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宮之上貴昭執筆による長期連載


by ymweb
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35 「アルプス超え」

「貴昭はギター弾くんやったな?! 上手いんやろ?」

いろいろなことがあって少し忘れかけていた「ギター」というキーワードに、
思わず体もピクッと反応してしまいました。

「ギターがどうした??」
通弘の親友で広田君というギターが上手なのがいて、
昨日私のことを話したら、是非家に遊びに来てほしいと言っていたそうだ。
早速二人で彼の家に行くことにしました。

途中おなかが空いてきたので、学校帰りに通弘がよく行くという
「お好み焼き屋」さんに入りました。
実はこのとき私は生まれて初めて「お好み焼き」というものを経験したのです。
おばちゃん一人でやっている小さなお店でしたが、
キャベツに紅生姜や天かす、玉子などを小麦粉で溶いた汁でかき混ぜて焼く、
そんなスタイルでした。
嬉しかったのは値段です。
ボリュームがあるのに、たった30円でした。
通弘がちょくちょく学校帰りに寄るのも納得です。
こういうお店が東京にも欲しいなと思いました。

おなかも一杯になったところでまた自転車を走らせ、
川のすぐそばにある広田君の家に着きました。

すでに庭の方からギターの音が聞こえてきます。

「お~いっす!!」
慣れている通弘が垣根の横から庭に入り、私に指で「おいで」と合図しました。

「ほら、昨日話した貴昭。」

細身で長身の広田君の目は優しくて表情も笑顔で溢れていたので、
初めて会ったにもかかわらず、すぐに打ち解けて仲良しになりました。

しばらくは広田君の演奏に聴き入ることにしました。
使っているギターはフォークギターでしたが、フォーク以外に、
クラシックやポップスなどの曲をいろいろ弾いてくれました。
毎日練習しているのでしょうか、とても上手です。

「ねえ、弾いて弾いて!!」
もちろん遠慮しないで触らせてもらうことにしました。

例によって、みんなが知っていそうなポップスや歌謡曲から弾き始めて、
次にピックを使ってベンチャーズや寺内タケシで テケテケテケテケ
そして演奏はもちろんジャズにと発展していきました。
短い時間にこれまでの私の音楽のダイジェストです。

「よしあきさんは上手だね~~~」
広田君のこの言葉にますます気を良くして弾き続けます。

広田君と通弘から「飽きた」という雰囲気は感じられません。
もしそうだとしても、もっと弾いていたいのでほっておきたいと思います。

「いらっしゃい!」
広田君のお母さんがスイカを切って持ってきてくれました。

しばし休憩をしていると通弘が突然、「泳ごうか!」
そう言ってシャツを脱ぎ始めました。
広田君も「お~っしゃ!!」と言ってシャツとズボンを脱ぎ始め、
二人ともパンツ一丁になりました。

どうやら裏の川で泳ぐようです。

「ほれ貴昭も!」

二人の暗黙の了解に圧倒されて、私もズボンとシャツを脱いでパンツ一丁になって
彼らの後に着いて行きました。
草むらを30歩も下れば、そこには幅が10メートルくらいの川が流れています。

みんな一斉に飛び込むように川に入りました。

川で泳ぐということ自体、私にとって生まれて初めての経験です。
水は青く透明でした。
流れもあるし、いきなり深いところもあるので実にスリリングです。
潜ると小さな魚も見えました。

「うあっ!!蛇だ!!逃げろ~~!!」
私の真横を茶色の蛇が平行して泳いでいます。

水をかけ合ったり、水中で3人一緒にでんぐり返りをしたり。。。
考えてみれば年上の私でさえ15歳、彼らはまだ中学2年生。
はしゃぎたい盛りでもありました。


かくして、居心地の良い高山におもわず3日間も滞在しましたが、
いよいよ出発の朝が来ました。

「日本の屋根」と称される北アルプス越えの試練が待っています。
この厳しい行程は旅行計画を立てている時から覚悟していました。
しかしここでしっかり充電して十分活力を得たので元気一杯です。
今までのように弱気にはなりません。

そんな時おばちゃんが一言。
「兄さん呼んで途中まで送っていってもらうか??」

ひぇ~~~!! それは勘弁してください!!!
大丈夫です、行けます一人で!

玄関先には通弘と康宏、そして広田君も駆けつけていています。

「さようなら!」
愛車レッド号にまたがり、思い出の飛騨高山を後に、いざ出発!

えんやこら えんやこら。。。。

街を出るとほどなくして、ちんたらと上り坂が続きます。
覚悟していた通りです。

しかしこの上り坂が、峠に近づく頃には非舗装の砂利道になってさらに傾斜を増し、
長野県の県境の「安房峠」まで48キロ続きます。
そう、48キロも上り坂が続くことを考えるだけで気が遠くなります。

えんやこら えんやこら。。。。
まだ道路は舗装してあるというのに、坂がいくらか急になるだけで、
ペダルを漕ぐ力が負けてしまい、自転車を降りて押さないと進めません。
次のカーブを曲がり終えたらまたすぐに次のカーブが見えてきます。
少し道がなだらかになったらペダルを踏んで、また降りて押して。。。
峠までは確かに気が遠くなるような道のりです。

これって、ギターの練習にも同じことが言えるかもしれません。
難しいフレーズをどこまで同じ演習を繰り返したら弾けるようになるのか、
練習している時にはまるで先が見えません。

自転車旅行の楽しみが、ようやく登りきって峠を越したダウンヒルにあるとすれば、
ジャズギターの楽しみは練習したフレーズがしっかり身に付いて、
スムーズに弾けるようになることかもしれません。
どちらの場合も、近道はありません。
堅実に一歩一歩踏みしめて歩まなければならいのです。

えんやこら えんやこら。。。。

そんな偉そうなことを考えて気を紛らわして進んでいると、
ようやく第一の難関の「平湯峠」に着きました。
ひんやりとした空気が気持ち良い。
それもそのはず、標高はなんと1.684mです。

「平湯館」という老舗っぽい旅館の前でしばし休憩しました。
玄関先にはこの辺に出没したのでしょうか、小熊がつながれていました。
近くにある「平湯大滝」で、観光客に記念スナップを撮ってもらった。

北アルプスを越えるためには、さらにもう一つの峠を越す必要があります。
それで勢いと気力が残っているうちに再び出発!

束の間の下り坂の気持ち良さを経験するも、せいぜい額の汗が乾く程度。
道幅は急に狭くなって、道路は非舗装の砂利道になりました。
もはやペダルを漕いでは進めません。
私の両足はすでにパンパンで膝もガクガクし始めました。

悪魔の坂は、峠が近づくにしたがって自分の時の短いことを知り、
最期のあがきを始めたようです。
時たま通る車の土ほこりも進行の妨げに拍車をかけます。

次のカーブで峠かな。。。 違ったな、では次かな。。。
期待と失望の連続です。

気のせいか、次カーブの先がいくらか明るく見えます。
何か書いてある標識が近づいてきます。

「安房峠・標高1.790m」 「長野県」

やった~~~~!!!!!!
ついに日本アルプスを越えたのだ!

ここからはずっとダウンヒルが続き、安曇野の里を軽快に疾走して松本に到着、
さらに塩尻まで南下しました。

アルプス越えでかなりの時間を費やしたため、日もずいぶん傾きました。
そろそろ今夜のねぐらを探さなければなりません。

その時、ある光景を見た瞬間、私の目から涙が溢れ出しました。
道路標識には「国道20号」と書かれているではありませんか。
我が家のすぐそばを通る20号線、そう、甲州街道です。

順調であればこの自転車旅行も今夜が最後で、
明日はいよいよ家路に着くはずです
岡谷市街まで進んだところで国道横にお寺を発見。
ご住職に事情を話して本堂に泊めていただくことになりました。

いよいよ明日、お父さんやお母さんたちの顔を見れると思うと、
心がうきうきしてなかなか寝付くことが出来ないかな。
これまでの自転車旅行のことが走馬灯のように駆け巡る。。。
と思いきや、あまりの疲労感で爆睡しました。

いよいよ次回「最終自転車旅行記」 乞うご期待!

                           つづく
写真 平湯峠・平湯大滝
じゃずぎたりすと物語 35〈アルプス超え〉_e0095891_425771.jpg

# by ymweb | 2008-05-25 04:25 | じゃずぎたりすと物語
34 〈恐怖の「んほほ」おじさん〉

青い小型トラックは私を通り越したところで急停止しました。
そしてまたキキーッと勢いよくUターンして反対車線の私のすぐ横に車をつけました。

「よしあき君か?? そうじゃな!?んほほ。」

何だ何だ??
知らないおじさんが運転席の窓から私に声をかけました。

「弘子の義理の兄じゃよ。ほほ。」
「連絡があっての、迎えに来たんじゃ。んほほ。」

どうやら体調不良を心配した弘子おばちゃんが迎えをよこしたらしい。

「ほれ、自転車を荷台に積みなさい!」

昨日の夜はえらい目にあったのでほとんど睡眠が取れず、
体調も最悪だったので、これはまさに地獄に仏。
言われたとおりに愛車レッド号を荷台にくくり付けて、私は助手席に座りました。

「はじめまして!よろしくお願いします。」
そう挨拶すると、おじさんは「んじゃ行くか、んほほ。」と言って走り出しました。

車の中でいくらか寝れて休めると思った期待はすぐに消し飛ばされました。

「よしあき君は ほほほ、旅に出てどのくらいになるのか?んほほ。」
キーーーーーーーーーッッ!!
「あんたのお父さんはよく知っておるんじゃがな。んほほ。」
キーーーーーーーーーッッ!!

スピードメーターは直線で90キロを越えています。
ひぇ~~ 助けてくれ~~ 恐~~~い!!!!

この地域では「全てのカーブでローリングしてタイヤを鳴らさなければならない」
こんな法規でもあるのだろうか。

(降ろしてくれ~~~~~~)

途中、父の生まれた神岡の街を通ったはずだけど、
感慨に浸るそんな余裕など全く無いまま、車は飛騨古川から国府を経て
あっという間に高山の街に入って来ました。

おじさんの運転もおとなしくなりました。
おじさんはどうやら山道で燃えるタイプのようです。

荷台を覗くと、真ん中にくくりつけていた愛車レッド号は左端に大きく移動していました。

「ほほほ、着いたぞ。んほほ。」
弘子おばさんの家は高山市の街中から少し外れたところにありました。

トラックのエンジン音を聞いて家からおばちゃんが出てきました。
「貴昭!! まあまあよく来たね。」
長く一人旅しているので、久しぶりに見る「知っている人の顔」でした。

おじさんは荷台からレッド号を降ろしてくれています。

「寝ていないんじゃろ? 顔色が悪いよ。」
今の顔色の悪さはひょっとしたらおじさんの運転のせいかもしれません。

「義兄さんありがとう」
おじさんは寄らずにこのまま帰るみたいです。

「中へ入って休みなさい。布団も敷いてあるよ」

「あれっ?通宏と康宏は?」
2つ3つ年下の仲の良いいとこの姿が見えません。

「二人とも用事で出かけとるで、夕方には帰るでな。」

「自転車旅行のこともいろいろ聞きたいんやけど、今は休んだらええ。後でゆっくり聞くわ」

「そうそう義兄さんの運転恐かったやろ??」
「元レーサーやったんよ。」

うひゃ~~ どおりで。。。。

布団に入ると間もなく爆睡モードに突入。

いい匂いと、聞き覚えのあるいとこたちの声で目を覚ましました。

「おはようございます」

ドアを開けると食事の支度が整っていて、
「おっ、貴昭!目が覚めたか?」
弘子おばちゃんの旦那と、いとこたちが座っていました。
一眠りしたので時間の感覚が無くなっていて、
朝だと思い込んでいましたが夜の7時でした。

「やあ通宏! おっ康宏!」

いとこたちと久しぶりの再会で話が弾みます。

「おじさんの運転で来たん?!」
「僕ら怖いから絶対に乗らんもん。」

おばちゃんの作った美味しい料理をおなか一杯食べて、
夜遅くまで笑い声が絶えずに盛り上がりました。


翌朝、いとこの通宏の提案で高山の街を散策することにしました。

白川郷などにある取り壊しの決まった合掌造りの家を高山市内に移転して、
文化遺産の価値を持つ大きなテーマパークを作るという企画があって、
すでに何軒かが市内に移されているという。

それならわざわざ白川郷まで行かなくても合掌造りの家を見ることが出来ます。
早速通宏と自転車で行ってみました。

釘を1本も使用していないというこの建造物は、3、4階建てになっていて、
小さなビルほどもある大きさ。
残念ながら中に入ることが出来ませんでしたので、玄関口から覗き見ました。

「黒い」
そう、中央に置かれた囲炉裏から放たれる煤(スス)が建物の隅々まで充満して、
こびり付くことによって建築強度を増し加えているそうです。
先人の素晴らしい知恵です。
この薪を焚いたような匂いもたまりません。
気分が落ち着いて、ここに泊まりたいという衝動に駆られました。

しばし飛騨の山里の情緒に浸って丘を下る時、通宏が叫びました。
「貴昭、ほらっ 乗鞍!」

街の遠く向こうに、夏だというのに雪をかぶった北アルプスの乗鞍岳が見えます。
その名の通り、馬の鞍のようななだらかな形をしていますが、
標高は3.000mを超えています。
さらに左に目を向けると、やはり3.000mを越す穂高連峰がかすんで見えます。
さすがに「日本の屋根」と言われる北アルプスの景色です。

山に囲まれた美しい景色の高山という土地の魅力を再認識しました。
しかし同時に不安で一杯になりました。
この「日本の屋根」、北アルプスを越さなければ家に帰れないのです。

思いに浸っていると、突然通宏が
「貴昭はギター弾くんやろ?!」

ん? なんだ突然。

                              つづく

写真:合掌造り
じゃずぎたりすと物語 34 〈恐怖の「んほほ」おじさん〉_e0095891_15432489.jpg

# by ymweb | 2008-05-05 15:42
しかし何の権限があってここにテントを張っていることに文句言われる筋合いがあるのでしょう。
恐怖の中にも何だか釈然としない感情が沸いてきました。

公園の街灯がテントを少し照らしていたのですが、その光が一瞬さえぎられました。
彼らはこのテントのすぐ近くにいるようです。
寝袋の中からじっと息を殺して様子を伺いました。

横に停めてあるレッド号の荷物には地図や洗濯物などだけで、
金目のものも一切ありませんから、何か持ち去られる心配はなさそうですが、
カメラはシーツの下に隠しました。

彼らもこちらの様子を伺っているようです。

テントの外に出て行かない限りは、このテントの中の人物が力道山のような強い男かもしれず、
ひょっとして極悪なヤクザかな、と思うかもしれません。

しかしその私のかすかな期待は無駄であることが判明しました。
横にはいかにも自転車旅行中というレッド号を停めています。

ガ~~ン!!
力道山や極悪ヤクザは自転車旅行しません普通。



そばにいるであろう彼らの前に、勇気を持って私から出て行くことにしました。

「何ですか? 何か用ですか?」

街灯に照らされた彼らの風体は、いかにもチンピラを代表する格好をしています。
一人は派手な赤と青の柄のシャツを着ていて、もう一人の竹刀を持っている方は
肌着の上に直接スーツを着ちゃってます。
年は20代前半でしょうか。
二人とも笑っちゃうくらいチンピラの格好です。

「自転車旅行か?」

その「肌着スーツ」の兄ちゃんが私に聞いてきました。

「ヤクザならともかく、チンピラはとかく危険で扱いにくい」
そんなことを聞いたことがあったので返答はやわらかく注意深くありました。

「ええ、そうです。」

すると彼が竹刀でレッド号の前輪のタイヤをポンポンと叩きながら、
「誰の許可を得てここにテント張ってんだ!? ん?」

こっちこそ(何の権限であなたに言われなければならないんだ? ん?)
と聞き返してやりたかったけど、とてもそんなこと言える空気ではありません。
こういう輩は人をからかって楽しんでいるだけです。

「お金が無いからです。」
率直に答えました。

柄シャツが勝手にレッド号の荷物を空けて物色しています。
暗いのでよく見えなかったのでしょう、洗濯物のパンツを手で持って、
「なんだこれは!?」
「うわっ パンツだ! 汚ね~~!!」

(確かに汚いけど、勝手に触ったのはあんたでしょ? ははは~のは。)
もちろん口には出しませんが。

「あの。。。 何も大したものはありませんから。。。」

この言葉に「肌着スーツ」が反応しました。
「何!? 俺らは泥棒ってか?」

「柄シャツ」も汚れ物のパンツを触ったことで少しピリピリしていたのでしょうか、
同調して「何? 泥棒?!」
私に近づいたとたん胸倉を思いっきりつかんできました。
痛っ!

(これは確実に殴られる。。。。)


覚悟していると、急に胸倉を掴んでいる彼の手の力が抜けました。
どうしたことでしょうか。
「肌着スーツ」と二人、顔を見合わせるや、そそくさと暗闇の方に走り出しました。

私が後ろを振り返ると、柵の向こうの細い道路から白い自転車の明かり。
そう、彼らが目にしたのは巡回中のお巡りさんでした。


「そこはテント張ってはダメですよ」
若いお巡りさんが叫びながらこちらに近づいてきます。

事情を話しました。

「警察官としてはここに宿泊することを許可することは出来ないけど、
明日の朝明るくなったらすぐに出発しなさい。」
融通の利く警察官でした。

「彼らはもう来ないでしょうけど、念のために後でまた回って来ます。」
こう言い残して去っていきました。

テントの中に戻って寝袋に入りましたが、興奮していて当然寝付けません。
掴まれた胸倉が少し赤く腫れていました。



外が明るくなってきました。
いくらか寝れたのでしょうか、起き上がったら少し意識が朦朧としています。

お巡りさんの言い付け通り、日の出と共に出発することにしました。
テントをたたんでいると、レッド号の周りはチンピラがばらまいた洗濯物。
昨夜の恐怖が蘇ってきました。

野営することは常にこういった危険を覚悟しなければなりません。
それにしても危機一髪のところをお巡りさんに助けられました。

少しふらふらとしながらも気を取り直して出発!
頭の中の音楽に合わせてペダルを踏みますが、今回頭を流れている音楽は。。。

「♪も~しも~しベンチでささやくお~二人さん♪」
「♪野暮な説教するんじゃないが~ ここらは近頃物騒だ~~♪」

もちろん「若いお巡りさん」です。
本当に物騒でした。

ただし私には歌詞にある「早くお帰り」の気持ちは大きいのですが、
「今なら間に合う終列車」の代わりに自分の足でペダルを踏まなければなりません。

国道8号線を進んでいくと富山の市街地に入りました。
神通川に沿って南下し、国道41号線に出て飛騨高山に向かいます。

父は飛騨神岡の生まれのため、親戚が大勢飛騨地方にいます。
富山市内から高山に住む親戚に電話することにしました。
当時は現在と違って遠距離通話料金が異常に高いため、
こうして比較的近くまで来てから電話をかけることにしていました。

高山には仲良しの従兄弟たちが住んでいます。
電話に出たのは父の妹、つまり私の叔母さんでした。

「貴昭、今どこにおるん?」
「お兄さん(父)から聞いとるでな、貴昭が自転車で旅行しとること。」

今富山にいて高山に向かっていることと、
あまり寝ていないので体調が思わしくないことを報告しました。

「41号線を来るんじゃろ? くれぐれも気をつけてな。」

弘子叔母ちゃんは昔から優しくて大好きな人でした。

神通川を横に見ながら、国道は山に吸い込まれていくようにゆっくりと登っていきます。

「猪ノ谷」というところから越中西街道と東街道に分かれます。
高山までの距離はどちらもほぼ一緒のように思えますが、
父の生まれた神岡を通ってみたかったので、
ここは迷わず東街道、つまりそのまま国道41号を走ることに決めました。

睡眠不足と炎天下に加えて長い上り坂のために体の疲労と衰弱が激しく、
頭痛と吐き気ももよおしてきました。

見通しの悪いカーブを曲がろうと大きくペダルを踏んだその時です。
正面から青色のトラックが私に向かって猛スピードで突進してきました。

あっっっ!!!

ギギ~~~ッ!!!

                                  つづく



写真:国道41号線を高山方面に向かう。
じゃずぎたりすと物語 33〈若いお巡りさん〉_e0095891_150478.jpg
# by ymweb | 2008-04-03 15:01 | じゃずぎたりすと物語
32〈安堵と恐怖 それぞれの一夜〉

「あの~~。。。 こんばんは」

寝袋に入ったままテントの入り口のチャックを開けると、
この家の奥さんが立っていました。
「もうお休みになられましたか??」
「私のところはこれから晩ご飯なんですけど、よろしかったら一緒にいかがですか?」

寝袋には入っていましたが、まだ寝入ってはいません。

「あ、はい。」

時計を見ると時間はまだ7時30分を指しています。

今日はよく走って疲れたので早めに寝ようと思っていました。
しかし「ご飯」というキーワードに思わず反応して
「ありがとうございます、いただきます!」と条件反射で答えました。

昼間の「肉丼」の悲しい思い出が後を引き、食堂に入る気が失せて、
考えてみれば夕食は商店に入って買ったコッペパン1つと牛乳1本だけでした。

広い家です。
玄関から食堂に案内されると、ご主人はすでに座っていてテレビを見ていて、
テーブルの上にはご馳走が並んでいました。

(わお~~~!!)

ご主人が「さあ食べてください」。

遠慮なくいただくことにしました。

一人息子が最近結婚して会社のある金沢に住むようになったため、
現在はこの広い家に夫婦二人で生活しているそうです。
これまでの自転車旅行体験談をいろいろと話すと、
初老の夫婦は話に興味津々聞き入っていました。

すっかりご馳走になり、心の栄養もいただいてお腹一杯になりました。

「部屋が空いているからそこで寝なさい」と勧めてくれましたが、
すでに庭にテントを張ってあるし、そこまで甘える気になれず、
「慣れていますから」と言って自分のねぐらに戻りました。

翌朝、気持ちよく目覚めてテントをたたんでいると奥さんがやって来て
「これお弁当」と言って私に手渡しました。
おにぎりのようです。
「朝食も一緒にと思ったんですけど、まだ寝てらしたようで。。。」
このご夫婦の優しい気遣いに感謝しました。

さて心身ともにリフレッシュしてまた出発。

さて、出発して間もなく愛車レッド号の前にのどかな光景が現れました。
牛が荷車を引いて道路を走っています。

「すみません、写真撮ってもいいですか??」

真っ黒に日焼けした農家のおじさんは何も言わなかったけど、
失礼して「パチッ!」

じゃずぎたりすと物語 32〈安堵と恐怖 それぞれの一夜〉_e0095891_15174384.jpg


国道8号線に出て加賀市を通過して、ひたすら金沢方面に向かいました。
道はそれほど広くはないけれど、平坦で交通量も比較的少なく走りやすい。

午後になって金沢市内に到着。
せっかくここまで来たのだからと、日本三大庭園の「兼六園」を見学すべく、
案内標識に従ってレッド号を走らせた。

それほど高くない入園料を払って中に入り、早速庭園を散策。

う~~ん  美しい、しかも 何と広いのだろう。
この木の枝はテレビで見たことがあるぞ。
冬に雪で折れないように紐でくくってあるんだな。。。

確かに日本三大庭園の一つだけあって規模も大きく手入れも行き届いていました。
しかしこれまでほぼ日本を半周して自然の美しい景色をずっと見てきた私にとっては、
それほど感動を覚えなかったことは事実です。

さくっと一回りして戻り、また愛車レッドにまたがって出発しました。

津幡から小矢部を通過してさらに国道を進んでいくと、陽もだいぶ傾き始めました。
そろそろ今夜のねぐらを確保する時間帯です。
今日中には距離的に無理ですが、明日は飛騨高山まで行こうと決めてあります。
というのは、父が飛騨出身の人なので高山周辺には親戚の家がたくさんあります。
昔から仲良くしている従兄弟も二人高山に住んでいますので、
そこに泊まって世話になろうと言う魂胆です。

そんな明日の楽しみを胸に、わくわくした気持ちで走っていると、
突然道路がでこぼこになり、ハンドルをとられてとても運転しづらくなりました。
気が付けば道路に路面電車の軌道が平行して走っています。
そうです、高岡の街に入って来たようです。

道から少し脇にそれてしばらく進むと、林に覆われた小さな公園がありました。
あたりには民家が無く、まだ夕方だというのに薄暗くて少し不気味な公園でしたが、
時間も時間でしたから、目立たない場所にテントを設営しました。
管理人がいそうな建物も見当たりませんでした。

設営が終わったテントの中に入って回りを整理して、
買ってきた惣菜とお弁当を広げて夕食の準備です。
牛乳はパワーをつけるために夕食の必需品です。
自分に「お疲れ様!!」と言って食事をいたきます。

外はすでにすっかり暗くなっていますが、この時です。

遠くで「おいお前ら!何いちゃいちゃしとんだ!バシッ!」
「ん??こりゃ!!バシッ!」

明らかにチンピラのような柄の悪いお兄さんが二人、
公園のここから一番端のベンチにいたカップルをからかっている風でした。

そっとテントを開けて様子を伺うと、
竹刀のようなもので脅しているのが遠くに見えます。
アベックはそそくさと逃げていったようです。

(こっちに気付くなよ。。。) ランプを消して息も殺してました。
こちらに気付く様子はなく、このままこの公園を去っていくのかな。。。
と安心した瞬間「おい!あんなところにテント張っているのがおるぞ!」

気が着いたようです。
足音が近づいてきます。

「われ!誰じゃ勝手こんなとこにテント張ってるの、出て来い!!」

うわっ。。。。

15歳の宮之上少年、絶対絶命のピンチです。。

                         つづく
# by ymweb | 2008-03-18 15:18 | じゃずぎたりすと物語
じゃずぎたりすと物語 31 〈北陸へ〉_e0095891_4312544.jpg

朝、目を覚まして布団に入ったまま上を見ると格子の天井が見えます。
屋根の下で寝るという、当たり前のことがとても幸せに感じます。
とりわけここ「炭屋旅館」は居心地が良くて、熟睡することが出来ました。
しかし「素泊まり」ですから朝食は付いていません。
同室の外人たちは出発したのでしょうか、すでに部屋にはいません。

チェックアウトまではまだ時間があったので、
行程や費用の面で、後半となった自転車旅行の計画を再確認しようと思います。

自転車の故障や体調の面など、いろいろなことがあったものの、
ここまでかなり順調に進んで来たことが分かりました。
費用面も切り詰めてきたので、今のところ心配はなさそうだし、
日程的にもいくらか余裕がありそうです。
せっかくの京都ですから、もう少し名所を探索したいと思いました。

快適だった宿を出て、嵐山に向かいました。
松尾から嵐山の渡月橋を渡って太秦へ。
夏休みということもあって京都の街はどこも観光客で賑わっていました。
結局、京都の街を出たのは午後になってからでした。

しばらく交通量の多い東海道を走り国道8号に出てそれを北上。
今日の目的地は琵琶湖の湖畔に位置する近江八幡にあるユースホステルです。
日程的にも金銭的にも少し余裕があったので、距離もあまり稼がず、
ひょっとしてまたギターが弾けるかな?という期待も込めての計画でした。

予約していなかったので満室が心配されましたが、どうやら泊まれそうです。
古くてなかなか趣のある建物でしたが、昨日の旅館の居心地があまりにも良かったので、
ついつい比べてしまいます。
しかし残念ながらギターは誰も弾いていませんでした。

今日の宿は、明日からのパワーを蓄えるためのものだ!
そう勝手に心に決めて、夕食でまたご飯を6杯もおかわりして、
早めにぐっすり寝ました。

翌朝、熟睡したお陰で宿泊客の誰よりも早く起きて朝食を済ませ、すぐに出発しました。

真っ青な空の下、ほぼ琵琶湖に沿って8号線をしばらく北上すると、
左手前方に城が見えてきました。
彦根城です。
その美しい姿とうっそうと茂る涼しげな森の魅力、そして空腹も手伝って、
吸い込まれるように城のすぐ横まで来てしまいました。

思ったとおり空気はひんやりしていて、時おり吹き抜ける風がとても気持ちがいい。

と、目の前には「肉丼・親子丼」と書かれた小さな食堂が。
朝食もしっかり食べて出発したはずなのに、
自転車はよほどカロリーを消費するのか、すぐにおなかが減ります。
まだお昼前でしたが「営業中」と出ていたので入ってみることにしました。

とても綺麗とは言えない店内にはおばちゃんが一人。
「はぁい。」

「笑顔」も「いらっしゃいませ」もない、何とも無愛想な接客。
入ったとたんに出たくなりましたが、
(こういう店に限って家庭的で美味しいかも・・・)などという
かすかな期待を込めてテーブルに腰をかけました。

壁に書いてあるメニューを見ると
親子丼と肉丼がそれぞれ300円。

ゲッ!  高~~い!!

そうか、ここはいちおう観光地なんだな。。。
小汚い店のくせに値段だけはいっぱしに取るな。。。

「に、肉丼お願いします!」
少し勇気を奮って、そして少し期待を込めて注文しました。

するとほんの1分後、その「肉丼」とやらが出てきました。

なんぢゃこれは!!!???

何か肉片のようなものが丼ぶりに盛られたご飯の上に3切れ。
それだけ。 たったそれだけ。

15歳とはいえ宮之上少年は、どこで食事しても美味しくなくても、
作ってくれた人に感謝を表して「ご馳走様」を言うんだよ、と親から躾けられてきました。
しかし今は嫌です、言いたくありません。

実はまだお腹は満たされていませんでしたが、
強い意思表示を示してあえて半分残し、
黙って大枚300円をテーブルに置いて店を出ました。
消費しているカロリーの体に「肉」という文字は弱いものの、
ここまで「鼻が利かない」自分が情けなくなりました。
それ以来「彦根」という地名を耳にするたびにこの店の肉丼を思い出します。
食べ物の恨みは恐ろしいです。

嫌な思い出の彦根城を後にして8号線をさらに北上し、
長浜を過ぎて琵琶湖の北端に位置する木之本から先は山道になります。
峠を越せば近畿とお別れして北陸の福井県に足を踏み入れるわけです。

よいしょっ! よいしょっ! 男だ!登れ!

訳のわからない気合を自分に入れて峠を登っていきます。

ヒェ~~イ!!! 気持ちいい~~!!!
自転車旅行の醍醐味の99パーセントはペダルを踏まない下り坂の
いわゆる「ダウンヒル」にあります。

あっ!!!  日本海だ!!
紺碧の海が両脇の山に抱えられるように姿を現しました。
そう、敦賀湾です。
いよいよ私を乗せた愛車レッド号は北陸までやってきました。

しばらくトンネルの多い国道を海沿いに走った後、
鯖江の街を通過して福井市内に入りました。
昨日まで少しサボった分、今日は行けそうなところまで走ろうと思いました。

福井市を越してしばらく走っていると、「金沢74Km」と道路標識が出ています。
金沢・・・・
ペダルを漕いでいる自分の足を走りながら見つめて、
我ながらよくこんなところまで来たものだと思いました。

このまま進めば確かに金沢まで行けるかもしれませんが、
地図上で昔からずっと気になっていた景勝地を訪れることにしました。
国道から左にそれて海辺の三国町に進路を取ります。
そう、向かうは「東尋坊」です。

三国に着くと街中が魚の匂いに包まれていました。

「東尋坊」の道路標識にしたがって進んで行くと、
いつの間にか海岸線はその形相を変えてきました。
狭くなった道は小高い丘に強制的に連れて行きます。

凄い景色です! 
何という高さでしょう、海が断崖になっています。
「自殺の名所」としも有名だそうですが、なるほどここから飛び降りれば
生きては戻れないと思いますし、死体もまず上がらないでしょう。
この景色に圧倒されて、しばし茫然としていました。

気が付けばもう夕方になっていました。
今日はずいぶん走りました。
そろそろ宿泊場所を決めなければなりません。
国道に戻る途中の芦原温泉に程近い場所に、ひと際大きな庭のある家を発見。
交渉すると、庭にテントを張ることを許可され、そこに宿泊することになりました。

二日間さぼった付けが回ってさすがに今日は疲れましたが、
この旅行も終盤になってきました。
旅行は苦しくもあり、楽しくもありなのですが、
私にとって一番きついのは何といってもギターが弾けないことです。
確かにお父さんやお母さんの顔も見たいけど、ホームシックというよりは
ギターシックです。

ジャズを弾きたい。。。聴きたい。。。

そんな思いで寝袋に入って横になりました。

その時です! テントに近づく人影が。。。。

                          つづく


写真:名勝「東尋坊」と愛車レッド号
# by ymweb | 2008-03-03 04:31 | じゃずぎたりすと物語