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宮之上貴昭執筆による長期連載


by ymweb
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じゃずぎたりすと物語54話 
「最果ての町で少しモテモテ?」

1969年8月7日(木) 天塩→稚内

目覚ましが鳴ったけど(もう少し・・・)
昨日運ばれた死体の関係者なのか、
周囲がざわついていて、気が付けば8時半。
死体の隣に寝た割には熟睡することが出来ました。(^^;

すっかり遅くなってしまって、出発の準備を整えていたら、
奥さんが朝食を食べていくようすすめてくれました。
しかも忙しい中でお弁当まで作ってくれていました。
とても優しい方でした。

出発の時、ミニスカートの女の子がお墓を掃除しに来ていました。
うわ~~っ! 見えちゃいますよ!
16歳、少し恥じらいの宮之上少年でした。(^m^ )


地図はわりとインチキで、国道232号線の振老(フラオイ)から先の
40号線に出れば舗装道路と記されているにもかかわらず砂利道だった。
おまけに雨も降ってきたのでカッパに着替えて、
濡れてはまずい毛布などの荷物にビニールで防水を施しました。

雨は一時的に止んだものの、豊富(とよとみ)で大雨になり、
商店に入って10円のキャラメルを買って雨宿りをし、
お弁当をいただくことにしました。
そうしているとお店の人がコーヒーを出してくれました。
少し売り上げに協力しようと?ウィスキーのポケット瓶を買いました。
1日の完走のご褒美に?毎晩1杯ずつ飲むことにしました。
はい、もちろん未成年です。( ´,_‥`)プッ

実はここから10キロほど走って日本海に出た
稚咲内(ちさくない)というところに、
砂丘原始林というのがあるので行って見たかったのです。
しかしこの雨なので、そこは残念ながら諦めることにしました。

ようやく雨も小降りになって出発し、徳満というところに来ると
「サロベツ原野展望台入り口」と書かれた看板が出ていたので、
そこに行ってみることにしました。

「宮の台」という場所にある展望台に登ると・・・

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360度ほとんど地平線で見渡す限りの草原。
さすがにサロベツ原野ど真ん中の風景です。
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独り静かにしばし眺めに浸っていると、

「こんにちは~!」 「わ~っ!日本一周?」

下に停めてある愛車レッド号の荷物に書いてあるのを見たようで、
少しインテリっぽい若い女性が声をかけてきました。
メガネをかけているけど、とても美人でした。

「私とても興味があるの、ねえお話聞かせてくれない?」

「僕は東京からです、先を急ぎますのでこの辺で!」

照れと恥ずかしさ、格好付けの16歳宮之上少年でした。

おいおい!何考えてんだ?(。´-д-)。o○
時間よ~~~その日に戻れ!!(笑)



愛車レッド号は最果て稚内の街に入って来ました。

稚内市は思ったよりは大きな街ですが、
どことなく寂しさが感じられます。

今夜もお寺に泊めてもらおうと2ヶ所訪ねたけど、
残念ながらどちらも断られてしまいました。
仕方なくユースホステルに電話したところ、
このユースホステルも満室だったけど、
稚内公園に「青年の家」という宿泊施設があるので、
そこに行ってみるよう勧められました。

稚内公園は海と街を一望出来る山腹にありました。
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※写真は現在の稚内公園からの眺め

「ユースホステルが満室だったので、
そこで紹介されてやって来ました」

受付のオヤジは
「そのような考え方だったら宿泊お断りだ!
うちはユースホステルの代用じゃない!」

私の言い方が気に入らなかったようですが、
それにしても何とひどい言い方でしょう。

現在と変わらず?感情がすぐ顔に出る宮之上少年は
「別にそう意味で言ったんぢゃね~よ!」と反論してオヤジをにらんだ。
オヤジがまだ話をしている途中で、隣にいた受付の美人お姉さまが、
「荷物は2階の講義堂に置いてください、4時までは部屋に入れませんので」
まるで(気にしなくていいわ、この人はいつもこの調子なのよ)
そう言わんばかりでした。

私はどうしてもこのオヤジと決着を着けたかったけど、
ここは美人に免じて勘弁してあげよう、そう思うのでした。(笑)

4時を過ぎて荷物を部屋に置くと、
集会室にオルガンと、何とギターがあるではありませんか!!!

久しぶりにギターを手にして早速弾いていると、
「聴かせてください」
そう言って若い男の人二人が近づいて来ました。
今夜私と同室になる二人でした。

得意気に演奏していると彼らはよほど音楽が好きなのか、
熱心に聴き入ってくれました。

彼らの話によると、この「青年の家」は規律が厳しくて、
「夕べの集い」や「国旗掲揚」「ラジオ体操」までが義務付けされています。

早速「夕べの集い」で自己紹介させられました。
次は国旗を降ろす行事に参加です、見ているだけですが。(笑)

夕食の時間、
隅の方で独りで食べていると若い女性二人が隣に座りました。
「どちらから?」勇気を出して訊ねると、東京からの観光客で、
何と渋谷と小金井から来たとのこと。
話を聞いているうちにまた少しホームシックになりましたが、
その後館内で放映されている利尻・礼文島の映画を一緒に見て楽しみました。

何だか素敵な女性と縁があった一日でした。

明日はいよいよ日本最北端の地「宗谷岬」を目指します。

[使ったお金]
ウィスキーポケット瓶150円、キャラメル10円、
アイスクリーム10円、電話代10円、宿泊料580円

※「青年の家」はネットで調べましたがほとんど情報が得られず、
その後ユースホステルになってからしばらくして閉館になったかもしれません。
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by ymweb | 2011-12-28 15:46 | じゃずぎたりすと物語
執筆中の「じゃずぎたりすと物語」は中盤から
「自転車日本一周旅行記」に変わりかけちゃっていますが、(^^;
私にとって15歳~16歳にかけての自転車日本一周旅行は、
体力作りはもとより、根性や気力といった精神態度の原点ともなっています。
まだまだ皆さんにお聞かせしたい、
ハラハラ、ドキドキ、ワクワクの出来事がたくさんあります。
完走するまで引き続き読んでくだされば嬉しく思います。

※記載してある情報は詳細に書き記された当時の日記からのものです。

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じゃずぎたりすと物語 53話 〈死体が!〉

1969年8月6日(水)

寒い、あまり眠れない。
リーーンと目覚ましが鳴ったけど、もう少し、と思ったのが間違いのもとだった。
結局起きたのは8時30分で、顔も洗わずに荷物を整えた。
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出発は9時。
寝坊のバチが当り? 国道232号線は自転車にとって最も走りにくい、
石ころだらけの砂利道がずっと続きました。

何度も転びそうになりながら必死にペダルを漕いでいたところ、
ザザーッと大きなトラックが横に止まり、「乗っていくか??」
メガネをかけた優しそうな運転手でした。
たくさんの荷物を積んだ重い私の自転車を一緒に荷台に乗せて出発。
遠別という町までの17キロの短い道のりでしたが、
その先は道路が舗装されていたので助かりました。

北海道らしいと言えばそうかもしれませんが、
左手遠くには日本海が見えるものの、まさに原野の中を走っています。

寂しい光景が、いくらか行き交う車が増えてきたと思うと、
愛車レッド号は今日の目的地、天塩市内に入りました。

早速今宵の宿探しのためにお寺を探してみることにしました。
※テントなどの野営道具も携帯していますが、
セッティングや片付けなどの時間と労力を考えれば、
お寺の本堂などに泊めていただく方がはるかに楽なのです。

1軒目に訪ねたお寺は断られてしまいましたが、
「鏡沼」というところに釣り人などが無料で泊まる寺があると聞き、
そこに行ってみることにしました。

訳を話して宿泊の交渉してみるとすんなりOKしてくれました。
それだけでなく、夕飯もビールもご馳走してくれました。
僕未成年ですが。(^^;
言葉はきついけど心が優しそうな住職です。

食後の散歩にそこの子供が沼に案内してくれるというので自転車2台で出かけました。
ずっと独り旅している私にとって鏡沼は何とも寒々しく荒涼たる光景で、
ぼんやり眺めていると寂しさが増してきました。

すっかり陽も落ちて辺りが真っ暗になり始めたころ寺に戻ると、
境内には4,5人の人がざわざわと話しをしています。

子供が僕の耳に小声で「死体が来た!」と話してくれました。
(そうか、ここはお寺だった)とあらためて思い直しました。

死体は40代の男性で、河岸工事で生き埋めになったそうです。
見れば正面の部屋には布団が敷いてあって、顔の部分は白い布で覆われています。

でも、あれっ??
あの部屋は私に用意してくれた部屋の隣? (☉౪ ⊙)プギャー!!!!

この日は訃報を聞いて駆けつけた親戚や知り合いなどで、
夜遅くまで話し声が聞こえていました。

一方私はと言えば。。。
そんなことも忘れそうなくらい疲れがピークに達していて布団に入るやいなや爆睡。
ご馳走になったビールのせいか、夜中にオシッコがしたくなって寝ぼけマナコでトイレに。
こっちが廊下だと思って襖を開けて歩くと、敷いてある布団につまづきました。
「すみません、間違えました」そう言って逆方向の廊下からトイレに行きましたが、
トイレから戻って寝床に入った時にふと考えました。
(何で私の布団と反対向きに敷いてあるんだ?)

あっ、そうか!さっきのは死体だったんだ、ナルホド。
そしてすぐまた寝入りました。
疲労は恐怖をも乗り越えちゃいますね。(^^;

間もなく宮之上少年は日本最北端の地に!

                 つづく

[今日使ったお金]
豆パン100円、ソーセージ50円、アイス2個40円、グレープサイダー35円
合計225円
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by ymweb | 2011-12-20 13:26 | じゃずぎたりすと物語
皆さん、たいへん長らくお待たせいたしました。

執筆中の「じゃずぎたりすと物語」は中盤から
「自転車日本一周旅行記」に変わりかけちゃっていますが、(^^;
私にとって15歳~16歳にかけての自転車日本一周旅行は、体力作りはもとより、
根性や気力といった精神態度の原点ともなっています。
まだまだ皆さんにお聞かせしたい
ハラハラ、ドキドキ、ワクワクの出来事がたくさんあります。
完走するまで引き続き読んでくだされば嬉しく思います。

※記載してある情報は詳細に書き記された当時の日記からのものです。


「前号までのあらすじ」

1969年8月3日(日)
自転車日本一周一人旅で北を目指した16歳の宮之上少年は
初めて訪れる北海道までなんとか辿り着き、
現在は札幌にいて、泊まるところを捜し求めて中島公園のベンチに。

母の手作りの寝袋は毛布の端を縫い合わせただけのもの。
母の思いとは裏腹にとても寒くて、ベンチで縮こまってます。

その時!!


じゃずぎたりすと物語 52話 〈北海道をひた走る!〉
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1969年8月3日(日) 夜10時

ガシャ!!
すぐ隣で怪しげな人影が。。。

誰だ?! 

私と同じくサイクリストであった。
いくつもある中島公園のベンチなのに、わざわざ私のすぐ隣のベンチに陣取って
挨拶も全く無いまま暖かそうに膨らんでいる寝袋をセットしてベンチの下で悠々と寝入った。

こいつ。。。。

1969年8月4日(月)

夜が明けました。
結局この夜は寒くてほとんど寝ることが出来ませんでした。(ノ┏Д┓`)ホロリ・・・

やつはしっかり寝入っています。

6時20分。
私は荷物をまとめて出発することにしました。
札幌駅ってどんなかな。。 少し見学した後12号線をまっしぐら。
どこかでラジオ体操をやっているようです。

それにしても眠い。。。
自転車の居眠り運転をしそうな感じです (。´-д-)。o○Zzz

ところで今日は費用を安く上げようと心に誓ったのでした。
何故なら昨日は札幌ラーメン2杯という贅沢をしたからです。(^m^ )

近くの商店で20円のパンを2個買ったら、勘違いで1個25円。
ええい!面倒臭いと、結局3個も食べてしまいました。(^^;
でも飲み物はなるべく我慢しました。σ( ̄。 ̄) オイラ

国道12号線は美唄市あたりから滝川市にかけて直線区間が続きます。
日本一の直線区間だそうで、実は楽しみにしていたのですが。。。
確かに地図であるいは上空から見ればそうかもしれないけど、
実際に走ってみると道は真っ直ぐだけど登り下りがたくさんあって、
期待していたほど面白くはありませんでした。(´・ω・`)ショボーン

直線区間ともお別れで、愛車レッド号は雨竜から275号線に入った。
国道とはいえ、砂利道の部分も多くて走りにくかったけど、
風が助けてくれて、車のすれ違いの時はほこりを被らなくてすんだ。

碧水という集落の先1キロほど行った所に
「清雲寺」という保育園もしているお寺があったので,早速宿の交渉。
いつものように本堂の片隅にとお願いしたところOKの返事。
しかもお風呂と夕食までご馳走になりました。
お寺で食事をご馳走になるのは今回の旅行で初めてでした。

しばらく振りで布団で寝られてとても嬉しかった。
ここにギターがあれば最高なのに。。。

昨夜の睡眠不足があったので8時頃に寝ました。

[この日使ったお金]
パン3個75円 / 豆パン1個65円 パン1個30円 /ファンタ1本30円
サイダー1本25円 / アイスクリーム2個30円  合計255円


8月5日(火)

爆睡とはこのことでしょうか。
睡眠不足と気持ち良い布団の効果と相まって、
6時30分まで一回も目を覚ますことなくしっかり眠りました。

出発の支度をしていると、おかみさんが
「朝食を食べなさい」と声をかけてくれました。
自転車旅行は想像を絶する運動量なので、
起きている間はずっとお腹が空いていると言っても過言ではない状態。
もしほっておくと、ご飯10杯は軽くいけそうです。
16歳の宮之上少年は恥ずかしさと少し遠慮の気持ちがあるので?
ご飯を2膳いただいて、おかみさんが「もっとどうぞ」と言うのに、
心にもなく「ご馳走様!」と言ってしまいました。

出発は7時30分

私の自転車レッド号正面の荷物入れの上は
地図などを挟める透明なビニールケースになっていて、
私はAB型の几帳面さを活かして? 
走行ルートや距離と目的地を日ごとに地図で記してあります。

今日は日本海側の留萌市に出て北上するルートを取ります。

格好を付けてご飯のお替りをしなかったために、
案の定、途中でお腹が空いてパンを買う羽目になったことを除けば、
日本海に抜ける手前の峠は、風も後押ししてくれて思いのほか楽でした。

留萌市に到着。

真っ青な海!!!
気持ちいい~~~ は残念ながらすぐ終わり、
国道232号は小平(おびら)という集落から先は
非舗装の砂利道に一転です。

ガタガタと、ほこりまみれの道をひたすら北上しました。
途中、今では先ず見ることがなくなった散水車が
道路に水を撒きながら走っています。

しかし道路はすぐに乾いてしまい、
またすぐにほこりだらけになります。

走っていて印象に残ったのは、
このあたりの集落がとても寂れていることです。
その昔はニシン漁などで栄えていたのでしょうか。
道路脇の草も木もすべてほこりを被っていて、
民家は今にも倒れそうです。
狭い砂利道の国道を時折猛スピードで走る車は、
街道筋を支配しているヤクザに見えました。

途中、透浦(とううら)という集落で休憩をして
パンとサイダーを買いました。
そこの親父さんが話し好きで、
これからバスで病院に行くという子連れの女性も話に加わって、
海を見ながら思いがけず長居をしました。
女性は話に夢中でバスが来たことに気付かず、バスは行ってしまい、
親父さんがあわてて車に乗せてバスの後を追いかけて行きました。(笑)

砂利と舗装の国道をさらに北上していると
急に後ろのブレーキが効かなくなりました。
ありゃりゃ。。。
ブレーキのワイヤーが外れたみたいです。
苫前(とままえ)という町で自転車屋さんを探して直してもらいました。
有難いことに修理代を無料にしてくれました。

昼食は工藤商店というお店で「豆パン」を1個だけ買ったら、
座敷に上げてくれてお茶までご馳走になりました。

遠くに天売島と焼尻島がかすかに見えます。
景色と同様、人情もほんのり温かい感じがしました。

もう少し先に進んで羽幌という町に着いたところで今宵の宿を探しました。
海から続くなだらかな坂を上がったところに法専寺という、
ここもやはり幼稚園もしているお寺があったので交渉したところOK。
お世話になるのに贅沢は言えませんが、昨日の待遇が良過ぎたので。。。(笑)
しかしここには嬉しいことに私の泊めていただく場所にピアノがあるではありませんか。
ピアノでジャズは弾けませんが、
久しぶりに音楽に出会い、長いこと音と戯れていました。

夕食は道を挟んだところにある食堂で、
ラーメンの大盛りとソフト饅頭3個食べました。

またピアノを触ってから9時30分に寝ました。
東京に帰りたい、ギターが弾きたい。。。

明日は自転車旅行で最も怖ろしい経験をすることなど全く想像していない
少しホームシックになった16歳の宮之上少年でした。

次号〈恐怖の宿〉につづく

[この日使ったお金]

豆のパン60円、サイダー35円、ファンタ30円、
ラーメン(大)90円、ソフト饅頭3個45円 合計260円
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by ymweb | 2011-12-16 18:28 | じゃずぎたりすと物語