宮之上貴昭執筆による長期連載


by ymweb
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20 〈出発!〉


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朝おなかが空いて目覚め、台所に行くと、ほとんど元気になった母が、
「何だかお父さんがお前の自転車直しているよ」
団地の階段を降りてみると、首に手ぬぐいを巻いた父が汗びっしょりになって
私の自転車をいじっています。

「何やってんの?」と聞くと、
5段変則の私の自転車を10段に改造しているという。

父は実に器用な人でした。
趣味の釣りのための手製の竿はもちろん、棚を作ったりするのもお手の物で、
以前、360ccの軽自動車に450ccのバイクのエンジンを積み替えたりしていました。
私はものぐさで、手が汚れたり機械に触ったりすることが大嫌いですから、
父の遺伝子をほとんど受け継いでいないのでしょう。

「ほら出来たぞ! 乗ってみろ!」

いつの間にやら私の自転車は10段変則に変身していました。
早速容赦なく照り付ける太陽の下、ギアー1段ずつ変えながら団地を一周して来ました。

完璧です。

この自転車に「レッド号」という名前を付けることにしました。
そう、愛車「レッド」です。
単純な理由です。色が赤いのでそう命名しました。
さて豊田駅に行ってこの自転車と荷物を山口県小郡駅まで送りました。

そして4日後の夜、私は東京駅に向かい、11時30分発の普通列車「大垣行き」に乗り込みました。
親に自転車の発送費や交通費も出してもらいましたので、
経費はなるべくかからないようにしたいと思いました。

この列車、少なくとも当時は最も長い距離を走る普通列車でした。
大垣に早朝着いて「西明石」行きに連絡。
京都で長い待ち時間を経験して、これまた山陰本線の普通列車を乗り継ぎ、
ようやく目的地小郡に到着したのは夜でした。

列車でここまで来るだけでもこんなに時間と労力が懸かることを知ると、
自転車でこの何倍もの距離を走ることを考えただけで気が遠くなりました。

初日ということもあって、駅近くに宿を取りました。
いよいよ〈自転車日本一周(少し欠けた)旅行〉の出発です。

興奮しているせいか朝早くに目覚めてしまいました。
早速送っておいた自転車と荷物を小郡駅の取りに行きました。

駅員が荷札で確認していると、左奥の部屋に愛車〈レッド〉が見えます。
どうやらちゃんと届いているようでほっとしました。

荷物をレッド号に設置して、いざ出発!!

レッド号は道路を軽快に疾走・・・ 

と行きたいのですが、実はそうもいきません。
荷物の中身は1ヶ月間必要な衣料、テントなどの野営道具に加えて、
水筒なども備えているので相当な重量となっています。
文字通り「重い足取り」ながら、心はルンルン。
愛車レッド号は第一日目の目的地である
福岡に向けて出発となりました。

この旅が私の人生をいろいろな面で変えていくことになるとは、
この時点で想像もしていませんでした。
                                   つづく
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# by ymweb | 2007-08-27 12:36 | じゃずぎたりすと物語

19 〈母が・・・〉

19 〈母が・・・〉

父は静かな口調で電話口から「貴昭。。。」とささやきました。
私はある程度覚悟はしていましたが、さすがに次に発せられた言葉に衝撃は隠せませんでした。

「あのな、お母さんはな。。。」

「明日退院するからな!」

・・・・・・・ 何だ?何だ????

母は昔から貧血気味で、今回もふらっときてバランスを崩し、
冷蔵庫の角に頭をぶつけて脳震とうを起こしたらしい。
それで検査の結果、ずっと患っている肝炎が悪化したのとは無関係とのこと。
大したことなくてほっとしました。
とはいえ、退院したばかりの母は、当然私がケアしなければなりません。

今日から夏休み。
この事件がなければ今日から南日本一周に向けていざ出発!のはずだったのです。
本当に残念ですが、この計画は諦めざるを得ません。

母が帰ってくる部屋をきちっと掃除して、布団を敷く用意をしました。
自分で言うのもおかしいのですが、私はギターに夢中になり過ぎる以外は、
昔から良識があり、親の言うことはちゃんと聞く良い子でした。
親がたくさんの愛情を持って育ててくれたからに違いありません。

翌日、いつものように部屋でギターを練習していると、
病院に迎えに行った父が母を連れて帰ってきました。
顔色はいくらか青白いものの、思ったより元気そうでほっとしました。

父はいつまでも仕事を休むわけにもいかないので、
私が母の世話をすることになりました。
この日休みだった父が、ギターを弾いている私の部屋に入ってきました。
ギターはもちろん、音楽に全く興味ない父でしたが、
私の机の上にある「自転車旅行」と書かれてノートぱらぱらめくってボソッと

「お前、残念だったな。。。」

「うん。。でも仕方ないよ、家事もやらないといけないし。。。」

「来週から行けないのか?」

「えっ?? どうやって??」

「自転車をどこかまで送って、そこからスタートすればいい。」

「だってお母さんの面倒は?!」

「もうほとんど良くなってるし、来週から茨城のおばちゃんが手伝いに来るんだぞ。」

「え~~っ!茨城のおばちゃんが?!」


一筋の光が射したようです。

母のケアはおばちゃんと交代して、来週早々に出発するとして、
それまで自転車で走ったであろう距離、そしてそこまでの列車の所要時間を合計してみました。
途中まで列車で行くにしても、ルートは東海道線を京都まで行き、
そこから山陰ルートを通って山口県・小郡に抜ける。
そう、自転車で走るルート通りにしたいと思いました。

山口県・小郡

ここが出発点となりました。

自転車は「駅留め」で送ると5日で到着するとのこと。
ばっちり間に合います。

予期せぬ母の入院のために出発が10日ほど遅れ、出発地も変更になりましたが、
半分あきらめかけていた自転車旅行のスタートとなりました。

                                      つづく
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# by ymweb | 2007-08-13 09:32 | じゃずぎたりすと物語
母は私が中学生の時に胆嚢炎になり、その後定期的に近所の病院に通院していましたが、
治療の際の「輸血」が原因で肝炎になり、その後は家にいても寝たり起きたりの生活がずっと続いていました。
そんな母が台所に立っていたところ急に立ちくらみがして倒れて、頭をどこかにぶつけたらしい。
その光景を見て驚いた弟が、泣きながら隣に家のチャイムを押して、救急車で病院に運ばれたという。

「貴昭、覚悟しておけよ。。。」
兄の現実味を帯びたこの言葉が心に迫り、いても立ってもいられなくなり、
自転車に飛び乗って病院に急ぎました。

クレオソートの臭いが鼻を突く病院の402号室のドアをそっと開けると、
私より先に家を出た父と弟、隣のおばちゃんも来ていました。
このシーンは病気の人が亡くなるテレビや映画でしばしば目にしたことがありました。
とても嫌な予感がします。

母に近づくと、母は力のない弱い声で
「貴昭。。。」
「お母さんはもうだめかもしれないから、克己(弟)の面倒を頼むよ。。。」

隣の家のおばちゃんは目に大粒の涙を流しながら
「そんなことはないから!大丈夫だから!」と母を励ましていますが、
その光景もテレビや映画でしばしば目にしたことがあったので、
むしろ私に絶望感を抱かせました。

これは我が家の一大事で、夏休みに計画している〈自転車日本一周〉どころではありませんでした。

母の心配もさることながら、家事の分担も必要となりました。
私は学校があるので、父が仕事を休んで母のケアや家事を行ってくれますが、
当然私も手伝う必要がありました。

二学期の終業式を終えて学校から帰ると、父や弟は病院に行っていて、
家には誰もいません。
私の机の上には自転車旅行の計画を書き記したノートがそのままです。
すぐさま夕飯の支度や掃除、洗濯などの家事に追われました。

母のいない生活は何と不自由なのでしょう。
明日から夏休みだというのに、このまま母は死んで、このような生活が毎日続くのでしょうか。
不安と失望絶望感で一杯になったその時、電話が鳴りました。
父の声で病院からでした。

「貴昭!! お母さんが。。。。」

「うそ!!」 私はその言葉が信じられませんでした。

                                         つづく
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# by ymweb | 2007-08-10 16:14 | じゃずぎたりすと物語
17〈自転車日本一周旅行計画〉

間もなく夏休み。

学校から帰ってすぐに「自転車日本一周の旅」の準備を黙々としていると、

母が「貴昭、お前夏休みに本当に自転車で行くつもりなの?
お父さんが『危ない』って心配してるよ。」

無視していると、
「まあ、この子は昔から一度決めたことは必ず実行する子だからね。。。」

さすがに母だ。
私の性格を見事に見抜いている。
そう、一度決めたことは誰が何と言っても実行するのです。


高校の夏休みは40日しかありません。
寝る所は「テント」の覚悟ですが、テントのほかに自炊用品が加わるなら、
想像を絶する荷物の量となるので、さすがに食事は外食と決めました。
総予算はというと、すごく自信に満ちて1万5千円です。

そもそも日本一周の距離はどのくらいあるのだろうか?
早速、全日本道路地図を購入して調べてみることにしました。

荷物が多くて重いので、時速15~20キロで1日7時間走れたとして、
走行距離は130キロくらいか。
いや待てよ、晴天の日ばかりとは限らないし、台風も来るかも。。。
では少なく見積もって平均して120キロだとしたら。。。

ゲッ! 日本半周も出来ない!!

やはり高校生の考えです。
まあ何とかなるだろうという、夢と期待に燃えた大雑把な計画は、
それが現実的、具体的な数字になると挫折感を味わいます。

そうです、物理的に言って40日の夏休みに自転車で日本縦断ならともかく、
日本一周することは不可能なのです。

しかし私はあきらめませんでした。
仕方ない。。。
それでは半周ずつ2ヵ年計画で回るのはどうだろうか?
このアイディアがひらめきました。
そうです、この夏休みに東京から南日本を一周して、
来年の夏休みに北日本を一周するということです。

これだと日本の外縁をほとんどくまなく回ることが出来そうです。

計画は以下の通りでした。
東京を出発して東海道をひたすら走り、京都から山陰を通って島根に抜けて、
山口から九州に入り、九州を一周してからフェリーで四国に渡ります。
※当時はまだ沖縄が日本に返還されていませんでした。
徳島から本州の和歌山に渡り、和歌山から京都まで戻ったら、ここで来た道と交差。
琵琶湖の東側を通って北陸へ抜けて、富山から岐阜県高山に抜け、
北アルプス越えをして松本に出て、そこから甲州街道を東京まで帰るコースです。
我ながら完璧なコースです!

心と体の準備もしっかり整えて、夏休み突入と同時に出発です。

そんな2学期の終業式を4日後に控えた夕方でした。
いつも通りに学校から帰ると、珍しく父が早く家に帰って来ています。
さらにどういうわけか、その父と仲の悪いはずの兄も家にいます。

「ど、どうしたの??」



「お母さんが!お母さんが倒れたんだよ!」

つづく
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# by ymweb | 2007-07-25 05:03 | じゃずぎたりすと物語

16 〈大きな進歩〉

初めてのジャズギターを手にして、相変わらずレコードを聴いては片っ端からコピーする毎日。
フレーズやコードもレコードに合わせれば同じように弾けるようになったものの、
一体どこでこのフレーズを使うことが出来るのかよく解かりませんでした。
コピーしたその曲でなければ適用できないのです。
それで、大筋でコード進行の解かる〈ブルース〉のソロを中心に勉強することにしました。
この練習方法はどうやら大正解だったようです。
同じキーのブルースをコピーしていくうちに、
コードに基づく特定のスケールの法則を発見することが出来ました。

考えてみれば私は兄の影響で古賀正男から入りました。
演歌は曲の構成のそのほとんどが分散和音です。
「そうか、このコードの時にこの音が使えるのか!」
そんな私がコードに基づくフレーズを理解することは比較的簡単でした。
ギターの演奏に固執することなく、ブルースの入っているレコードを選んでは
自分の好みのフレーズだけをピックアップしてコピーして弾けるようにしました。

そんなある日、また一つ大きな発見をしました。
スタンダード呼ばれているたいていの曲はその終わりの部分で
ブルースで使ったのと同じようなフレーズが使われていることに気が付いたのです。
それは後に解かったことですが、ジャズのフレーズの基となる、
いわゆるⅡ・Ⅴ・Ⅰのコード進行だったのです。

このことを理解したということは、それまでひたすらコピーしてきたフレーズは
単なるジャズのムード向上や指の運動に終わった訳ではありません。
そうです、コピーしたフレーズのほとんどを有効に活用できるのです。

たちまち多くのフレーズをブルースに当てはめて弾くことが出来て、
しかも〈枯葉〉などのスタンダード曲にも適用出来るまでになりました。
これは大きな進歩です。

たいていの幼い子がそうであるのと同様に、1歳まではほとんど会話が出来ませんが、
2歳になったとたんに堰を切ったようにいろいろな単語を並べて話をし始めます。
それまで表現できなかった文法や単語を心の中で蓄積させ、
ある時期に表現の方法が見つかると突然話し始めるのです。

私の場合もそれと似ているような気がします。

ただ単にフレーズを当てはめて弾くという練習方法を行っているうちに、
同じコード進行内ではフレーズ同士を途中からスイッチして演奏することや、
休符を入れて、残りを16分音符にして弾くことが出来ることにも気付きました。
これは素晴らしい進歩です。

とはいえ、それまで蓄積してきたコピーしたフレーズの量が極めて多いので、
この練習には終わりが無く、考えれば考えるほど気が遠くなる作業でした。
実際のところ私の頭の中は四六時中ジャズのことで一杯でパンクしそうでした。



季節は梅雨になりました。
梅雨が明けると高校生活初めての夏休みがやって来ようとしています。
学業ではなく、ギター生活にかなり疲れていました。
はっきり言って弾き過ぎです。
それで、この夏休みの期間はギターから少し離れて充電期間を設けようと考えました。
部屋に引きこもってギターだけに焦点を合わせた生活から離れることは、
後になって自分のための良い音楽につながると思いました。

そうです、音楽とは無縁の状況に身を置くことを決意しました。
それは精神的にも肉体的にも鍛えられる方法です。
その方法とは誰もが「あまりにも無謀」と口を揃えるものでした。

自転車で日本一周を計画したのです。

                                       つづく
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# by ymweb | 2007-07-12 21:19 | じゃずぎたりすと物語