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宮之上貴昭執筆による長期連載


by ymweb
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30 警察署

大型トラックは私のほんの30センチ右後ろで急ブレーキをかけて停止した。
あわてて左にハンドルを切りなおした私は縁石を乗り越えて転倒してしまった。
トラックの運転手は窓から顔を出し、「お~い、大丈夫か?」

車の接触したわけではないけど、倒れた勢いで、
ハンドルに固定されているバッグから荷物が歩道に散乱した。
運良くどこにも怪我はなさそうでした。

「だ、大丈夫です。。。」

こちらを確認するかのようにして運転手はそっと車を走り出させた。

大丈夫と言ったものの、雨の中で散乱した荷物を
歩道に這いつくばって拾っている自分がなんとも情けなく、
また涙が溢れてきました。

雨に濡れた地図を最後に拾い上げた時、
なんと、20メートルほど先に赤い光の電気の輝く建物を目にした。
そう、警察署だった。

この転倒事故を気付かなかったのか??
普通「こん棒」みたいなものを持って入り口の前に立っているだろ?

大きな警察署なのに雨のせいか外に警察官はいませんでした。

助けろよ。。。

少し腹が立ったまま警察署の中に入って、
どこか泊まれるところを紹介してもらおうと考えました。

事情を話したけど時間はすでに夜10時を過ぎていて、
適当な宿泊場所など見つかるはずもありません。

すると年配のお巡りさんが「あのベンチで寝てろ」
トイレの横のベンチを指差しました。

はっきり言ってベッドにしては背丈より短くて狭いし、
明るいし話し声もするので、
落ち着いて寝れそうにありませんでしたが、
事情が事情ですからやむを得ません。

結局どれほど眠れたのでしょうか、いつの間にか夜が明けていました。
疲れが取れたような気はしませんでしたが、雨風と寒さが凌げました。
この居心地のあまり良くない場所は早々に引き上げて、
早めに出発することにしました。

交通量が次第に増えてくると、自分が大阪の市街地に入ったことを示します。
久しぶりの都会ですが、交差点の信号で停まるたびに人々の視線が私に向けられるので
少し照れてしまいます。
ここから進路を東にとって古都・奈良を目指します。

見たことのある鹿のいる景色が広がりました。
シチュエーションこそまったく違うものの、
そう、中学校の時に修学旅行で来た奈良公園です。
観光客で賑わっていました。

ここから進路を北にとって京都を目指します。
京都ももちろん修学旅行のコースでした。

東京生まれの私にとって、京都とか奈良という場所は一種の憧れがあります。
しっとりしていて落ち着いた雰囲気というイメージです。
今夜は是非とも京都に宿泊して街を散策したいと考えました。

都会ではテントを張る場所を探すのが困難ということは理解していますから、
早めに着いて安宿を探すことにしました。

賑わう四条河原町から裏手に入って、安そうな旅館かホテルを探しました。
しかしさすがに京都。
どこの旅館もホテルも大仰な門構えで、いかにも「高い」感が溢れています。

そうこうしていると、麩屋町三条に質素な旅館を見つけました。
「炭屋旅館」と書いてあります。
ここだったら京都の街を散策するのには格好のロケーションです。

そんなに高そうではないし。。。。

玄関は綺麗に掃除が行き届いていて小ぢんまりしています。
「こんにちは~~」

女将さんらしき女性が出て来ました。

私の風体と自転車を見て
「旅行なさっているのですね?」

私は予算があまりないことを素直に伝えると、

「ではもし外国の方と相部屋でよろしければ、
素泊まりで1.500円でお泊まりください。」

この金額でも私にとっては大出費ですが、街の中に泊まりたかったことと、
外人さんと一緒というのも緊張感があって少し魅力を感じたので、
この旅館に宿泊することにしました。

※後から解ったのですが、この「炭屋旅館」は京都の老舗高級旅館でした。
現在は解りませんが、当時は外人旅行者用に同室で安く部屋を提供していました。

部屋に入って荷物を広げていると二人の外国の人が部屋に入ってきました。
緊張してしまいましたが、彼らの笑顔にこちらも笑顔でOKでしょう、きっと。
オハイオ州から来たと言っているような気がしました。

自転車は旅館に置いといて、京都の街を足で散策しました。
修学旅行の思い出は、ほとんど夜の「枕投げ」しか残っていませんが、
こうして京都に、自転車で九州から四国を回って来たことは感慨もひとしおです。
すごいなと、あらためて思いました。

満足のいくまで古都の空気を吸って部屋に戻り、お風呂に入ることにしました。
風呂はとてもいい匂いがしています。
驚きました、総ヒノキ造りの風呂でした。

風呂から上がると、先ほどの外人たちも部屋に戻っていて、
ガイドブックを見てくつろいでいました。
カタコトの英語で少しだけ話しましたが、
昨夜の警察署泊まりであまり眠れなかったので、すぐに眠くなりました。

彼らはまだ二人で話していましたが、私は自分の布団を引っ張り出して横になり、
「おやすみなさい」というつもりで、
何と「グッド・イブニング!」と言ってしまいました。

すかさず彼らは「オオッ、グッド・ナイト!」と言い返してきました。

壁側を向いて眠りに就くふりをする私の顔は、
この時赤くなっていたことを彼らは知りません。



京都まで来ましたが、このまま東海道を走って帰るわけではなく、
明日からは琵琶湖の東側を通って北陸に出て、福井から金沢、富山。
そして飛騨高山から北アルプスを越えて松本から甲州街道で帰路に着く、
まさに山あり谷ありのコースを選択してあります。

一日一日がまさに波乱万丈の自転車旅行記はまだまだ続きます。
 
   つづく
                             
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写真 : 奈良の五重塔と愛車レッド号
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by ymweb | 2008-02-08 05:48

後悔

じゃずぎたりすと物語 29 〈後悔〉

昨日の寝不足がたたってか、
いつもなら7時頃には自然に目覚めるのだけど、
何と目が覚めたのは10時過ぎでした。
テントの中は日の出と共に明るくなり、
そして温度も上がってくるのだけど、
この日ばかりはそんな状況などお構いなしで爆睡しました。

あわててテントをたたんでいざ出発!
しかし明らかに寝坊で、このことが後に大きな後悔へとつながっていきます。

今日は四国を離れて本州に上陸です。

徳島からフェリーに乗っていきなり和歌山に移動するコースもありますが、
せっかくですから「鳴門のうず潮」を見て淡路島に渡り、
淡路島の途中から大阪湾の泉南に渡るコースを選びました。

高松の街を過ぎた頃、国道の両脇のいたるところに
「うどん屋」の看板が目に付きます。
そんな中、とりわけ雰囲気だけで「ここは絶対美味しい!」と
思えるような店を見つけました。

その店は名前らしきものがなく、
ただ「元祖讃岐うどん」と書いてあります。

駐車場だけは異常に広いけど、
飾り気のないごく普通の民家のような店構えで、
入り口のところに、営業時間は午前11時30分開店、とあります。

時計の針は今午前10時45分ですから、
食べるためにはあと45分も待たなければなりません。

うわっ、どうしようかな。。。
驚いたことに閉店時間を見ると、何と午後3時と書いてあります。
な、何と殿様商売の店なんだ!
これは美味しいに決まってる!

しかし今朝は寝坊したし、少し先を急ぐ必要がありました。
(ここは仕方なく諦めてもう少し進んで他の店でうどんを食べよう)
そう思い直してレッド号にまたがった時、
1台、2台と国道からこの店の駐車場に車が入って来て、
車を降りた人たちが開店前のこの店に並ぶではありませんか。

うわっ、勘は的中した!
やはり相当有名で美味しい店に違いありません。
これはもう待つしかないでしょ。

そして45分後、店のシャッターがおもむろに開けられ、
流れ込むように待っていた客は店の中に入っていきました。

いつの間にか私の後ろで開店を待っていた客は
10人になっていました。

あれ~~??どうするんだ??
店のシステムが解らず、戸惑っている間に
後ろの客が私を追い越していました。

どうやらほとんどセルフサービスらしく、
棚に並べてある天ぷらや玉子などを勝手に取って、
店主が暖めるうどんの上に載せています。
ほとんどの客はうどんの器に乗せきれないほど盛っています。
私は予算がないのでうどんを大盛りにして、
トッピングは野菜の天ぷらだけにとどめました。

美味しい!!
生まれて初めて食べる本場の讃岐うどん。
つゆは限りなく透明に近いけど塩気は十分で、
昆布のつゆが利いています。
しかし素晴らしいのは麺にありました。
かつてこんなに噛み心地のあるうどんは食べたことがありません。

満足のいく250円でしたが、壁に張られてある文句をみてガクッ。

「天ぷらや玉子はサービスですから自由にお取りください」

なるほどみんなが並んでまで待つ甲斐のある店でした。
しかしこの時間の使い方も、後ほど大きな後悔へとつながります。


さて思わぬところで「うどん」も「時間」も食ってしまいました。
徳島県鳴門市に向かって再び出発。

平坦で走りやすいと思えた国道11号線でしたが、
交通量の多さに加えてピーカンの天気。
体力の消耗も激しく、
走行は考えていたより簡単ではありませんでした。
高松から鳴門までたった60キロを3時間もかかってしまいました。

ようやく鳴門市に入って、淡路島に渡る「淡路フェリー」乗り場に向かいます。
道路の両脇の看板には「鳴門昆布」の直売店が並んでいます。
かなりのんびりペースで走ったために、ずいぶん陽も傾いていました。

淡路島は目の前に浮かんでいて、距離が近いので、
きっとフェリーの本数も多いものとたかをくくっていましたが、
私が到着するとフェリーは出航したばかりで、
次の便は1時間後の夕方4時でした。

ようやくフェリーが到着して、車の乗船に次いで乗り込みました。
さて楽しみにしていた「鳴門のうず潮」を見ることが出来るでしょうか。
私の大好きな時代劇俳優、近衛十四郎が出演して鶴田浩二をびびらせたという
「鳴門秘帖」の舞台ですから。

「うず潮」見物のために甲板に出て、それらしき海を一心に見つめました。。。

が、見当たりません。

目を凝らして海原を見つめるも、見当たりません。

どうやらうず潮はフェリーの航路よりかなり東側で発生するようでした。
なるほど乗船客の誰も甲板に出る人がいないわけです。

ん~~ 残念!! 
これも徳島藩主・蜂須賀重喜の仕業か?
などと他愛もない思いを胸に四国を後にし、
向かうは眼前に浮かぶ淡路島。
待ち時間が長かった割にはあっという間の20分で到着しました。

自転車は車より先に下船の合図。
ヒューっと軽快に舗装された道路を走ります。
淡路島は広くて島という感じがまったくしません。

およそ1時間走り、島を3分の2くらい北に縦断して津名という町に到着。
ここからフェリーで大阪の泉南というところまでまたフェリーを乗り継ぎます。

陽は落ちはじめ、時計の針は5時30分を指しています。

フェリー乗り場に到着すると、またまた船は出港したばかりでした。
次の便の時間を確認すると。。。 なんと19時30分とあります。

この2時間の間にテントを張れそうな民家を探すことを思いつきました。
何軒かあたってみましたが、島のせいか、それほど広い庭もなく、
すべて断られてしまいました。
「淡路島観光協会」というところで安い宿を紹介してもらいましたが、
そのどれも私にとって「ケタ」が一桁違いました。

この時になって朝寝坊をしたことと、
うどんに時間をかけすぎたことを大いに悔やみました。

どうしようか。。。
大阪に渡ってから探そうか。。。

フェリーの桟橋で釣りをしている人を横目で見ながら考えていました。
そうこうしている間に遠くから私の乗るフェリーが夕闇の中から近づいてきました。

早速乗船しました。
先ほどのフェリーより一回り大きな船体でした。

およそ1時間20分で大阪の泉南に到着するそうです。
ということは、下船するのは夜9時頃ということになります。

船室で地図を広げて黙想します。
この夜にどこまで走らなければいけないのか。。。
どこか泊まれる場所はあるのだろうか、

まったくあてのない旅に、15歳の宮之上少年はとても心細くて心配になり、
あらためて旅の怖さを実感しました。
昨日の夜、大学生にギター対決したあのツッパリの気持ちは
もはやこの時点ではありません。

「本日も大阪湾フェリーをご利用いただき、まことにありがとうございます。
間もなくこのフェリーは大阪・泉南港に着岸いたします」

船室でのくつろぎはここまで。
そんな少年の心などお構いなしにフェリーは到着して、
下船を余儀なくされました。

あっ!

さらに無情の雨が私に追い討ちをかけました。

出発したときは良い天気だったのに。。。

ポンチョを取り出して着て、仕方なく雨の夜道を走り出しました。

フェリーが着いた泉南は、大阪府とはいっても最南端に位置していて、
すぐ隣は和歌山です。
国道26号線は幹線道路のため交通量が非常に多く、
しかも夜に自転車で走るにはかなりの危険を伴いました。

雨のために視界が悪く、濡れたポンチョのために
思うようにハンドルが捌けません。
加えて、ライト点灯のためのダイナモが負荷をさらに増し加えます。
ううっ、寒い。。。

(もう少し早起きしておけば。。。)
(うどん屋は他にもあったではないか。。。)

さまざまな後悔が頭をよぎり、顔は雨粒と涙で溢れていました。


進む先に大きな水溜りがあったので、
少し道路の右に出てそれを避けようとした時です。

後方から大型トラックらしい車が来ていることは知っていました。
でも、道路は広いのでこれくらいはみ出ても大丈夫だろうと思い、
ハンドルを右に切った瞬間、

ギィ~~~~~~~~!!!!

                           つづく
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写真:淡路フェリー
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by ymweb | 2008-02-05 00:34 | じゃずぎたりすと物語
大学生は少し鼻で笑ってる感じでした。
「ほいよ!」
ピックと一緒に手渡されたギターは、
割と弾きやすそうなフォークギターでした。
そして彼らはすかさず女の子のグループのそばに近づいて腰掛けました。

いいんだな!? 弾いて。。。。

流行のポップス? 演歌? そんなのお手のものです。
何たって入り口は古賀政男の演歌、そしてテレビから流れるヒットポップですから。
毎日10時間練習していましたから、
自転車旅行くらいで指が動かないはずはありません。

ギターを手にした私は、さっき彼が単音でたどたどしく弾いていた曲のメロディに
全てコードを充てて数曲をメドレーで弾きました。

この辺も悪い人格形成の現われです。

先ほどまで弾いていた大学生の彼は、最初のうち少しだけ女の子と話をしていましたが、
その後は私の手元に視線は釘付けです。

さらに〈若者たち〉〈バラが咲いた〉などはもちろん、
今流行のグループサウンズの〈亜麻色の髪の乙女〉まで弾けちゃいます。

「ねえねえ、あの曲弾ける?」
女の子たちは近づいた大学生の二人をほったらかして私の周りを囲みました。

興が進んでリクエストのほとんどに応え、〈お座敷小唄〉まで弾くと、
宿泊客のおじさんやおばさん、はたまたユースホステルのオーナーまで大受けです。

やっぱりギターは楽しいな~~~

しかし受けて盛り上がったのはここまででした。
「ジャズは聴いたことありますか?」とみんなに尋ねてみましたが
あまり反応は良くないようです。

「ウェス・モンゴメリーという人はこのように親指で弾くんです」
「それでね、ジョー・パスの演奏するジャンゴという曲はこれこれで・・・」

それまで無口だった少年がギターを手にした途端雄弁になり
周りの人は皆驚いていました。

ギターを手にした時は大学生に対するライバル意識があったものの、
弾いているうちにそんなことは忘れて、自分の世界に入って行きました。

周りのことはお構いなしに、ジャズのフレーズを弾き続けていると、

「明日早いから寝るわ。 ギター弾き終わったらここに置いといて。」
そう言い残して大学生たちが部屋に帰りました。

いつのまにか私の周りには誰もいなくなっていました。
でもまだまだ弾き足りません。

それでは遠慮なく弾かせてもらって、一人でずっと楽しんでいると、
パジャマ姿のオーナーが出てきて、
「音が少しうるさいんですが、もう遅いので、すいませんがそろそろ。。。」

時計の針は確かに午前2時を回っていました。

この晩は床に就いても頭の中でメロディやリズムが鳴り響き、
スィングしながら寝ました。



翌朝、寝坊ぎみに起きてあわてて食堂に行くと、
食事中の宿泊客から「おはよう!」と共に小さな拍手が起きました。

「あっ、どうも。」
少し照れ気味に挨拶して、おなか一杯朝食を詰め込んで出発の準備です。
ギターを借りたお礼を言おうとしたのですが、もう出発したのでしょうか、
大学生の姿はすでにありませんでした。

体調もすっかり良くなり、今日は目的地を高松に決めて、いざ出発!

国道196号線はずっと瀬戸内の半島を走っていて、対岸は広島県です。
距離的に言えば松山から半島を横切るコースが近いけど、
自転車の大敵は「坂」です。
それで四国も北側の外輪をなめるようにコースを選択しました。

愛車レッド号は国道11号に出て順調に進んで、新居浜から川之江、
そして高松市に入って来ました。

ここでも市街地を避けてテントを張る場所を確保します。
公園や神社、寺などの敷地はセキュリティや管理上の問題などもあり、
宿営を断られることが多いので、
大きな民家と交渉して、
敷地内にテントを張らせてもらう方法が賢明のようです。

この日もとてつもなく大きな家を見つけて、
その庭先にテントを張らせてもらい、
無事に宿泊することが出来ました。

いよいよ明日でこの四国ともお別れして本州に戻ってきます。

しかし明日また、とてつもなく過酷な状況に置かれることを
この時点で想像することは出来ませんでした。

                                つづくe0095891_3145217.jpg
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by ymweb | 2008-02-02 03:15 | じゃずぎたりすと物語