合ったサイクリストにはこおこでお別れして、
落としたカメラ探しに、来た道をまた戻ることにしました。

何しろこれまでの想い出が全部撮影されているのですから。(゜-Å) ホロリ

目ぼしい所の近くに子供たちがいたので、
二人に100円ずつあげて道路の横を一緒に探してもらいました。
それでも見つかりません。
もう少し逆戻った場所まで行きました。
農作業を終えた人にも聞きました。
「この辺りにカメラ落ちていませんでしたか?」

どれほどの時間探したのでしょうか。
真っ赤になった両手の平が痛いです。

どうしてもあきらめることが出来ません、
でも仕方ありません。

16歳の宮之上少年の肩はガクッと落ちて、
おそらくは右に左にフラフラと蛇行して走っていたに違いありません。

その時!!
後方から猛スピードで飛ばしてくる一台のトラックが

ギギーーッ!

私の目の前で急ブレーキをかけて停まりました。

                  つづく
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# by ymweb | 2012-01-30 12:37 | じゃずぎたりすと物語
じゃずぎたりすと物語54話 
「最果ての町で少しモテモテ?」

1969年8月7日(木) 天塩→稚内

目覚ましが鳴ったけど(もう少し・・・)
昨日運ばれた死体の関係者なのか、
周囲がざわついていて、気が付けば8時半。
死体の隣に寝た割には熟睡することが出来ました。(^^;

すっかり遅くなってしまって、出発の準備を整えていたら、
奥さんが朝食を食べていくようすすめてくれました。
しかも忙しい中でお弁当まで作ってくれていました。
とても優しい方でした。

出発の時、ミニスカートの女の子がお墓を掃除しに来ていました。
うわ~~っ! 見えちゃいますよ!
16歳、少し恥じらいの宮之上少年でした。(^m^ )


地図はわりとインチキで、国道232号線の振老(フラオイ)から先の
40号線に出れば舗装道路と記されているにもかかわらず砂利道だった。
おまけに雨も降ってきたのでカッパに着替えて、
濡れてはまずい毛布などの荷物にビニールで防水を施しました。

雨は一時的に止んだものの、豊富(とよとみ)で大雨になり、
商店に入って10円のキャラメルを買って雨宿りをし、
お弁当をいただくことにしました。
そうしているとお店の人がコーヒーを出してくれました。
少し売り上げに協力しようと?ウィスキーのポケット瓶を買いました。
1日の完走のご褒美に?毎晩1杯ずつ飲むことにしました。
はい、もちろん未成年です。( ´,_‥`)プッ

実はここから10キロほど走って日本海に出た
稚咲内(ちさくない)というところに、
砂丘原始林というのがあるので行って見たかったのです。
しかしこの雨なので、そこは残念ながら諦めることにしました。

ようやく雨も小降りになって出発し、徳満というところに来ると
「サロベツ原野展望台入り口」と書かれた看板が出ていたので、
そこに行ってみることにしました。

「宮の台」という場所にある展望台に登ると・・・

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360度ほとんど地平線で見渡す限りの草原。
さすがにサロベツ原野ど真ん中の風景です。
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独り静かにしばし眺めに浸っていると、

「こんにちは~!」 「わ~っ!日本一周?」

下に停めてある愛車レッド号の荷物に書いてあるのを見たようで、
少しインテリっぽい若い女性が声をかけてきました。
メガネをかけているけど、とても美人でした。

「私とても興味があるの、ねえお話聞かせてくれない?」

「僕は東京からです、先を急ぎますのでこの辺で!」

照れと恥ずかしさ、格好付けの16歳宮之上少年でした。

おいおい!何考えてんだ?(。´-д-)。o○
時間よ~~~その日に戻れ!!(笑)



愛車レッド号は最果て稚内の街に入って来ました。

稚内市は思ったよりは大きな街ですが、
どことなく寂しさが感じられます。

今夜もお寺に泊めてもらおうと2ヶ所訪ねたけど、
残念ながらどちらも断られてしまいました。
仕方なくユースホステルに電話したところ、
このユースホステルも満室だったけど、
稚内公園に「青年の家」という宿泊施設があるので、
そこに行ってみるよう勧められました。

稚内公園は海と街を一望出来る山腹にありました。
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※写真は現在の稚内公園からの眺め

「ユースホステルが満室だったので、
そこで紹介されてやって来ました」

受付のオヤジは
「そのような考え方だったら宿泊お断りだ!
うちはユースホステルの代用じゃない!」

私の言い方が気に入らなかったようですが、
それにしても何とひどい言い方でしょう。

現在と変わらず?感情がすぐ顔に出る宮之上少年は
「別にそう意味で言ったんぢゃね~よ!」と反論してオヤジをにらんだ。
オヤジがまだ話をしている途中で、隣にいた受付の美人お姉さまが、
「荷物は2階の講義堂に置いてください、4時までは部屋に入れませんので」
まるで(気にしなくていいわ、この人はいつもこの調子なのよ)
そう言わんばかりでした。

私はどうしてもこのオヤジと決着を着けたかったけど、
ここは美人に免じて勘弁してあげよう、そう思うのでした。(笑)

4時を過ぎて荷物を部屋に置くと、
集会室にオルガンと、何とギターがあるではありませんか!!!

久しぶりにギターを手にして早速弾いていると、
「聴かせてください」
そう言って若い男の人二人が近づいて来ました。
今夜私と同室になる二人でした。

得意気に演奏していると彼らはよほど音楽が好きなのか、
熱心に聴き入ってくれました。

彼らの話によると、この「青年の家」は規律が厳しくて、
「夕べの集い」や「国旗掲揚」「ラジオ体操」までが義務付けされています。

早速「夕べの集い」で自己紹介させられました。
次は国旗を降ろす行事に参加です、見ているだけですが。(笑)

夕食の時間、
隅の方で独りで食べていると若い女性二人が隣に座りました。
「どちらから?」勇気を出して訊ねると、東京からの観光客で、
何と渋谷と小金井から来たとのこと。
話を聞いているうちにまた少しホームシックになりましたが、
その後館内で放映されている利尻・礼文島の映画を一緒に見て楽しみました。

何だか素敵な女性と縁があった一日でした。

明日はいよいよ日本最北端の地「宗谷岬」を目指します。

[使ったお金]
ウィスキーポケット瓶150円、キャラメル10円、
アイスクリーム10円、電話代10円、宿泊料580円

※「青年の家」はネットで調べましたがほとんど情報が得られず、
その後ユースホステルになってからしばらくして閉館になったかもしれません。
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# by ymweb | 2011-12-28 15:46 | じゃずぎたりすと物語