宮之上貴昭執筆による長期連載


by ymweb
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21 〈九州上陸〉

21〈九州上陸〉

小郡を出発し、比較的広くて走り易い国道2号線を一路、
本州最西端の下関に向かいます。

低い山のカーブを越えると遠くに輝く海、そう周防灘です。
国道は美しい海に沿ってずっと続いていますが、海がだんだん狭まって来ました。
間もなく関門海峡です。

本州側と対岸の九州は、一番狭いところで700メートルしかないそうです。
この狭められている海峡で瀬戸内海と日本海が区切られるわけですから
潮流は恐ろしいほど早く、海難事故の多発地域ということもうなずけます。

なるほど源平合戦で、潮の流れを計算した源氏が勝利を収めたわけだ、
などと勝手に悠久の時に思いを馳せていると、いつの間にか交通量が多くなって、
下関の街の中に入ってきました。

「関門トンネル入り口」の標識が目に飛び込んできました。
本州とお別れして、生まれて初めて九州に上陸することを考えると
心がワクワクしました。
当時は現在のように高速道路で結ばれた関門橋などはなく、
このトンネルだけが本州と九州を結ぶ唯一の道路でした。

トンネルは2層構造になっていて、鉄道が走る部分と、
車と人や自転車が通行する部分に分かれていました。
小額の料金を払ってトンネルに入りました。
「あの関門海峡の海底を走るんだ!」という楽しみな気持ちで一杯でしたが、
入ってみるとトンネル内は湿気が異常に多く、さらには車の排気ガスでとても不快。
緩やかな下り坂を下りたら今度は緩やかに上り坂。
ただそれだけで、少しがっかりしました。

とはいえ前方の明かりはまさしく九州!
やった~~!! 九州上陸!

坂道だらけで、しかも道路が石畳のような走りにくい門司の街を、
必死に愛車レッド号を操ってようやく国道3号線に出ました。
初日の目的地はまだまだ先の福岡市内です。

夕方4時を過ぎて、太陽がだいぶ傾き始めました。
そろそろ「宿」となる場所を探さなければなりません。

この旅行での宿泊先は全て未定でした。
「ユースホステル」という選択肢もありますが、1泊2食で700円もします。
何しろ全財産は2万円しかありませんから、少しでも費用を節約するために
基本はやはり当初の予定通り「野宿」なのです。

福岡の市内に入ってしまうとテントを張る場所が無いように思えました。
それで市内に入る少し手前から野宿にふさわしい場所を探すことにします。

前方に何やら神社のような森が見えました。
その木陰ならテントを張るのに絶好の場所と決めて、
社務所を訪れて事情を説明して宮司さんの許可をもらいました。

テントを張るのは思ったより労力と時間がかかります。
雨が降っていないので、周りに溝を掘ったりしなくても大丈夫とはいえ、
地面の石を退けて平らにしたり、端を紐で結んでペグでしっかり固定したりと、
完成までに小一時間はかかってしまいました。
もうおなかもペコペコです。
ようやく完成して顔を上げると、真っ黒に日焼けした4、5人の子供たちが
珍しそうな顔で私を見つめていました。

「やあ!」
みんないきなり照れくさそうな顔に変わりました。

とその時、向こうから2台の自転車がこちらにやって来ました。
私と同じような自転車旅行をしていると思われる若者二人が
私に近づいて声をかけました。

「こんにちは!」

聞くと彼らは大学生で、広島県福山からサイクリングで来ていて、
九州を周り終えてこれから帰るところだという。
彼らも野宿する場所を探していて、私の自転車とテントが見えたので
来てみたとのこと。
彼らも宮司さんの許可を得て、私の隣にテントを張ることになりました。

思いがけない来客でしたが、一緒に食堂を探して夕食を共にしました。
これから周る九州の道路や食堂などの情報を聞くことが出来たことは
大きな収穫でした。

初日ということもあって緊張していたためか、
母手製の、毛布の端を編みこんで塞いだ「特製寝袋」に入ったとたん
緊張はほぐれて爆睡しました。

                                      つづく
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by ymweb | 2007-08-30 04:54 | じゃずぎたりすと物語

20 〈出発!〉


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朝おなかが空いて目覚め、台所に行くと、ほとんど元気になった母が、
「何だかお父さんがお前の自転車直しているよ」
団地の階段を降りてみると、首に手ぬぐいを巻いた父が汗びっしょりになって
私の自転車をいじっています。

「何やってんの?」と聞くと、
5段変則の私の自転車を10段に改造しているという。

父は実に器用な人でした。
趣味の釣りのための手製の竿はもちろん、棚を作ったりするのもお手の物で、
以前、360ccの軽自動車に450ccのバイクのエンジンを積み替えたりしていました。
私はものぐさで、手が汚れたり機械に触ったりすることが大嫌いですから、
父の遺伝子をほとんど受け継いでいないのでしょう。

「ほら出来たぞ! 乗ってみろ!」

いつの間にやら私の自転車は10段変則に変身していました。
早速容赦なく照り付ける太陽の下、ギアー1段ずつ変えながら団地を一周して来ました。

完璧です。

この自転車に「レッド号」という名前を付けることにしました。
そう、愛車「レッド」です。
単純な理由です。色が赤いのでそう命名しました。
さて豊田駅に行ってこの自転車と荷物を山口県小郡駅まで送りました。

そして4日後の夜、私は東京駅に向かい、11時30分発の普通列車「大垣行き」に乗り込みました。
親に自転車の発送費や交通費も出してもらいましたので、
経費はなるべくかからないようにしたいと思いました。

この列車、少なくとも当時は最も長い距離を走る普通列車でした。
大垣に早朝着いて「西明石」行きに連絡。
京都で長い待ち時間を経験して、これまた山陰本線の普通列車を乗り継ぎ、
ようやく目的地小郡に到着したのは夜でした。

列車でここまで来るだけでもこんなに時間と労力が懸かることを知ると、
自転車でこの何倍もの距離を走ることを考えただけで気が遠くなりました。

初日ということもあって、駅近くに宿を取りました。
いよいよ〈自転車日本一周(少し欠けた)旅行〉の出発です。

興奮しているせいか朝早くに目覚めてしまいました。
早速送っておいた自転車と荷物を小郡駅の取りに行きました。

駅員が荷札で確認していると、左奥の部屋に愛車〈レッド〉が見えます。
どうやらちゃんと届いているようでほっとしました。

荷物をレッド号に設置して、いざ出発!!

レッド号は道路を軽快に疾走・・・ 

と行きたいのですが、実はそうもいきません。
荷物の中身は1ヶ月間必要な衣料、テントなどの野営道具に加えて、
水筒なども備えているので相当な重量となっています。
文字通り「重い足取り」ながら、心はルンルン。
愛車レッド号は第一日目の目的地である
福岡に向けて出発となりました。

この旅が私の人生をいろいろな面で変えていくことになるとは、
この時点で想像もしていませんでした。
                                   つづく
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by ymweb | 2007-08-27 12:36 | じゃずぎたりすと物語

19 〈母が・・・〉

19 〈母が・・・〉

父は静かな口調で電話口から「貴昭。。。」とささやきました。
私はある程度覚悟はしていましたが、さすがに次に発せられた言葉に衝撃は隠せませんでした。

「あのな、お母さんはな。。。」

「明日退院するからな!」

・・・・・・・ 何だ?何だ????

母は昔から貧血気味で、今回もふらっときてバランスを崩し、
冷蔵庫の角に頭をぶつけて脳震とうを起こしたらしい。
それで検査の結果、ずっと患っている肝炎が悪化したのとは無関係とのこと。
大したことなくてほっとしました。
とはいえ、退院したばかりの母は、当然私がケアしなければなりません。

今日から夏休み。
この事件がなければ今日から南日本一周に向けていざ出発!のはずだったのです。
本当に残念ですが、この計画は諦めざるを得ません。

母が帰ってくる部屋をきちっと掃除して、布団を敷く用意をしました。
自分で言うのもおかしいのですが、私はギターに夢中になり過ぎる以外は、
昔から良識があり、親の言うことはちゃんと聞く良い子でした。
親がたくさんの愛情を持って育ててくれたからに違いありません。

翌日、いつものように部屋でギターを練習していると、
病院に迎えに行った父が母を連れて帰ってきました。
顔色はいくらか青白いものの、思ったより元気そうでほっとしました。

父はいつまでも仕事を休むわけにもいかないので、
私が母の世話をすることになりました。
この日休みだった父が、ギターを弾いている私の部屋に入ってきました。
ギターはもちろん、音楽に全く興味ない父でしたが、
私の机の上にある「自転車旅行」と書かれてノートぱらぱらめくってボソッと

「お前、残念だったな。。。」

「うん。。でも仕方ないよ、家事もやらないといけないし。。。」

「来週から行けないのか?」

「えっ?? どうやって??」

「自転車をどこかまで送って、そこからスタートすればいい。」

「だってお母さんの面倒は?!」

「もうほとんど良くなってるし、来週から茨城のおばちゃんが手伝いに来るんだぞ。」

「え~~っ!茨城のおばちゃんが?!」


一筋の光が射したようです。

母のケアはおばちゃんと交代して、来週早々に出発するとして、
それまで自転車で走ったであろう距離、そしてそこまでの列車の所要時間を合計してみました。
途中まで列車で行くにしても、ルートは東海道線を京都まで行き、
そこから山陰ルートを通って山口県・小郡に抜ける。
そう、自転車で走るルート通りにしたいと思いました。

山口県・小郡

ここが出発点となりました。

自転車は「駅留め」で送ると5日で到着するとのこと。
ばっちり間に合います。

予期せぬ母の入院のために出発が10日ほど遅れ、出発地も変更になりましたが、
半分あきらめかけていた自転車旅行のスタートとなりました。

                                      つづく
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by ymweb | 2007-08-13 09:32 | じゃずぎたりすと物語
母は私が中学生の時に胆嚢炎になり、その後定期的に近所の病院に通院していましたが、
治療の際の「輸血」が原因で肝炎になり、その後は家にいても寝たり起きたりの生活がずっと続いていました。
そんな母が台所に立っていたところ急に立ちくらみがして倒れて、頭をどこかにぶつけたらしい。
その光景を見て驚いた弟が、泣きながら隣に家のチャイムを押して、救急車で病院に運ばれたという。

「貴昭、覚悟しておけよ。。。」
兄の現実味を帯びたこの言葉が心に迫り、いても立ってもいられなくなり、
自転車に飛び乗って病院に急ぎました。

クレオソートの臭いが鼻を突く病院の402号室のドアをそっと開けると、
私より先に家を出た父と弟、隣のおばちゃんも来ていました。
このシーンは病気の人が亡くなるテレビや映画でしばしば目にしたことがありました。
とても嫌な予感がします。

母に近づくと、母は力のない弱い声で
「貴昭。。。」
「お母さんはもうだめかもしれないから、克己(弟)の面倒を頼むよ。。。」

隣の家のおばちゃんは目に大粒の涙を流しながら
「そんなことはないから!大丈夫だから!」と母を励ましていますが、
その光景もテレビや映画でしばしば目にしたことがあったので、
むしろ私に絶望感を抱かせました。

これは我が家の一大事で、夏休みに計画している〈自転車日本一周〉どころではありませんでした。

母の心配もさることながら、家事の分担も必要となりました。
私は学校があるので、父が仕事を休んで母のケアや家事を行ってくれますが、
当然私も手伝う必要がありました。

二学期の終業式を終えて学校から帰ると、父や弟は病院に行っていて、
家には誰もいません。
私の机の上には自転車旅行の計画を書き記したノートがそのままです。
すぐさま夕飯の支度や掃除、洗濯などの家事に追われました。

母のいない生活は何と不自由なのでしょう。
明日から夏休みだというのに、このまま母は死んで、このような生活が毎日続くのでしょうか。
不安と失望絶望感で一杯になったその時、電話が鳴りました。
父の声で病院からでした。

「貴昭!! お母さんが。。。。」

「うそ!!」 私はその言葉が信じられませんでした。

                                         つづく
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by ymweb | 2007-08-10 16:14 | じゃずぎたりすと物語