宮之上貴昭執筆による長期連載


by ymweb
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カテゴリ:じゃずぎたりすと物語( 77 )

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写真:左から 田中さん、私、斎藤康彦


電話口での田中さんの声は渋くて、明らかに年上であることを連想させます。
「実は私は大学生で、これからジャズピアノを始めたいと思ってるんですよ。」

私たちは全員が高校生で、毎週のように集って練習している旨を伝えると、
「私の家で練習出来るので、良かったら遊びに来ませんか?」とのこと。
話を聴くと、何と田中さんの家は武蔵境。
私の高校のすぐそばです。
早速みんなの予定を合わせてお邪魔することにしました。

駅から亜細亜大学方面に向かって歩くことおよそ10分。
閑静な住宅地にあって、瀟洒な佇まいを見せる一軒家が田中さんの家でした。

門のチャイムを押して出てきたのは、優しそうなお母さんらしき人でした。
怪しげな3人の男子高校生を満面の笑みで迎えて、「さあさ、入ってください」
玄関にはすでに田中さんとおぼしき人が立っていて
「こんにちは」と声をかけてくれました。
(うわっ、大人だ。。。)

早速ピアノのある部屋に通されると、田中さんは自己紹介を始めました。
現在大学3年生で、ジャズピアノを専門学校に通って学ばれていること、
そしてこの部屋を使っていた祖父が数ヶ月前に亡くなったこと、などなど。

年上なのにほんとうに謙虚で誠実な話し方の田中さんを、
わたしたちはすっかり気に入っていました。

「少し音を合わせてみましょうか?」
私の提案で久島はスティックとブラシをケースから取り出し、
雑誌をスネヤドラムに見立てて4ビートを刻み、
斎藤も持参したエレキベースをケースから出した。
「とりあえずブルースか何か一緒に演奏してみましょう!」

すると田中さんが、「ちょっ、ちょっと待ってください!」

「初心者なので無理です。」

「またまた~~!!」

「いいえ、本当に無理なんです!」

「またまた~~!!」

音楽を専門に学んでいるのだから弾けないはずがありません。
かなり上手なのに、直前まで自分のことを低めておいて演奏に入るとバリバリ弾き、
わたしたちにショックを与えるタイプだと思っていました。

かまわずギタートリオでFのブルースを始めました。
田中さんは指先が少し震えていましたが、音を出したとたん、

「ピニョー~~~ン」 「ポロロ ポロリン」
(わざとか?? わざとはずす作戦か。。。)

その後もわたしたちに合わせようと必死の様相ですが、
一つとしてはまる音とリズムがありません。

途中で演奏を止めて、
「キーが違っていましたか?」と訊ねると、
「いえ、本当にピアノもジャズも初心者なのです、すみません」

田中さんは本当に初心者だったのでした。

でもわたしたちはそんな謙虚な田中さんのことが大好きになりました。
私はいろいろな曲のコード進行やバッキングのタイミングなどを田中さんに教えつつ、
また斎藤康彦のベースラインも教えながら、毎週のように練習を繰り返していきました。
思い起こせば、私はこの時期にバンドのアンサンブル方法などの
大きな訓練を受けたのかもしれません。

※田中さんとは連絡が取れました。
現在は千葉県で公立学校の音楽の教員をされていて、
2009年3月に定年退職されるそうです。


梅雨になりました。
しばらくギターとジャズの世界から離れなくてはいけない季節がやって来ます。
そうです、自転車日本一週旅行の後半がやって来るのです。

                                つづく
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by ymweb | 2009-01-06 17:10 | じゃずぎたりすと物語
〈初めてのジャズバンド結成〉 36

心と体力をしっかり充電して自転車旅行から家に戻った今、
ひねもすジャズギター生活の再開です。

テクニックも大分身に付いてきたし、
いろいろな曲のメロディやアドリブも取れるようになりました。
バンドを組んで仲間と合わせて演奏したいという気持ちは日に日に増してゆきました。

とはいえ、ほんの少年にすぎない私にとって、
この希望を実現させるのはなかなか難しそうです。
ジャズに興味があって、しかもジャズバンドをやろうという
同年代の若者などまずいないでしょう。
実際のところ、学校の仲間が興味を示している音楽はロックでは
「ローリング・ストーンズ」だったり、フォークでは「PPM」だったり。

そんな中、本屋でジャズの本を立読みしていると、
巻末近くに「ジャズバンド・メンバー募集」のコーナーを見つけました。

「当方社会人で45歳、ジャズピアノを勉強しています。」とか、
「ベーシスト募集!当方大学のビックバンドでカウント・ベイシーを演奏。」などなど。

一瞬目を輝かせましたが、そこに載せられている募集情報の多くは社会人か大学生でした。
また自分には演奏したいジャズのジャンルがありました。
そう、自分がリーダーで、自分のアレンジや選曲で思うとおりに演奏したいのです。

メンバー探しはとても時間がかかりそうですが、
毎月出版されているこのジャズの本の情報源は今後も大切にして、
毎月立ち読みすることにしました。

ある時また本屋に行き、メンバー募集の記事を眺めていると、
「当方高校生でドラムを勉強中。ストレートアヘッドなジャズバンドに参加したい」
そう書かれている記事が目に飛び込んだ。

この記事を見逃すはずはありません。
すかさず書かれている電話番号をメモして電話しました。
(当時は現在と違って電話番号や住所をオープンに載せていました。)

「もしもし」

「あ、はい。。。」
高校生にしてはいささかぶっきら棒に電話口に出た少年と来週、
私の高校の音楽室で会う約束を取り決めました。

「はじめまして。」
ひょろっとした風体で音楽室に現れた彼の名は久島勝則(くしま かつのり)。
スネアドラムとハイハットを持参していました。

驚いたことに敬愛するドラマーは何とマクス・ローチだそうです。
これは大きく出たものです。
マクス・ローチといえばモダンジャズドラミングの開祖的人物。
この若さでモダンジャズのドラムを研究しているのでしょうか。。。

私と二人で軽く音を合わせてみる。

軽快なブラッシュワークと確実なスネアのテクニック。
どうやら先ほどの公言は嘘ではなさそうです。

私の出すカウントに一つずつ首を上下に振ってリズムを確認する。
こんな動作が彼の真面目さを物語っています。

お互いすっかり意気投合して、是非バンドを組んで一緒にやって行こう
ということになりました。

しかし低音域とリズムを受け持つ柱であるベーシストがいません。
「メンバー募集」のコーナーを見ても、不足している楽器の多くはベースでした。

私はひらめきました。
そうだ、あいつをベーシストにしよう!「

少しギターをかじっている仲良しで、斎藤康彦という同級生がいました。

しかし彼はジャズというよりはフォークソングしか興味がありませんでしたから、
先ずはジャズという音楽を洗脳させることが先決でした。

会うたびに毎回ジャズの良さを語り、レコードをかけては洗脳してゆきました。
そしてジャズにおけるベースの魅力を伝えると、彼は快く反応しました。
久島君との相性も良かったことが幸いして、
当初は借り物のエレキベースで練習していましたが、
話し合いの末ついにコントラバス購入を決めました。
先ずは形から入り、それからジャズベースを学ぶというわけです。

何とも強引な方法でした。

しかし忠実で謙遜な斎藤君は少しずつでしたが
確実に上達していきました。
ここまできてようやくジャズベースの魅力に気付いたようです。

こうして記念すべき私の初めてのギタートリオが結成されました。

                                  つづく
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by ymweb | 2008-08-19 16:42 | じゃずぎたりすと物語
35 「アルプス超え」

「貴昭はギター弾くんやったな?! 上手いんやろ?」

いろいろなことがあって少し忘れかけていた「ギター」というキーワードに、
思わず体もピクッと反応してしまいました。

「ギターがどうした??」
通弘の親友で広田君というギターが上手なのがいて、
昨日私のことを話したら、是非家に遊びに来てほしいと言っていたそうだ。
早速二人で彼の家に行くことにしました。

途中おなかが空いてきたので、学校帰りに通弘がよく行くという
「お好み焼き屋」さんに入りました。
実はこのとき私は生まれて初めて「お好み焼き」というものを経験したのです。
おばちゃん一人でやっている小さなお店でしたが、
キャベツに紅生姜や天かす、玉子などを小麦粉で溶いた汁でかき混ぜて焼く、
そんなスタイルでした。
嬉しかったのは値段です。
ボリュームがあるのに、たった30円でした。
通弘がちょくちょく学校帰りに寄るのも納得です。
こういうお店が東京にも欲しいなと思いました。

おなかも一杯になったところでまた自転車を走らせ、
川のすぐそばにある広田君の家に着きました。

すでに庭の方からギターの音が聞こえてきます。

「お~いっす!!」
慣れている通弘が垣根の横から庭に入り、私に指で「おいで」と合図しました。

「ほら、昨日話した貴昭。」

細身で長身の広田君の目は優しくて表情も笑顔で溢れていたので、
初めて会ったにもかかわらず、すぐに打ち解けて仲良しになりました。

しばらくは広田君の演奏に聴き入ることにしました。
使っているギターはフォークギターでしたが、フォーク以外に、
クラシックやポップスなどの曲をいろいろ弾いてくれました。
毎日練習しているのでしょうか、とても上手です。

「ねえ、弾いて弾いて!!」
もちろん遠慮しないで触らせてもらうことにしました。

例によって、みんなが知っていそうなポップスや歌謡曲から弾き始めて、
次にピックを使ってベンチャーズや寺内タケシで テケテケテケテケ
そして演奏はもちろんジャズにと発展していきました。
短い時間にこれまでの私の音楽のダイジェストです。

「よしあきさんは上手だね~~~」
広田君のこの言葉にますます気を良くして弾き続けます。

広田君と通弘から「飽きた」という雰囲気は感じられません。
もしそうだとしても、もっと弾いていたいのでほっておきたいと思います。

「いらっしゃい!」
広田君のお母さんがスイカを切って持ってきてくれました。

しばし休憩をしていると通弘が突然、「泳ごうか!」
そう言ってシャツを脱ぎ始めました。
広田君も「お~っしゃ!!」と言ってシャツとズボンを脱ぎ始め、
二人ともパンツ一丁になりました。

どうやら裏の川で泳ぐようです。

「ほれ貴昭も!」

二人の暗黙の了解に圧倒されて、私もズボンとシャツを脱いでパンツ一丁になって
彼らの後に着いて行きました。
草むらを30歩も下れば、そこには幅が10メートルくらいの川が流れています。

みんな一斉に飛び込むように川に入りました。

川で泳ぐということ自体、私にとって生まれて初めての経験です。
水は青く透明でした。
流れもあるし、いきなり深いところもあるので実にスリリングです。
潜ると小さな魚も見えました。

「うあっ!!蛇だ!!逃げろ~~!!」
私の真横を茶色の蛇が平行して泳いでいます。

水をかけ合ったり、水中で3人一緒にでんぐり返りをしたり。。。
考えてみれば年上の私でさえ15歳、彼らはまだ中学2年生。
はしゃぎたい盛りでもありました。


かくして、居心地の良い高山におもわず3日間も滞在しましたが、
いよいよ出発の朝が来ました。

「日本の屋根」と称される北アルプス越えの試練が待っています。
この厳しい行程は旅行計画を立てている時から覚悟していました。
しかしここでしっかり充電して十分活力を得たので元気一杯です。
今までのように弱気にはなりません。

そんな時おばちゃんが一言。
「兄さん呼んで途中まで送っていってもらうか??」

ひぇ~~~!! それは勘弁してください!!!
大丈夫です、行けます一人で!

玄関先には通弘と康宏、そして広田君も駆けつけていています。

「さようなら!」
愛車レッド号にまたがり、思い出の飛騨高山を後に、いざ出発!

えんやこら えんやこら。。。。

街を出るとほどなくして、ちんたらと上り坂が続きます。
覚悟していた通りです。

しかしこの上り坂が、峠に近づく頃には非舗装の砂利道になってさらに傾斜を増し、
長野県の県境の「安房峠」まで48キロ続きます。
そう、48キロも上り坂が続くことを考えるだけで気が遠くなります。

えんやこら えんやこら。。。。
まだ道路は舗装してあるというのに、坂がいくらか急になるだけで、
ペダルを漕ぐ力が負けてしまい、自転車を降りて押さないと進めません。
次のカーブを曲がり終えたらまたすぐに次のカーブが見えてきます。
少し道がなだらかになったらペダルを踏んで、また降りて押して。。。
峠までは確かに気が遠くなるような道のりです。

これって、ギターの練習にも同じことが言えるかもしれません。
難しいフレーズをどこまで同じ演習を繰り返したら弾けるようになるのか、
練習している時にはまるで先が見えません。

自転車旅行の楽しみが、ようやく登りきって峠を越したダウンヒルにあるとすれば、
ジャズギターの楽しみは練習したフレーズがしっかり身に付いて、
スムーズに弾けるようになることかもしれません。
どちらの場合も、近道はありません。
堅実に一歩一歩踏みしめて歩まなければならいのです。

えんやこら えんやこら。。。。

そんな偉そうなことを考えて気を紛らわして進んでいると、
ようやく第一の難関の「平湯峠」に着きました。
ひんやりとした空気が気持ち良い。
それもそのはず、標高はなんと1.684mです。

「平湯館」という老舗っぽい旅館の前でしばし休憩しました。
玄関先にはこの辺に出没したのでしょうか、小熊がつながれていました。
近くにある「平湯大滝」で、観光客に記念スナップを撮ってもらった。

北アルプスを越えるためには、さらにもう一つの峠を越す必要があります。
それで勢いと気力が残っているうちに再び出発!

束の間の下り坂の気持ち良さを経験するも、せいぜい額の汗が乾く程度。
道幅は急に狭くなって、道路は非舗装の砂利道になりました。
もはやペダルを漕いでは進めません。
私の両足はすでにパンパンで膝もガクガクし始めました。

悪魔の坂は、峠が近づくにしたがって自分の時の短いことを知り、
最期のあがきを始めたようです。
時たま通る車の土ほこりも進行の妨げに拍車をかけます。

次のカーブで峠かな。。。 違ったな、では次かな。。。
期待と失望の連続です。

気のせいか、次カーブの先がいくらか明るく見えます。
何か書いてある標識が近づいてきます。

「安房峠・標高1.790m」 「長野県」

やった~~~~!!!!!!
ついに日本アルプスを越えたのだ!

ここからはずっとダウンヒルが続き、安曇野の里を軽快に疾走して松本に到着、
さらに塩尻まで南下しました。

アルプス越えでかなりの時間を費やしたため、日もずいぶん傾きました。
そろそろ今夜のねぐらを探さなければなりません。

その時、ある光景を見た瞬間、私の目から涙が溢れ出しました。
道路標識には「国道20号」と書かれているではありませんか。
我が家のすぐそばを通る20号線、そう、甲州街道です。

順調であればこの自転車旅行も今夜が最後で、
明日はいよいよ家路に着くはずです
岡谷市街まで進んだところで国道横にお寺を発見。
ご住職に事情を話して本堂に泊めていただくことになりました。

いよいよ明日、お父さんやお母さんたちの顔を見れると思うと、
心がうきうきしてなかなか寝付くことが出来ないかな。
これまでの自転車旅行のことが走馬灯のように駆け巡る。。。
と思いきや、あまりの疲労感で爆睡しました。

いよいよ次回「最終自転車旅行記」 乞うご期待!

                           つづく
写真 平湯峠・平湯大滝
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by ymweb | 2008-05-25 04:25 | じゃずぎたりすと物語
しかし何の権限があってここにテントを張っていることに文句言われる筋合いがあるのでしょう。
恐怖の中にも何だか釈然としない感情が沸いてきました。

公園の街灯がテントを少し照らしていたのですが、その光が一瞬さえぎられました。
彼らはこのテントのすぐ近くにいるようです。
寝袋の中からじっと息を殺して様子を伺いました。

横に停めてあるレッド号の荷物には地図や洗濯物などだけで、
金目のものも一切ありませんから、何か持ち去られる心配はなさそうですが、
カメラはシーツの下に隠しました。

彼らもこちらの様子を伺っているようです。

テントの外に出て行かない限りは、このテントの中の人物が力道山のような強い男かもしれず、
ひょっとして極悪なヤクザかな、と思うかもしれません。

しかしその私のかすかな期待は無駄であることが判明しました。
横にはいかにも自転車旅行中というレッド号を停めています。

ガ~~ン!!
力道山や極悪ヤクザは自転車旅行しません普通。



そばにいるであろう彼らの前に、勇気を持って私から出て行くことにしました。

「何ですか? 何か用ですか?」

街灯に照らされた彼らの風体は、いかにもチンピラを代表する格好をしています。
一人は派手な赤と青の柄のシャツを着ていて、もう一人の竹刀を持っている方は
肌着の上に直接スーツを着ちゃってます。
年は20代前半でしょうか。
二人とも笑っちゃうくらいチンピラの格好です。

「自転車旅行か?」

その「肌着スーツ」の兄ちゃんが私に聞いてきました。

「ヤクザならともかく、チンピラはとかく危険で扱いにくい」
そんなことを聞いたことがあったので返答はやわらかく注意深くありました。

「ええ、そうです。」

すると彼が竹刀でレッド号の前輪のタイヤをポンポンと叩きながら、
「誰の許可を得てここにテント張ってんだ!? ん?」

こっちこそ(何の権限であなたに言われなければならないんだ? ん?)
と聞き返してやりたかったけど、とてもそんなこと言える空気ではありません。
こういう輩は人をからかって楽しんでいるだけです。

「お金が無いからです。」
率直に答えました。

柄シャツが勝手にレッド号の荷物を空けて物色しています。
暗いのでよく見えなかったのでしょう、洗濯物のパンツを手で持って、
「なんだこれは!?」
「うわっ パンツだ! 汚ね~~!!」

(確かに汚いけど、勝手に触ったのはあんたでしょ? ははは~のは。)
もちろん口には出しませんが。

「あの。。。 何も大したものはありませんから。。。」

この言葉に「肌着スーツ」が反応しました。
「何!? 俺らは泥棒ってか?」

「柄シャツ」も汚れ物のパンツを触ったことで少しピリピリしていたのでしょうか、
同調して「何? 泥棒?!」
私に近づいたとたん胸倉を思いっきりつかんできました。
痛っ!

(これは確実に殴られる。。。。)


覚悟していると、急に胸倉を掴んでいる彼の手の力が抜けました。
どうしたことでしょうか。
「肌着スーツ」と二人、顔を見合わせるや、そそくさと暗闇の方に走り出しました。

私が後ろを振り返ると、柵の向こうの細い道路から白い自転車の明かり。
そう、彼らが目にしたのは巡回中のお巡りさんでした。


「そこはテント張ってはダメですよ」
若いお巡りさんが叫びながらこちらに近づいてきます。

事情を話しました。

「警察官としてはここに宿泊することを許可することは出来ないけど、
明日の朝明るくなったらすぐに出発しなさい。」
融通の利く警察官でした。

「彼らはもう来ないでしょうけど、念のために後でまた回って来ます。」
こう言い残して去っていきました。

テントの中に戻って寝袋に入りましたが、興奮していて当然寝付けません。
掴まれた胸倉が少し赤く腫れていました。



外が明るくなってきました。
いくらか寝れたのでしょうか、起き上がったら少し意識が朦朧としています。

お巡りさんの言い付け通り、日の出と共に出発することにしました。
テントをたたんでいると、レッド号の周りはチンピラがばらまいた洗濯物。
昨夜の恐怖が蘇ってきました。

野営することは常にこういった危険を覚悟しなければなりません。
それにしても危機一髪のところをお巡りさんに助けられました。

少しふらふらとしながらも気を取り直して出発!
頭の中の音楽に合わせてペダルを踏みますが、今回頭を流れている音楽は。。。

「♪も~しも~しベンチでささやくお~二人さん♪」
「♪野暮な説教するんじゃないが~ ここらは近頃物騒だ~~♪」

もちろん「若いお巡りさん」です。
本当に物騒でした。

ただし私には歌詞にある「早くお帰り」の気持ちは大きいのですが、
「今なら間に合う終列車」の代わりに自分の足でペダルを踏まなければなりません。

国道8号線を進んでいくと富山の市街地に入りました。
神通川に沿って南下し、国道41号線に出て飛騨高山に向かいます。

父は飛騨神岡の生まれのため、親戚が大勢飛騨地方にいます。
富山市内から高山に住む親戚に電話することにしました。
当時は現在と違って遠距離通話料金が異常に高いため、
こうして比較的近くまで来てから電話をかけることにしていました。

高山には仲良しの従兄弟たちが住んでいます。
電話に出たのは父の妹、つまり私の叔母さんでした。

「貴昭、今どこにおるん?」
「お兄さん(父)から聞いとるでな、貴昭が自転車で旅行しとること。」

今富山にいて高山に向かっていることと、
あまり寝ていないので体調が思わしくないことを報告しました。

「41号線を来るんじゃろ? くれぐれも気をつけてな。」

弘子叔母ちゃんは昔から優しくて大好きな人でした。

神通川を横に見ながら、国道は山に吸い込まれていくようにゆっくりと登っていきます。

「猪ノ谷」というところから越中西街道と東街道に分かれます。
高山までの距離はどちらもほぼ一緒のように思えますが、
父の生まれた神岡を通ってみたかったので、
ここは迷わず東街道、つまりそのまま国道41号を走ることに決めました。

睡眠不足と炎天下に加えて長い上り坂のために体の疲労と衰弱が激しく、
頭痛と吐き気ももよおしてきました。

見通しの悪いカーブを曲がろうと大きくペダルを踏んだその時です。
正面から青色のトラックが私に向かって猛スピードで突進してきました。

あっっっ!!!

ギギ~~~ッ!!!

                                  つづく



写真:国道41号線を高山方面に向かう。
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by ymweb | 2008-04-03 15:01 | じゃずぎたりすと物語
32〈安堵と恐怖 それぞれの一夜〉

「あの~~。。。 こんばんは」

寝袋に入ったままテントの入り口のチャックを開けると、
この家の奥さんが立っていました。
「もうお休みになられましたか??」
「私のところはこれから晩ご飯なんですけど、よろしかったら一緒にいかがですか?」

寝袋には入っていましたが、まだ寝入ってはいません。

「あ、はい。」

時計を見ると時間はまだ7時30分を指しています。

今日はよく走って疲れたので早めに寝ようと思っていました。
しかし「ご飯」というキーワードに思わず反応して
「ありがとうございます、いただきます!」と条件反射で答えました。

昼間の「肉丼」の悲しい思い出が後を引き、食堂に入る気が失せて、
考えてみれば夕食は商店に入って買ったコッペパン1つと牛乳1本だけでした。

広い家です。
玄関から食堂に案内されると、ご主人はすでに座っていてテレビを見ていて、
テーブルの上にはご馳走が並んでいました。

(わお~~~!!)

ご主人が「さあ食べてください」。

遠慮なくいただくことにしました。

一人息子が最近結婚して会社のある金沢に住むようになったため、
現在はこの広い家に夫婦二人で生活しているそうです。
これまでの自転車旅行体験談をいろいろと話すと、
初老の夫婦は話に興味津々聞き入っていました。

すっかりご馳走になり、心の栄養もいただいてお腹一杯になりました。

「部屋が空いているからそこで寝なさい」と勧めてくれましたが、
すでに庭にテントを張ってあるし、そこまで甘える気になれず、
「慣れていますから」と言って自分のねぐらに戻りました。

翌朝、気持ちよく目覚めてテントをたたんでいると奥さんがやって来て
「これお弁当」と言って私に手渡しました。
おにぎりのようです。
「朝食も一緒にと思ったんですけど、まだ寝てらしたようで。。。」
このご夫婦の優しい気遣いに感謝しました。

さて心身ともにリフレッシュしてまた出発。

さて、出発して間もなく愛車レッド号の前にのどかな光景が現れました。
牛が荷車を引いて道路を走っています。

「すみません、写真撮ってもいいですか??」

真っ黒に日焼けした農家のおじさんは何も言わなかったけど、
失礼して「パチッ!」

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国道8号線に出て加賀市を通過して、ひたすら金沢方面に向かいました。
道はそれほど広くはないけれど、平坦で交通量も比較的少なく走りやすい。

午後になって金沢市内に到着。
せっかくここまで来たのだからと、日本三大庭園の「兼六園」を見学すべく、
案内標識に従ってレッド号を走らせた。

それほど高くない入園料を払って中に入り、早速庭園を散策。

う~~ん  美しい、しかも 何と広いのだろう。
この木の枝はテレビで見たことがあるぞ。
冬に雪で折れないように紐でくくってあるんだな。。。

確かに日本三大庭園の一つだけあって規模も大きく手入れも行き届いていました。
しかしこれまでほぼ日本を半周して自然の美しい景色をずっと見てきた私にとっては、
それほど感動を覚えなかったことは事実です。

さくっと一回りして戻り、また愛車レッドにまたがって出発しました。

津幡から小矢部を通過してさらに国道を進んでいくと、陽もだいぶ傾き始めました。
そろそろ今夜のねぐらを確保する時間帯です。
今日中には距離的に無理ですが、明日は飛騨高山まで行こうと決めてあります。
というのは、父が飛騨出身の人なので高山周辺には親戚の家がたくさんあります。
昔から仲良くしている従兄弟も二人高山に住んでいますので、
そこに泊まって世話になろうと言う魂胆です。

そんな明日の楽しみを胸に、わくわくした気持ちで走っていると、
突然道路がでこぼこになり、ハンドルをとられてとても運転しづらくなりました。
気が付けば道路に路面電車の軌道が平行して走っています。
そうです、高岡の街に入って来たようです。

道から少し脇にそれてしばらく進むと、林に覆われた小さな公園がありました。
あたりには民家が無く、まだ夕方だというのに薄暗くて少し不気味な公園でしたが、
時間も時間でしたから、目立たない場所にテントを設営しました。
管理人がいそうな建物も見当たりませんでした。

設営が終わったテントの中に入って回りを整理して、
買ってきた惣菜とお弁当を広げて夕食の準備です。
牛乳はパワーをつけるために夕食の必需品です。
自分に「お疲れ様!!」と言って食事をいたきます。

外はすでにすっかり暗くなっていますが、この時です。

遠くで「おいお前ら!何いちゃいちゃしとんだ!バシッ!」
「ん??こりゃ!!バシッ!」

明らかにチンピラのような柄の悪いお兄さんが二人、
公園のここから一番端のベンチにいたカップルをからかっている風でした。

そっとテントを開けて様子を伺うと、
竹刀のようなもので脅しているのが遠くに見えます。
アベックはそそくさと逃げていったようです。

(こっちに気付くなよ。。。) ランプを消して息も殺してました。
こちらに気付く様子はなく、このままこの公園を去っていくのかな。。。
と安心した瞬間「おい!あんなところにテント張っているのがおるぞ!」

気が着いたようです。
足音が近づいてきます。

「われ!誰じゃ勝手こんなとこにテント張ってるの、出て来い!!」

うわっ。。。。

15歳の宮之上少年、絶対絶命のピンチです。。

                         つづく
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by ymweb | 2008-03-18 15:18 | じゃずぎたりすと物語
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朝、目を覚まして布団に入ったまま上を見ると格子の天井が見えます。
屋根の下で寝るという、当たり前のことがとても幸せに感じます。
とりわけここ「炭屋旅館」は居心地が良くて、熟睡することが出来ました。
しかし「素泊まり」ですから朝食は付いていません。
同室の外人たちは出発したのでしょうか、すでに部屋にはいません。

チェックアウトまではまだ時間があったので、
行程や費用の面で、後半となった自転車旅行の計画を再確認しようと思います。

自転車の故障や体調の面など、いろいろなことがあったものの、
ここまでかなり順調に進んで来たことが分かりました。
費用面も切り詰めてきたので、今のところ心配はなさそうだし、
日程的にもいくらか余裕がありそうです。
せっかくの京都ですから、もう少し名所を探索したいと思いました。

快適だった宿を出て、嵐山に向かいました。
松尾から嵐山の渡月橋を渡って太秦へ。
夏休みということもあって京都の街はどこも観光客で賑わっていました。
結局、京都の街を出たのは午後になってからでした。

しばらく交通量の多い東海道を走り国道8号に出てそれを北上。
今日の目的地は琵琶湖の湖畔に位置する近江八幡にあるユースホステルです。
日程的にも金銭的にも少し余裕があったので、距離もあまり稼がず、
ひょっとしてまたギターが弾けるかな?という期待も込めての計画でした。

予約していなかったので満室が心配されましたが、どうやら泊まれそうです。
古くてなかなか趣のある建物でしたが、昨日の旅館の居心地があまりにも良かったので、
ついつい比べてしまいます。
しかし残念ながらギターは誰も弾いていませんでした。

今日の宿は、明日からのパワーを蓄えるためのものだ!
そう勝手に心に決めて、夕食でまたご飯を6杯もおかわりして、
早めにぐっすり寝ました。

翌朝、熟睡したお陰で宿泊客の誰よりも早く起きて朝食を済ませ、すぐに出発しました。

真っ青な空の下、ほぼ琵琶湖に沿って8号線をしばらく北上すると、
左手前方に城が見えてきました。
彦根城です。
その美しい姿とうっそうと茂る涼しげな森の魅力、そして空腹も手伝って、
吸い込まれるように城のすぐ横まで来てしまいました。

思ったとおり空気はひんやりしていて、時おり吹き抜ける風がとても気持ちがいい。

と、目の前には「肉丼・親子丼」と書かれた小さな食堂が。
朝食もしっかり食べて出発したはずなのに、
自転車はよほどカロリーを消費するのか、すぐにおなかが減ります。
まだお昼前でしたが「営業中」と出ていたので入ってみることにしました。

とても綺麗とは言えない店内にはおばちゃんが一人。
「はぁい。」

「笑顔」も「いらっしゃいませ」もない、何とも無愛想な接客。
入ったとたんに出たくなりましたが、
(こういう店に限って家庭的で美味しいかも・・・)などという
かすかな期待を込めてテーブルに腰をかけました。

壁に書いてあるメニューを見ると
親子丼と肉丼がそれぞれ300円。

ゲッ!  高~~い!!

そうか、ここはいちおう観光地なんだな。。。
小汚い店のくせに値段だけはいっぱしに取るな。。。

「に、肉丼お願いします!」
少し勇気を奮って、そして少し期待を込めて注文しました。

するとほんの1分後、その「肉丼」とやらが出てきました。

なんぢゃこれは!!!???

何か肉片のようなものが丼ぶりに盛られたご飯の上に3切れ。
それだけ。 たったそれだけ。

15歳とはいえ宮之上少年は、どこで食事しても美味しくなくても、
作ってくれた人に感謝を表して「ご馳走様」を言うんだよ、と親から躾けられてきました。
しかし今は嫌です、言いたくありません。

実はまだお腹は満たされていませんでしたが、
強い意思表示を示してあえて半分残し、
黙って大枚300円をテーブルに置いて店を出ました。
消費しているカロリーの体に「肉」という文字は弱いものの、
ここまで「鼻が利かない」自分が情けなくなりました。
それ以来「彦根」という地名を耳にするたびにこの店の肉丼を思い出します。
食べ物の恨みは恐ろしいです。

嫌な思い出の彦根城を後にして8号線をさらに北上し、
長浜を過ぎて琵琶湖の北端に位置する木之本から先は山道になります。
峠を越せば近畿とお別れして北陸の福井県に足を踏み入れるわけです。

よいしょっ! よいしょっ! 男だ!登れ!

訳のわからない気合を自分に入れて峠を登っていきます。

ヒェ~~イ!!! 気持ちいい~~!!!
自転車旅行の醍醐味の99パーセントはペダルを踏まない下り坂の
いわゆる「ダウンヒル」にあります。

あっ!!!  日本海だ!!
紺碧の海が両脇の山に抱えられるように姿を現しました。
そう、敦賀湾です。
いよいよ私を乗せた愛車レッド号は北陸までやってきました。

しばらくトンネルの多い国道を海沿いに走った後、
鯖江の街を通過して福井市内に入りました。
昨日まで少しサボった分、今日は行けそうなところまで走ろうと思いました。

福井市を越してしばらく走っていると、「金沢74Km」と道路標識が出ています。
金沢・・・・
ペダルを漕いでいる自分の足を走りながら見つめて、
我ながらよくこんなところまで来たものだと思いました。

このまま進めば確かに金沢まで行けるかもしれませんが、
地図上で昔からずっと気になっていた景勝地を訪れることにしました。
国道から左にそれて海辺の三国町に進路を取ります。
そう、向かうは「東尋坊」です。

三国に着くと街中が魚の匂いに包まれていました。

「東尋坊」の道路標識にしたがって進んで行くと、
いつの間にか海岸線はその形相を変えてきました。
狭くなった道は小高い丘に強制的に連れて行きます。

凄い景色です! 
何という高さでしょう、海が断崖になっています。
「自殺の名所」としも有名だそうですが、なるほどここから飛び降りれば
生きては戻れないと思いますし、死体もまず上がらないでしょう。
この景色に圧倒されて、しばし茫然としていました。

気が付けばもう夕方になっていました。
今日はずいぶん走りました。
そろそろ宿泊場所を決めなければなりません。
国道に戻る途中の芦原温泉に程近い場所に、ひと際大きな庭のある家を発見。
交渉すると、庭にテントを張ることを許可され、そこに宿泊することになりました。

二日間さぼった付けが回ってさすがに今日は疲れましたが、
この旅行も終盤になってきました。
旅行は苦しくもあり、楽しくもありなのですが、
私にとって一番きついのは何といってもギターが弾けないことです。
確かにお父さんやお母さんの顔も見たいけど、ホームシックというよりは
ギターシックです。

ジャズを弾きたい。。。聴きたい。。。

そんな思いで寝袋に入って横になりました。

その時です! テントに近づく人影が。。。。

                          つづく


写真:名勝「東尋坊」と愛車レッド号
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by ymweb | 2008-03-03 04:31 | じゃずぎたりすと物語

後悔

じゃずぎたりすと物語 29 〈後悔〉

昨日の寝不足がたたってか、
いつもなら7時頃には自然に目覚めるのだけど、
何と目が覚めたのは10時過ぎでした。
テントの中は日の出と共に明るくなり、
そして温度も上がってくるのだけど、
この日ばかりはそんな状況などお構いなしで爆睡しました。

あわててテントをたたんでいざ出発!
しかし明らかに寝坊で、このことが後に大きな後悔へとつながっていきます。

今日は四国を離れて本州に上陸です。

徳島からフェリーに乗っていきなり和歌山に移動するコースもありますが、
せっかくですから「鳴門のうず潮」を見て淡路島に渡り、
淡路島の途中から大阪湾の泉南に渡るコースを選びました。

高松の街を過ぎた頃、国道の両脇のいたるところに
「うどん屋」の看板が目に付きます。
そんな中、とりわけ雰囲気だけで「ここは絶対美味しい!」と
思えるような店を見つけました。

その店は名前らしきものがなく、
ただ「元祖讃岐うどん」と書いてあります。

駐車場だけは異常に広いけど、
飾り気のないごく普通の民家のような店構えで、
入り口のところに、営業時間は午前11時30分開店、とあります。

時計の針は今午前10時45分ですから、
食べるためにはあと45分も待たなければなりません。

うわっ、どうしようかな。。。
驚いたことに閉店時間を見ると、何と午後3時と書いてあります。
な、何と殿様商売の店なんだ!
これは美味しいに決まってる!

しかし今朝は寝坊したし、少し先を急ぐ必要がありました。
(ここは仕方なく諦めてもう少し進んで他の店でうどんを食べよう)
そう思い直してレッド号にまたがった時、
1台、2台と国道からこの店の駐車場に車が入って来て、
車を降りた人たちが開店前のこの店に並ぶではありませんか。

うわっ、勘は的中した!
やはり相当有名で美味しい店に違いありません。
これはもう待つしかないでしょ。

そして45分後、店のシャッターがおもむろに開けられ、
流れ込むように待っていた客は店の中に入っていきました。

いつの間にか私の後ろで開店を待っていた客は
10人になっていました。

あれ~~??どうするんだ??
店のシステムが解らず、戸惑っている間に
後ろの客が私を追い越していました。

どうやらほとんどセルフサービスらしく、
棚に並べてある天ぷらや玉子などを勝手に取って、
店主が暖めるうどんの上に載せています。
ほとんどの客はうどんの器に乗せきれないほど盛っています。
私は予算がないのでうどんを大盛りにして、
トッピングは野菜の天ぷらだけにとどめました。

美味しい!!
生まれて初めて食べる本場の讃岐うどん。
つゆは限りなく透明に近いけど塩気は十分で、
昆布のつゆが利いています。
しかし素晴らしいのは麺にありました。
かつてこんなに噛み心地のあるうどんは食べたことがありません。

満足のいく250円でしたが、壁に張られてある文句をみてガクッ。

「天ぷらや玉子はサービスですから自由にお取りください」

なるほどみんなが並んでまで待つ甲斐のある店でした。
しかしこの時間の使い方も、後ほど大きな後悔へとつながります。


さて思わぬところで「うどん」も「時間」も食ってしまいました。
徳島県鳴門市に向かって再び出発。

平坦で走りやすいと思えた国道11号線でしたが、
交通量の多さに加えてピーカンの天気。
体力の消耗も激しく、
走行は考えていたより簡単ではありませんでした。
高松から鳴門までたった60キロを3時間もかかってしまいました。

ようやく鳴門市に入って、淡路島に渡る「淡路フェリー」乗り場に向かいます。
道路の両脇の看板には「鳴門昆布」の直売店が並んでいます。
かなりのんびりペースで走ったために、ずいぶん陽も傾いていました。

淡路島は目の前に浮かんでいて、距離が近いので、
きっとフェリーの本数も多いものとたかをくくっていましたが、
私が到着するとフェリーは出航したばかりで、
次の便は1時間後の夕方4時でした。

ようやくフェリーが到着して、車の乗船に次いで乗り込みました。
さて楽しみにしていた「鳴門のうず潮」を見ることが出来るでしょうか。
私の大好きな時代劇俳優、近衛十四郎が出演して鶴田浩二をびびらせたという
「鳴門秘帖」の舞台ですから。

「うず潮」見物のために甲板に出て、それらしき海を一心に見つめました。。。

が、見当たりません。

目を凝らして海原を見つめるも、見当たりません。

どうやらうず潮はフェリーの航路よりかなり東側で発生するようでした。
なるほど乗船客の誰も甲板に出る人がいないわけです。

ん~~ 残念!! 
これも徳島藩主・蜂須賀重喜の仕業か?
などと他愛もない思いを胸に四国を後にし、
向かうは眼前に浮かぶ淡路島。
待ち時間が長かった割にはあっという間の20分で到着しました。

自転車は車より先に下船の合図。
ヒューっと軽快に舗装された道路を走ります。
淡路島は広くて島という感じがまったくしません。

およそ1時間走り、島を3分の2くらい北に縦断して津名という町に到着。
ここからフェリーで大阪の泉南というところまでまたフェリーを乗り継ぎます。

陽は落ちはじめ、時計の針は5時30分を指しています。

フェリー乗り場に到着すると、またまた船は出港したばかりでした。
次の便の時間を確認すると。。。 なんと19時30分とあります。

この2時間の間にテントを張れそうな民家を探すことを思いつきました。
何軒かあたってみましたが、島のせいか、それほど広い庭もなく、
すべて断られてしまいました。
「淡路島観光協会」というところで安い宿を紹介してもらいましたが、
そのどれも私にとって「ケタ」が一桁違いました。

この時になって朝寝坊をしたことと、
うどんに時間をかけすぎたことを大いに悔やみました。

どうしようか。。。
大阪に渡ってから探そうか。。。

フェリーの桟橋で釣りをしている人を横目で見ながら考えていました。
そうこうしている間に遠くから私の乗るフェリーが夕闇の中から近づいてきました。

早速乗船しました。
先ほどのフェリーより一回り大きな船体でした。

およそ1時間20分で大阪の泉南に到着するそうです。
ということは、下船するのは夜9時頃ということになります。

船室で地図を広げて黙想します。
この夜にどこまで走らなければいけないのか。。。
どこか泊まれる場所はあるのだろうか、

まったくあてのない旅に、15歳の宮之上少年はとても心細くて心配になり、
あらためて旅の怖さを実感しました。
昨日の夜、大学生にギター対決したあのツッパリの気持ちは
もはやこの時点ではありません。

「本日も大阪湾フェリーをご利用いただき、まことにありがとうございます。
間もなくこのフェリーは大阪・泉南港に着岸いたします」

船室でのくつろぎはここまで。
そんな少年の心などお構いなしにフェリーは到着して、
下船を余儀なくされました。

あっ!

さらに無情の雨が私に追い討ちをかけました。

出発したときは良い天気だったのに。。。

ポンチョを取り出して着て、仕方なく雨の夜道を走り出しました。

フェリーが着いた泉南は、大阪府とはいっても最南端に位置していて、
すぐ隣は和歌山です。
国道26号線は幹線道路のため交通量が非常に多く、
しかも夜に自転車で走るにはかなりの危険を伴いました。

雨のために視界が悪く、濡れたポンチョのために
思うようにハンドルが捌けません。
加えて、ライト点灯のためのダイナモが負荷をさらに増し加えます。
ううっ、寒い。。。

(もう少し早起きしておけば。。。)
(うどん屋は他にもあったではないか。。。)

さまざまな後悔が頭をよぎり、顔は雨粒と涙で溢れていました。


進む先に大きな水溜りがあったので、
少し道路の右に出てそれを避けようとした時です。

後方から大型トラックらしい車が来ていることは知っていました。
でも、道路は広いのでこれくらいはみ出ても大丈夫だろうと思い、
ハンドルを右に切った瞬間、

ギィ~~~~~~~~!!!!

                           つづく
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写真:淡路フェリー
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by ymweb | 2008-02-05 00:34 | じゃずぎたりすと物語
大学生は少し鼻で笑ってる感じでした。
「ほいよ!」
ピックと一緒に手渡されたギターは、
割と弾きやすそうなフォークギターでした。
そして彼らはすかさず女の子のグループのそばに近づいて腰掛けました。

いいんだな!? 弾いて。。。。

流行のポップス? 演歌? そんなのお手のものです。
何たって入り口は古賀政男の演歌、そしてテレビから流れるヒットポップですから。
毎日10時間練習していましたから、
自転車旅行くらいで指が動かないはずはありません。

ギターを手にした私は、さっき彼が単音でたどたどしく弾いていた曲のメロディに
全てコードを充てて数曲をメドレーで弾きました。

この辺も悪い人格形成の現われです。

先ほどまで弾いていた大学生の彼は、最初のうち少しだけ女の子と話をしていましたが、
その後は私の手元に視線は釘付けです。

さらに〈若者たち〉〈バラが咲いた〉などはもちろん、
今流行のグループサウンズの〈亜麻色の髪の乙女〉まで弾けちゃいます。

「ねえねえ、あの曲弾ける?」
女の子たちは近づいた大学生の二人をほったらかして私の周りを囲みました。

興が進んでリクエストのほとんどに応え、〈お座敷小唄〉まで弾くと、
宿泊客のおじさんやおばさん、はたまたユースホステルのオーナーまで大受けです。

やっぱりギターは楽しいな~~~

しかし受けて盛り上がったのはここまででした。
「ジャズは聴いたことありますか?」とみんなに尋ねてみましたが
あまり反応は良くないようです。

「ウェス・モンゴメリーという人はこのように親指で弾くんです」
「それでね、ジョー・パスの演奏するジャンゴという曲はこれこれで・・・」

それまで無口だった少年がギターを手にした途端雄弁になり
周りの人は皆驚いていました。

ギターを手にした時は大学生に対するライバル意識があったものの、
弾いているうちにそんなことは忘れて、自分の世界に入って行きました。

周りのことはお構いなしに、ジャズのフレーズを弾き続けていると、

「明日早いから寝るわ。 ギター弾き終わったらここに置いといて。」
そう言い残して大学生たちが部屋に帰りました。

いつのまにか私の周りには誰もいなくなっていました。
でもまだまだ弾き足りません。

それでは遠慮なく弾かせてもらって、一人でずっと楽しんでいると、
パジャマ姿のオーナーが出てきて、
「音が少しうるさいんですが、もう遅いので、すいませんがそろそろ。。。」

時計の針は確かに午前2時を回っていました。

この晩は床に就いても頭の中でメロディやリズムが鳴り響き、
スィングしながら寝ました。



翌朝、寝坊ぎみに起きてあわてて食堂に行くと、
食事中の宿泊客から「おはよう!」と共に小さな拍手が起きました。

「あっ、どうも。」
少し照れ気味に挨拶して、おなか一杯朝食を詰め込んで出発の準備です。
ギターを借りたお礼を言おうとしたのですが、もう出発したのでしょうか、
大学生の姿はすでにありませんでした。

体調もすっかり良くなり、今日は目的地を高松に決めて、いざ出発!

国道196号線はずっと瀬戸内の半島を走っていて、対岸は広島県です。
距離的に言えば松山から半島を横切るコースが近いけど、
自転車の大敵は「坂」です。
それで四国も北側の外輪をなめるようにコースを選択しました。

愛車レッド号は国道11号に出て順調に進んで、新居浜から川之江、
そして高松市に入って来ました。

ここでも市街地を避けてテントを張る場所を確保します。
公園や神社、寺などの敷地はセキュリティや管理上の問題などもあり、
宿営を断られることが多いので、
大きな民家と交渉して、
敷地内にテントを張らせてもらう方法が賢明のようです。

この日もとてつもなく大きな家を見つけて、
その庭先にテントを張らせてもらい、
無事に宿泊することが出来ました。

いよいよ明日でこの四国ともお別れして本州に戻ってきます。

しかし明日また、とてつもなく過酷な状況に置かれることを
この時点で想像することは出来ませんでした。

                                つづくe0095891_3145217.jpg
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by ymweb | 2008-02-02 03:15 | じゃずぎたりすと物語

ユースホステル

じゃずぎたりすと物語 27 ユースホステルe0095891_1401818.jpg

松山城を後に、美しい瀬戸内の海岸沿いに北に向けて走っていると、
突然くらくらとめまいがして頭が割れそうに痛くなってきました。
気分も悪く、吐き気ももよおしました。

十分な水分も取らずに炎天下を走り続けたので、
どうやら熱中症と脱水症状を起こしたようです。

ふらふらして、とても走れる状態ではありません。
国道から少しそれて、日陰の涼しいところに身を置いて
草むらに横になりました。

いくらか楽になったところで、向こうに見える民家に行き、
水をいただくことにしました。
一昨日の宗太郎峠のトラウマがあって、水をもらうのは慎重です。

「こんにちは~」

「は~い」
出てきたのは背中に赤ちゃんをおんぶした30歳くらいの女性でした。
赤ちゃんは寝ているようです。

「お水ね、はいはい」
事情を話すと奥の台所からコップに水を入れて持ってきてくれました。

「すみません、おかわりをお願いします」
そう言って3回、つまり台所まで3回往復させてしまいました。
でも本当はまだまだぜんぜん飲み足りなかったのですが。

「さっきより顔色が良くなったかしら?!」
体調が悪かったことを察知していたようです。

「あっ、でもお陰さまでずいぶん気分が良くなりました。」

命の水でしょうか、頭痛はまだするけれど、
ほんとうに気分は楽になってきました。

水筒にも満杯に水を入れてもらって、お礼を述べてまた出発。

いくらかふらふらして走行しながら、愛車レッド号は
伊予・北条という街に入ってきました。

時間的にも少し早いのですが体調のことを考えて、
今夜はこの街にあるユースホステルに泊まろうと思います
実はこんなこともあろうかと、
旅に出る前にユースホステルの会員になっていました。

1泊2食付で700円。

一般の人にとっては格安なこの宿泊施設も、
15歳の高校生が自転車旅行で使うには予算オーバーなのでした。
だいいち、野宿すれば宿泊費はタダなのですから。

とはいえ、事情が事情なので仕方ありません。

それは海に程近いところにあり、ほとんど旅館のようでした。

予約をしない「飛び込み」でしたが、空いている部屋があって、
宿泊が可能となりました。

体調が悪いことを伝えると、部屋で休むように言われて、
畳の上で小一時間仮眠を取りました。

夕食の準備でしょうか、いい匂いに目を覚ましました。
体調もずいぶん良くなったので、
外に出て回りを散歩することにしました。

すぐそこは海岸です。
堤防には蛸壺がずらりと並んでいる珍しい光景を目にしました。
目の前に浮かぶ鹿島という小さな島。
そして視線を遠くに向ければ瀬戸内の大小さまざまな島が浮かんでいます。
お父さんやお母さんは元気かな。。。
これから先、事故が無く元気で旅が出来るのかな。。。
夕日が海に沈むまで佇み、さまざまな思いにふけりました。


さて、おなかが空きました。

宿に戻ると他の宿泊客が大勢到着していました。

夕食はそれぞれ指定されたテーブルに着いて食べます。
私は「蛸飯」なんて期待していたのですが、
残念ながら蛸は酢の物だけで、ごく普通の旅館の夕食。
特別な瀬戸内の献立はありませんでした。
しかしご飯はお櫃にたくさん入っていて、好きなだけ食べられます。
うわ~ぃ!

大盛り6杯食べてようやくおなかが一杯になりました。

現在でも行っているのでしょうか。
ユースホステルの独特のシステムとして、
夕食後にオーナーがホストを努めて、宿泊者がみんな揃って自己紹介したり、
歌を歌ったりしてミニ・パーティを行うことになっています。

ほとんどが大学生以上なので、私は照れくさいので出るのをやめようと思いましたが、
同室になった社会人グループの人の誘いを断れなくて参加することにしました。

「こちらミヤノウエ君といって高校1年生、自転車で日本1週してるんだって」
自己紹介しないうちに同室の人がみんなに紹介。

「きゃ~素敵!」  「可愛~い!」

20歳過ぎたオバちゃん?から黄色い歓声。

(だから出るの嫌だったんだ。。。)


宿泊客15人全員の自己紹介や、
つまらない旅の話にいささか辟易していると、
宿泊客の大学生っぽい男が部屋に戻ってギターを持ってきた。

(あっ。。。ギター)

「こいつギター上手いんですよ~~」とその仲間。
その途端に彼はギターを弾き始めた。

今流行っているポップスやフォーク調の曲を意げに弾いては
女性客の方をちらちら見て気を引いている。

(ギターに触りたい)

そんな気持ちを察したのかしないのか、
「ギター弾ける?」と大学生が私に振ってきた。

「ええ、まあ。」

「弾いていいよ」

(本当に弾いちゃっていいんだな!?  いいんだな!?)
 
                               つづく
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by ymweb | 2008-01-13 01:42 | じゃずぎたりすと物語

26〈悪い人格形成〉

26話 〈悪い人格形成〉

さあ四国だ!

と思って走り出したはいいものの、
時計の針はすでに午後3時を回っていました。
船などの乗り物を利用すると、「ペダルを漕がなくても」目的地まで
自分を運んでくれるので休息が得られる半面、
時間の感覚が解からなくなってしまうようです。

今夜はフェリーが着いたこの港町八幡浜を
ほんの少し過ぎたところに宿泊と決め込み、
公園の脇にテントの張れそうな場所を探してねぐらとしました。
時間的には少し早いけれど、
「四国上陸記念」と勝手に自分にご褒美を与えて楽をすることにしました。

実は体力的にも疲れがピークに達していたのかもしれません。
股はサドルで始終擦られているためにそっと触るだけで痛くなっていますし、
足もパンパンに腫れています。

街で買い込んだお弁当をテントの中で食べていると、
いきなり睡魔が襲ってきました。
テントの外で誰かが、「こんなところにテント張っているぞ!」
などと声が聞こえたけれど、
そんなことは上の空また夢の中で、
おそらく8時頃には爆睡していました。

手作り寝袋の毛布に包まった足がボサノバのリズムを刻んで、
頭の中は昨日作曲した延岡の彼女の曲が流れています。
(この曲のタイトルは、みなみ食堂だったから。。。そうだ!『To South』がいい)
がばっと起き上がると、時計の針は午前7時でした。

実は今でも同じ現象がほぼ毎日起きます。
目覚める直前は必ず音楽が頭の中を駆け巡っています。
そう、だいたいは足で4ビートのリズムを刻んで、
頭の中でアドリブしているのです。
そして、いいフレーズやメロディが浮かぶと、
がばっと起き上がってそのままギターを手にして弾きます。
自発的に目覚めるわけですから、実に快適な目覚めなのです。

これはサラリーマンには考えられない特権ですね。
ミュージシャンは基本的に仕事が夜ですから、
目覚まし時計をかける必要がほとんどありません。

自転車旅行は朝早く起きなければいけないとはいえ、
11時間も熟睡したので元気一杯です。
テントをたたんで、いざ出発!

それにしても出発してから今まで、ほとんど好天に恵まれています。
今日も雲一つない、いわゆる「ピーカン」だ。

行く先には低い丘陵が見えてきました。
登り坂に向かい、それまで舗装されていた道路が非舗装になりました。
田舎道なのに乗用車に加えてトラックなどの交通量が多くて、
土ぼこりをたてて通り過ぎて行きます。
これは自転車に乗っている者にとっては最悪です。
鼻や喉が苦しくって息が出来なくなり、目も開けられません。
我慢しきれず帽子を深くかぶり、タオルを顔面に巻きつけて走りました。

また一台後ろからやって来た車は、
必死に漕いでいる私にゆっくり近づいて、
「頑張ってね~~」と黄色い声。
見れば兄ちゃんが若い女の子を二人同乗させています。

(ざけんぢゃね~!)

応援してくれているのだから、冷静に考えれば怒ることもないだろうに、
悪路に苦戦している時に、楽しそうにしている彼らの発言が
「冷やかし」にとれてしまいました。

その後続いて、私の人格形成を悪い方へ導く? 
もう一つの出来事があります。

後ろから1台のバイクが近づいてきました。
バイクでツーリングをしているようです。

「ねえ君!」

彼はバイクをゆっくり走らせて
私の自転車の横に着けて話しかけてきます。

「はい??」

エンジンの音で話がよく聞き取れないので、
仕方なく自転車を降りました。

「ねえ、どこから来たの? どこ回って来たの?」

まあ普通の質問なのでそれなりに答えたのですが、

「一人旅で旅行か。。。俺と同じだな。」
「んじゃ、まあお互いに頑張ろう!じゃあ。」

そう言って右手でVサインをして、
エンジン音とともに峠を駆け登って行きました。

(どこが同じぢゃ!! こちとら自力だ!!)

どうにも気に入りません。

もちろん彼には何の罪もありませんし、
話しかけて励ましてくれたのだからむしろ良い人かもしれません。

また車やバイクで旅行することも悪いことでも何でもないのですが、
自転車旅行を続けていくうちに、
自分の中に変な「自尊心」が芽生え出しました。

例えば自転車旅行だったら、道路の横に咲いている草花はもちろん、
その場の空気の匂いや、落ちている空き缶、
投げ捨てられたタバコの吸殻の一つ一つを見ながら進んで行きます。

それで心の中で
(車やバイクでは感じることが出来ないだろ!ハハハ、ザマミロ)
となり、
(所詮お前らは自力ぢゃないくせに、ハハハ、ザマミロ)
となる訳です。

まあ15歳の子供だから「大人気無い」のは解かるとしても、
この悪い人格は正直に言って現在でも残っちゃってます。

例えば私はギターで速いフレーズを弾くときも親指で弾きます。
ウェス・モンゴメリーの影響とか、ウォームな音色を求めて、などと言うけど、
実はかなり無理をして「つっぱっている」証拠かもしれません。

細かい作業の練習を幾度も繰り返して、ようやく自分のものにすると、
言わば、自転車旅行でしか感じられない「足下の景色」を自慢したのと同じで、
心の中で(こんなに細かい練習を実はしているんだぞ!)
という意識があったりします。

心はほかの何物にも勝って不実です。

往来する車の土ぼこりの洗礼を受け、「自尊心の高ぶり」という
悪い人格を身に付けてしまいました。
「夜昼峠」という怪しい名がついているこの峠でしたが、
夜と昼の二面性の無い人格を培いたいと思うこのごろです。

さて、峠を越えて道路がまた舗装に変わると、
大洲の街に入りました。
ここからは進路を北にとって予讃本線に沿って進み、
瀬戸内の長浜町を経由して松山に出るルートです。

交通量が少なくて実にのどかで快適なツーリングとなりました。

一日に何本列車が走っているのでしょう。
おなかが空いたので、無人駅近くの小さな商店に入ってパンを買いました。
こんなところで商売になるのでしょうか?
陽に焼けた小太りのおばちゃんが、
真っ赤な大きなトマトを店の棚に並べたので、
「それ1つください」と言って買いました。

美味しい!!
50円のトマトは少し高かったですが、最高のご馳走となりました。

しばしここで美しくのどかな瀬戸内の海を眺めながら休憩して、
またピーカンの空の下を元気良く走り出しました。

順調と思われた四国のツーリングですが、
私の体に異変が起きたのは松山市を過ぎてからでした。

                                        つづくe0095891_16423582.jpg
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by ymweb | 2007-12-14 16:44 | じゃずぎたりすと物語