宮之上貴昭執筆による長期連載


by ymweb
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じゃずぎたりすと物語 51話 〈札幌で凍死!?〉

1969年8月3日(日)

5時半に覚ましをセットしておいたので、
荷物をまとめて6時には出発の準備が整いました。

「お世話になりました!」と宿のおばちゃんに声をかけると
「朝ごはん食べて行きなさい」と言って、おにぎり3個と沢庵、そして味噌汁を出してくれました。
すっかり朝ごはんもご馳走になって、宿泊料はたったの350円でした。(^_^ゞ

昨夜の雨は止んだものの風がとても強く、曇り空の怪しい天候です。
肌寒いのでいつもの短パンはやめてGパンと長袖シャツに着替えて出発しました。

ひっくり返りそうになるほど上を見なければならないほど海岸線にまで迫り来る山、
そこにかかる滝の水はそのまま海に落ち込んでます。

愛車レッド号は強風に煽られて、思うようにハンドル裁きが出来ませんが、
迫力の雷電海岸の景観からパワーをもらって? 
ひょっとしたら「おにぎり3個パワー」かもしれませんが、
ペダルを漕ぐ足に力が入りました。

積丹半島の付け根にある岩内の街を過ぎて海岸線の景色としばしのお別れ、
半島を突っ切るために国道5号線に出ました。

16歳の宮之上少年には意地というかプライドみたいなものがありました。
そんなに大したことではないのですが、
「今回の旅行は、どんな急坂でも自転車から降りないでペダルを漕ぐぞ」というものでした。
この自分に課した公約は本日簡単に破られることになります。

「稲穂峠」

さほど高い峠でも急勾配でもないのですが、ちんたらと続く嫌な上り坂。
何でしょう、嫌いですこの峠。
かくして、今回のツアーで初めて自転車から降りて押すはめに。トホホ

峠を一気に下り、また日本海が見えてくると、ウィスキーとリンゴの街「余市」です。
今なら迷わず前者を選びますが?
リンゴもまだ時期ではなく、食べることが出来ませんでした。

天気もすっかり回復して、見たことのないような真っ青な海原が眼下に広がりました。

私を乗せた愛車レッド号は間もなく小樽市内へと入って行きます。

道路の脇から大勢の人が海を見つめています。
最初は何だか分かりませんでしたが、大海原に浮かぶ真っ白で大きな船影。
これは小樽~舞鶴を結ぶフェリーが出航しようとしているところに違いありません。


今日の目的地は札幌と決めています。
噂に聞いている「札幌ラーメン」を食べたいです。
しかし大都会に泊まる場合に心配になることは宿泊です。
ローカルな街だったら民家やお寺などの敷地にテントということも有りなのですが、
これまでの経験上、大都会ではたいていそれが出来ません。

「札幌7キロ」の標識のあるところで自転車を停めて、
料金が高いのが難ですが、安全策のユースホステルに電話しました。

円山ユースホステルでは大柄な態度で
「満室だし、予約をしていないと無理です!」

日本半周で40日以上もかかる自転車旅行では、
天候や体調のこともあるので、前もって予約して泊まるなんて無理。
しかたなくユースホステルはあきらめて市内に向かって走りました。

よっす!

後ろから同じサイクリストが声をかけてきました。
年のころは私と同じくらいでしょうか、少しにやけた雰囲気です。

聞くと私と同じく札幌で泊まるところを探しているそうです。
私の経験上から、お寺に泊めてもらおうと提案して、
二人で地図を眺めて近くの「龍光寺」に行ってみることにしました。

「ほほう、あなたは東京から日本一周!? ほほう。。。」
住職から質問がばんばん返ってくるので、てっきり宿泊OKだと思ったら、
他の寺を案内されました。((((_ ▲_|||))))ドヨーン

紹介された寺に行くと「座禅会」があるのでダメ。
また龍光寺に戻って相談したら、庭にテントを張ってOKとのこと。
ようやくねぐらにありつけると思ったらあいつが、
「こんなところなら学校の校庭の方がまだましだ!」とぬかしおった。

人間って第一印象で苦手で嫌いな人っていますね。
私にとっては彼がその人です、はい。

とはいえ知り合った同じサイクリストなので、
しばらく学校とやらを探しにまた二人で走り出しました。

「ここにしよ!」

彼が選んだのは交通量の激しい道路横の学校でした。

冗談だろ!
通行人から丸見えで車の音もうるさい。
しかもどうやって許可を取るつもりなのか。。。

私はどうにもこうにも彼の考え方に賛同出来ず、
「悪いけど俺は別行動にするわ」と言って彼とここで別れることにしました。

そんなこんなでお腹が空きました。
出発の時からこの日を楽しみに思い描いていた札幌ラーメンにしたいと思います。
「龍源」というお店に飛び込んで味噌ラーメンを注文しました。
興味津々で作っているところを見つめました。
もやしを入れると大きな火柱が上がって、想像していた通りの札幌ラーメンでした。
この後さらにもう一軒近くのお店に入って、今度は「醤油バターラーメン」を食べちゃいました。
今では考えられない大食漢の宮之上少年です。(笑)
e0095891_13334423.jpg


私は先ほどの寺の庭でテントでいいや、と思って龍光寺に戻ろうとしたら、
道に迷ってしまいました。
辺りはすっかり暗くなっていたのです。

大通り公園に来ました。

しかたない、今夜のねぐらはここでいい。
そう思ってベンチに薄いシーツを敷いて、
母の手作り寝袋(毛布の端を縫い合わせただけ)で横になりました。

しばらくして、男女の3人連れがそばにやって来て私の自転車を見つめ、
「へ~ 日本一周しているの。。。」
「でもここは人通りが多くて賑やか過ぎるから中島公園の方がいいよ」

わたしはすぐさまそちらに向かうことにしました。
時計の針は9時を回っていました。

中島公園は確かに人気はなく静まり返っていました。
早速ベンチに横になりましたが、身長より少し短いベンチはけっして寝易くはありません。
10時を過ぎて気温はどんどん下がってきました。

持って来た衣類のほとんどを着込んで横になっても、
寒さのためガタガタ震えが止まりません。

お母さん、この手作り寝袋、とても寒いです。。。。



ガシャ!!

その時、すぐ隣で怪しげな人影が。。。

                   つづく。
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by ymweb | 2011-01-08 13:34 | じゃずぎたりすと物語
じゃずぎたりすと物語 50話

執筆の続行までおよそ1年のブランクが空いていまいましたので、
これまでの大まかなあらすじと流れをお伝えして本文に入りたいと思います。


この物語は私、宮之上貴昭がジャズギタリストになるまでの軌跡を綴ったもので、
小学校5年生(10歳)の時に兄からもらってギターに初めてギターに触れ、
ひょんなことから高校1年生(15歳)の時にジャズの音楽と出会い、
高校1年と2年の夏休みに無謀にも日本一周一人旅の自転車旅行を計画。
何を思ったのか、ジャズに大切な?「精神と肉体を鍛える」という目標であった。

高校の夏休みは40日しかないので、
いっぺんに自転車で日本を一周することは物理的に不可能なため、
高校1年の夏休みは東京から南日本を一周して、
翌年の高校2年の夏休みに北の部分を一周するというもの。

今回からの執筆はその自転車旅行記の後半部分で、
北海道に無事上陸した宮之上少年(16)は長万部のお寺に泊まって、
一路日本海側を目指すという部分から始まります。

「なぜ宿泊場所や人の名前、使ったお金などのことを詳細に記憶しているのか?」
このことをファンの皆さんから多くの質問をお寄せいただくのですが、
毎日忘れずに付けた「自転車旅行記」とその時の写真を基にしています。

このところジャズギターのことより自転車旅行記の方が重きを置いちゃっていますが、

また本題に戻りますし、これから起こる自転車旅行記のハラハラドキドキも体験談も
是非皆さまにお伝えしたいと思っています。

初めてお読みになる方はどうぞ第一話からお読みください。
http://ymweb.exblog.jp/m2007-03-01/

画面をスクロールして第一話からご覧いただけますし、
続き部分は左の「以前の記事」で順番にご覧いただけます。


それでは自転車日本一周旅行中の16歳の宮之上少年、お楽しみください。
ご感想などお聞かせくだされば嬉しく思います。


【50話 長万部~雷電海岸】1969年8月2日(土)

6時にセットした目覚ましは実際に鳴ったのだけど、
どうにもこうにも起きるのがかったるい。
東京を出発して11日目。
疲れが溜まってきているに違いありません。

しかしやけに子供の声が外からうるさく響くのでまた布団に潜り込むと、
住職が部屋にやってきて「おはようございます」

しかたなく起き上がって荷物をまとめて出発の準備。
住職にお礼の挨拶をと思って探したら、寺の境内ではラジオ体操をやっていて、
住職はワイヤレスマイクを手に持って指揮官になっていました。
本堂では若い女性が4人ほど正座して何かムニャムニャ唱えています。

昨夜一緒だった650ccバイクの兄さんに挨拶して一足先に出発することにしました。

彼も同じ方向なので後から私を追い抜くはずです。

私の勘は的中したようです。
後方から重低音のカッコイイ音を立てて650ccの兄ちゃんがやって来て
「気をつけて!」と言って去っていきました。

私には自力による旅こそ最高で、エンジンで走るのは卑怯だ!
みたいな偏屈なプライドがあって、バイクを忌み嫌っていたのだが、
昨日から接している彼の温和な人柄がそうさせたのか、
(バイク旅行?それはそれでいいではないか)という気持になりました、たぶん。

朝ごはんを食べていません。
早速商店を探してパンにありつこうと思いました。
蕨岱(わらびだい)というところまで来るとようやく店がありました。
中に入るとウィンドウにパンの姿がありません。
時間が早いのでパンはまだ届いていないそうです。((((_ ▲_|||))))ドヨーン

しかたなくまた走り出すとしばらくして豊幌という集落。
ありました~店が。
大き目のパン1個とコーヒー牛乳を買ってお腹を満たしました。
いや~豊幌はいいところだ~~(笑)

さすがに北海道は広い。
一つの集落から次の集落まで行き交う車を1台も見かけないこともあります。

日差しは強いのだけど風はひんやりとしています。
よいっしょ、よいっしょ。
北海道の「くびれ」の部分、太平洋(噴火湾)から日本海に抜ける道を今走っています。

たいして高い山はないのだけど、ちょっとの上り下りでも自転車は敏感に体に反応してきます。
ペダルを漕ぐ足一つ一つに力が入ります。

ほんの少年に過ぎない私はすぐお腹が空きます。
蘭越という集落の手前で「アイスクリーム」と書かれてある幟(のぼり)を発見!
きっとパンも売っているだろうと思い、近づいてみました。

店には誰もいませんでしたし、食品らしきものもありませんでした。
私を発見した「ほっかぶり」のおばさんが裏の田んぼからこちらにやってきました。

「パンは置いていないんだよ、もしよければご飯食べていく?」

まあ何と優しいお方なのでしょう。
もちろん遠慮なくいただくことにしました。(^^;

真夏だというのにひんやりと寒いのでストーブにあたって待っていました。

「何も無いけど。。。。」

出てきたのは目玉焼きと鯨のベーコンが4枚。
優しい気遣いと3杯のどんぶり飯でお腹も心も満腹になりました。


地図によると、ここから一気に日本海に抜ける舗装道、のはず。
しかし地図の情報は間違っていて、非舗装の砂利道。
雨が降り出し風も強くなってきて道路は泥という最悪な状況。
行き交う人も車もなく、とても寂しい16歳の宮之上少年です。

それでも「進め青春!」や「男一匹ガキ大将」の歌を歌って、
雨の中、一生懸命ペダル漕ぎました。
こんな時口ずさむのはジャズではありません。(^^;

そうこうしているうちに愛車レッド号は荒波舞う大荒れの日本海に出ました。
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雨がさらい強くなりました。
店に入って30円のパンを注文してポンチョに着替えていると
お店の人が親切にお茶を出してくれました。

本来ならもう少し先まで走行距離を伸ばしたいところですが、
悪天候のためテントを張ることも出来そうにありませんので、
今宵の宿泊はこの雷電海岸にしたいと思います。
まあ予算が合えばですが。

少し進んだところに雷電温泉と書かれた宿があったので宿泊料を訊ねると、
ご主人は私の風体をしばらく見つめてから、「素泊まりなら350円でいいよ」

しめた!!

二人の若くてチャーミングな娘さんがいて話も弾んだし、
おばあさんからは焼きとうもろこしもご馳走になってすっかり気を良くして、
いつもより少し遅い10時半頃に床に就きました。

とはいえ外は大荒れの天気で、明日が心配です。
しかし明日はそんなことよりさらに大変な恐怖が待っています。

次号「札幌で凍死!?」 乞うご期待!
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by ymweb | 2011-01-03 00:43 | じゃずぎたりすと物語