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宮之上貴昭執筆による長期連載


by ymweb
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カテゴリ:じゃずぎたりすと物語( 77 )

じゃずぎたりすと物語 50話

執筆の続行までおよそ1年のブランクが空いていまいましたので、
これまでの大まかなあらすじと流れをお伝えして本文に入りたいと思います。


この物語は私、宮之上貴昭がジャズギタリストになるまでの軌跡を綴ったもので、
小学校5年生(10歳)の時に兄からもらってギターに初めてギターに触れ、
ひょんなことから高校1年生(15歳)の時にジャズの音楽と出会い、
高校1年と2年の夏休みに無謀にも日本一周一人旅の自転車旅行を計画。
何を思ったのか、ジャズに大切な?「精神と肉体を鍛える」という目標であった。

高校の夏休みは40日しかないので、
いっぺんに自転車で日本を一周することは物理的に不可能なため、
高校1年の夏休みは東京から南日本を一周して、
翌年の高校2年の夏休みに北の部分を一周するというもの。

今回からの執筆はその自転車旅行記の後半部分で、
北海道に無事上陸した宮之上少年(16)は長万部のお寺に泊まって、
一路日本海側を目指すという部分から始まります。

「なぜ宿泊場所や人の名前、使ったお金などのことを詳細に記憶しているのか?」
このことをファンの皆さんから多くの質問をお寄せいただくのですが、
毎日忘れずに付けた「自転車旅行記」とその時の写真を基にしています。

このところジャズギターのことより自転車旅行記の方が重きを置いちゃっていますが、

また本題に戻りますし、これから起こる自転車旅行記のハラハラドキドキも体験談も
是非皆さまにお伝えしたいと思っています。

初めてお読みになる方はどうぞ第一話からお読みください。
http://ymweb.exblog.jp/m2007-03-01/

画面をスクロールして第一話からご覧いただけますし、
続き部分は左の「以前の記事」で順番にご覧いただけます。


それでは自転車日本一周旅行中の16歳の宮之上少年、お楽しみください。
ご感想などお聞かせくだされば嬉しく思います。


【50話 長万部~雷電海岸】1969年8月2日(土)

6時にセットした目覚ましは実際に鳴ったのだけど、
どうにもこうにも起きるのがかったるい。
東京を出発して11日目。
疲れが溜まってきているに違いありません。

しかしやけに子供の声が外からうるさく響くのでまた布団に潜り込むと、
住職が部屋にやってきて「おはようございます」

しかたなく起き上がって荷物をまとめて出発の準備。
住職にお礼の挨拶をと思って探したら、寺の境内ではラジオ体操をやっていて、
住職はワイヤレスマイクを手に持って指揮官になっていました。
本堂では若い女性が4人ほど正座して何かムニャムニャ唱えています。

昨夜一緒だった650ccバイクの兄さんに挨拶して一足先に出発することにしました。

彼も同じ方向なので後から私を追い抜くはずです。

私の勘は的中したようです。
後方から重低音のカッコイイ音を立てて650ccの兄ちゃんがやって来て
「気をつけて!」と言って去っていきました。

私には自力による旅こそ最高で、エンジンで走るのは卑怯だ!
みたいな偏屈なプライドがあって、バイクを忌み嫌っていたのだが、
昨日から接している彼の温和な人柄がそうさせたのか、
(バイク旅行?それはそれでいいではないか)という気持になりました、たぶん。

朝ごはんを食べていません。
早速商店を探してパンにありつこうと思いました。
蕨岱(わらびだい)というところまで来るとようやく店がありました。
中に入るとウィンドウにパンの姿がありません。
時間が早いのでパンはまだ届いていないそうです。((((_ ▲_|||))))ドヨーン

しかたなくまた走り出すとしばらくして豊幌という集落。
ありました~店が。
大き目のパン1個とコーヒー牛乳を買ってお腹を満たしました。
いや~豊幌はいいところだ~~(笑)

さすがに北海道は広い。
一つの集落から次の集落まで行き交う車を1台も見かけないこともあります。

日差しは強いのだけど風はひんやりとしています。
よいっしょ、よいっしょ。
北海道の「くびれ」の部分、太平洋(噴火湾)から日本海に抜ける道を今走っています。

たいして高い山はないのだけど、ちょっとの上り下りでも自転車は敏感に体に反応してきます。
ペダルを漕ぐ足一つ一つに力が入ります。

ほんの少年に過ぎない私はすぐお腹が空きます。
蘭越という集落の手前で「アイスクリーム」と書かれてある幟(のぼり)を発見!
きっとパンも売っているだろうと思い、近づいてみました。

店には誰もいませんでしたし、食品らしきものもありませんでした。
私を発見した「ほっかぶり」のおばさんが裏の田んぼからこちらにやってきました。

「パンは置いていないんだよ、もしよければご飯食べていく?」

まあ何と優しいお方なのでしょう。
もちろん遠慮なくいただくことにしました。(^^;

真夏だというのにひんやりと寒いのでストーブにあたって待っていました。

「何も無いけど。。。。」

出てきたのは目玉焼きと鯨のベーコンが4枚。
優しい気遣いと3杯のどんぶり飯でお腹も心も満腹になりました。


地図によると、ここから一気に日本海に抜ける舗装道、のはず。
しかし地図の情報は間違っていて、非舗装の砂利道。
雨が降り出し風も強くなってきて道路は泥という最悪な状況。
行き交う人も車もなく、とても寂しい16歳の宮之上少年です。

それでも「進め青春!」や「男一匹ガキ大将」の歌を歌って、
雨の中、一生懸命ペダル漕ぎました。
こんな時口ずさむのはジャズではありません。(^^;

そうこうしているうちに愛車レッド号は荒波舞う大荒れの日本海に出ました。
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雨がさらい強くなりました。
店に入って30円のパンを注文してポンチョに着替えていると
お店の人が親切にお茶を出してくれました。

本来ならもう少し先まで走行距離を伸ばしたいところですが、
悪天候のためテントを張ることも出来そうにありませんので、
今宵の宿泊はこの雷電海岸にしたいと思います。
まあ予算が合えばですが。

少し進んだところに雷電温泉と書かれた宿があったので宿泊料を訊ねると、
ご主人は私の風体をしばらく見つめてから、「素泊まりなら350円でいいよ」

しめた!!

二人の若くてチャーミングな娘さんがいて話も弾んだし、
おばあさんからは焼きとうもろこしもご馳走になってすっかり気を良くして、
いつもより少し遅い10時半頃に床に就きました。

とはいえ外は大荒れの天気で、明日が心配です。
しかし明日はそんなことよりさらに大変な恐怖が待っています。

次号「札幌で凍死!?」 乞うご期待!
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by ymweb | 2011-01-03 00:43 | じゃずぎたりすと物語
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〈じゃずぎたりすと物語 48 北海道初走行〉
周りがガヤガヤとうるさいので目が覚めた。
そうか、ここはフェリーの待合室だった。
出航手続きなどで人がだんだん増えてきたようだ。
柱に掛かっている時計は午前6時30分を指していた。

昨夜は、というか朝3時頃やっと眠りに就いたので、
少し朦朧としています。
今日はせっかく函館に来たわけだから
少し観光気分も味わおうと思いました。

7時頃、荷物をたたんで「五稜郭」を目指してみる。
途中道に迷い、おなかも空いたのでパン屋さんに入って昼食。
道を聞いたのだけど、店の人の説明がよく分からず、
かなり迷ってようやく到着。
早朝の五稜郭は人影もまばらで、美しい庭園のようでしたが、
歩いているだけでは特徴的な五角形の形がまったく分かりません。
それでも自転車を降りて歩いていると新鮮な気持ちになります。

9時頃まで見学してから出発。
北海道は、走行距離はそれほど問題にせず、
景色も楽しんでゆっくり走ろうと計画を立てていました。

初めて走る国道5号線を北上。
七飯を過ぎて「峠下」というところまではスイスイ走れましたが、
そこからは苦しい上り坂の連続です。
走っていると少しクラクラしてきましたが、
考えてみれば3時間しか寝ていなかったのです。

ようやく「大沼小沼国定公園」の小沼湖畔に到着しました。

美しい!

正面に山頂が特異な形をした駒ケ岳が見えます。
この周りには大沼、小沼の他に蓴菜沼(じゅんさいぬま)と、
湖沼が点在しています。
距離も近いので、ぐるっと一回りしようと思います。

小沼に沿った脇の道に入ると、最初は少しだけ砂利道でしたが、
途中から舗装になり、
鬱蒼と茂る木立の間を通る快適なコースでした。

蓴菜沼までたどり着くと、サイクリストに会いました。
私が通ってきた道があまりにも美しかったので、
彼に教えてあげて、私も一緒に今来た道を戻りました。
途中、彼はタバコに火をつけて休憩し、
私にこの辺りの地図をくれました。

大沼公園駅まで来て彼と別れ、
私は遅めの昼食をとることにしました。

駅前の店に入って玉子丼を注文。
味はまあまあでした。

美しい景色を撮るために大沼まで行きました。
この辺は観光地化されていて、
お決まりの「おでん」や「いか焼き」の旗が立っています。
あまりの良い匂いに思わずペダルが止まって、買い込みました。
しかし、おでん90円、いか焼き80円は高かった。。。

北海道を走る初日に睡眠不足ですから、
この日はこの近くにあるユースホステルに泊まろうと思い、
早速電話してみたところ、
2ヶ所のいずれも満員で断られてしまいました。
途方にくれていると、店のおばちゃんが
「湖水荘」という安い旅館があると教えてくれました。
2食付900円。
予算を少しオーバーしますが、ここに泊まることにしました。

部屋はもちろん相部屋で、後から長髪の少年と、
中国人っぽい大学生が相部屋になりました。

気取り屋な私は、この時は彼らと一言も話しをしませんでしたが、
夕食後にひょんなことから話して急に親しくなり、
どこから着たとか、何をしているとか、8時過ぎまで話し込みました。

しかし睡眠不足の私は彼らより先に布団に入り、
9時頃には寝てしまいました。

【遣ったお金】 パン3個¥65 アイス¥10 電話代¥40 絵葉書¥100
切手¥35 牛乳¥30 玉子丼¥150 いか焼き¥80 おでん¥90
合計¥600

写真:大沼国定公園
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by ymweb | 2010-01-23 05:25 | じゃずぎたりすと物語
〈じゃずぎたりすと物語 47 北海道初上陸!〉

朝6時に起きて、テントの中で荷物を整理していたら、
家の子供が来て、「はい」と言ってトマトを2個くれた。
「ラジオ体操に遅れるぞ!」と言っても彼らは行かなかった。
黙々と片づけをしていると、ラジオ体操が終わったらしく、
昨日の子供たちが大勢やって来た。

「あれ~っ??」
その日に必要な経費を入れておく小銭入れに
お金を入れようとしたら、
元の財布自体が見当たらないではないか。
ひぇ~~ 

ひょっとしたら、
昨日野球した場所に落ちているのではないか。。。
子供たちに手伝ってもらって、庭一帯を探してもらった。
私はもう一度テントの中を捜すと、コトっと音がして、
財布はテントをしまう袋の中から出てきました。
いや~焦ったのなんのって。。。 
一時はどうなるかと思いました。

財布はなくしたものと思って、
手伝ってくれた7人の子供たちに
100円渡して10円のアイスを買ってあげることにしました。
お釣りをもらうはずが、
お金を渡した子供がそのままソロバン塾に行ってしまったため、
30円パーになりました、ガク。

テントもたたんで荷物を自転車に積んで出発の準備が整い、
中川原さんにお礼を言って行こうとしたら、
「よかったら朝ごはん食べて行きなさい」
すっかりご馳走になって、記念の写真を撮られてから出発。
※前回46号に載せた写真がこの時の写真です。
後に中川原さんから送っていただいたものです。
実は北海道旅行中にカメラを落としてしまいましたので、
この写真は特に貴重なものとなっています。

今日の目的地、初めて訪れる北海道に向けて国道4号をひたすら走る。
三戸を出発して五戸を通過、十和田の街に入った。
この辺も上り下りが多くて、自転車にとってはけっこう厳しい。

ところでこの辺りには何故「~戸」(へ)という地名が多いのだろう。
後に調べてみました。

■平安時代後期の奥州藤原時代に、現在の青森県東部から岩手県北部にかけて糠部(ぬかのぶ)郡が置かれました。さらにそのなかを9つの地区に分けたときに、一戸から九戸の地名が付けられました。この場合の”戸”は”部”、つまり、”○○地区”くらいの意味でしょう。”七戸(しちのへ)”なら”第7地区”という意味になります。ほか、”戸(へ)”の意味については、「牧場の木戸のあった場所」、とか、「蝦夷(えみし)平定の際に残した守備兵の駐屯地〔柵戸(きへ)〕」など、いろいろな説があります。
(青森県史ホームページより)


だそうです。
疲れるので深く考えるのはやめました。(笑)

七戸の小さな街並みを通過してしばらく走ると、
道はなだらかな下り坂が多くなって、
海が近くなっていると感じます。

青森県陸奥湾は「W」の形をしていて、
夏泊半島を凸部にして、右の凹み部分にあるのが野辺地町、
そして左の凹み部分が青森市です。

私が選択した本州~北海道~本州のフェリーの行程は、
行きは野辺地から函館、帰りは室蘭から青森に渡るコースです。
こうすることによって、同じルートの重複を免れるだけでなく、
時間的にも大きな節約になるのです。

とはいえ、野辺地~函館の便は1日3本だけです。
フェリーの出航時間までは調べられなかったので、
直接フェリー乗り場まで行って確認しなければなりません。
もし時間的に合わなければ、青森までさらに50キロほど走って、
そこから乗らなければなりません。

さあ、その野辺地までやってきました。
目の前は陸奥湾の海が広がっています。
早速フェリー乗り場へと急ぐことにしました。

何とも小さな木造のフェリー待合室。
時刻表を見ると、
函館行きフェリーは17時30分出航と書かれてあります。

所要時間は4時間40分となっているので、
函館到着は10時過ぎです。
現在の時刻は3時少し過ぎですから、
まだ時間に余裕がありましたが、
早めに到着したトラックや自家用車は
窓口に並んで出航手続きをしています。

ここで私が考えていた作戦を行使しようとたくらみました。
トラックの荷台に自転車を載せてもらう作戦です。
こうすれば自転車は「荷物」として扱われるので
お金がかかりません。

荷台が空いているトラックを探していたところ、
到着したばかりの小型トラックの荷台に十分なスペースを発見!
車体には「茨城研究所」と書かれてあります。
何を研究しているのかよく分からないけど、
待合室から出てきた少しヤクザっぽいオヤジに声をかけた。

「あの~もしよければ荷台に自転車を積んでいただけますか。」
こっちの顔を見ると
「俺は社長だぞ!」
ん?・・・・
はっきり言って品というものは全く感じられず、
頭も悪そうです。

「んだから~ 社長なんだよ。」と言って名刺を差し出した。
ん?・・・
「ああ、そ、そうですか、載せてもらえますか?」
「480円だかんな、金よこせ!」
あれ~~社長だろ、社長。。。。

細かいのがなかったので1000円を渡すと、
「んぢゃ、ちょっと待ってろ、今話してくっからな」
そう言うや受付窓口に行って何やら交渉しているようだ。

「同乗者は無料ですから・・・」
受付の女性の声が聞こえた。
どうやら一緒に乗っている人の渡航料金は無料らしい。
しかし彼が戻ると
「500円だけ返してやっからな、ほれ」

あれ~ せこいな~~
でも、本来なら渡航料は自転車と人で700円なので、
それでも200円安いから我慢することにした。

周りの人に名刺を配っては「俺は社長なんだ」と言っています。
一体何者だろう、馬鹿かこの人。
渡された名刺を見ると「茨城研究所」とあって、
住所があって、名前の前に「取締役社長」と書かれてあります。
しかし解せない。
研究所だったらたいていは「所長」だよね。
それに「茨城研究所」って何だ??
普通は「茨城○○研究所」となっているはずなのに、
茨城の何を研究しているんだろう。

フェリーに乗っちゃえばずっと一緒にいなくてもいいわけだし、
先ずは愛車レッド号を荷台に積むことにした。
すると、車の中からひょいと会釈をした少年がいた。
人のことは言えないけど小汚い格好の少年だった。
奇遇なことに、彼は高校三年生で無銭旅行中。
たまたまこのトラックに載せてもらったそうだ。
16歳の宮之上は「カッコ付け少年&ニヒル気取り」だったので、
こういう人と親しく話をしないようにしました。

出航までの間、美しい陸奥湾を眺めて北海道に思いを馳せていると。
例の社長が地図を持ってやって来て「どこを通って来た?」
話しなどしたくなかったけど、すっと4号線で来た旨を話すと、
「おお、ここな!」と言って陸中海岸沿いの道を指で辿っていました。
どこまで馬鹿なんだろう。。。

その後に信じられない光景を目にします。
吸い終わったタバコの空き箱を海に投げ捨てました。
それだけではなく、
ポケットに入っていた紙ゴミもポイポイ捨てています。

「せっかく綺麗な海なのに!」
少し恐かったけど、投げ捨てるように吐いて待合室に戻りました。

フェリーが到着してトラックに乗り込み、乗船です。
隣には無銭旅行もいます。
エンジンをかけた瞬間から
8トラックテープで演歌を大きく鳴らしています。
うわ~ 勘弁してよ。

初対面から拒否反応を起こして、
絶対に親しくなれない人っていますね。
節約のために声をかけたのが間違いでしたが、彼がそれ。
世の中で最も嫌いなタイプです。

それほど大きくないフェリーでしたが、
ペダルを踏まなくて進むのが嬉しい。
船室に入ってくつろぎ、美しい海の夕日も堪能しました。
私と同じく自転車で日本一周をしている青年にも会いました。
大学生で大阪から来ているそうです。

東京を出発して8日目に北海道上陸です。
お父さんお母さん、そして弟は元気にしているのでしょうか。

あの馬鹿野郎のことを考えてあまり眠ることが出来ないまま、
「間もなく函館」との船内アナウンス。
仕方なくまたヤツの車に入って荷台の愛車レッドと共に下船。
函館港に降りたところで「ここでいいです」
馬鹿トラックは無銭野郎と共に北海道の暗闇に消えて行きました。

さすがに北海道。
夜も11時になると肌寒い。
しばらく街に向かって走ったが、
こんな夜遅くに宿も見つかるはずもなく、
フェリーの待合室に戻って、そこで一夜を明かすことにしました。

ちょうどいい具合にソファーがあったので、
その一番奥に横になることにしました。
12時に売店でうどんを注文して食べました。
わりと量があったので、おなかは少し満たされました。
さてこれで気持ちよく寝れる。。。 と思いきや

「ヒュルヒュル~ズゴゴ~ン!!」
「バキュ~ン ウォ~ン バギャ~!!」

ゲームの音です。
せっかくいい気持ちでうとうとしているとこの爆音が。
朝の便を待っている客が退屈しのぎに遊んでいるのです。

置いてあるゲーム機も商売だろうから文句も言えず、
ひたすら爆音を我慢しました。

ゲーム機によって爆音度が違います。
1位「西武」 
2位「ミサイル」 
3位「レーサー」
4位「玉のゲーム」
※順位は実際の日記をそのままに写しましたので、
これらが一体どんなゲームだったかは不明です。(笑)

でも、ゲームをやる方もやる方だよね。
すぐ脇で人が寝ているんだから。
優しさというか、思いやりがないよね。

寝るに寝れない苛立ちが頂点に達した午前3時
「お兄さん! 休んでいる人がいるから、もう」

売店のおばさんだった。

この一言でピタッと静かになり、
ようやく眠りに就くことが出来ました。

おばさん、ありがとう!!   ZZzzz…

次回 北海道の大自然満喫の旅 乞うご期待!
                          つづく

【遣ったお金】 アイスクリームご馳走代¥100 パン計5個¥100 サイダー計2本¥70 うどん¥50 フェリー代¥500 合計¥820 

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by ymweb | 2010-01-19 06:26 | じゃずぎたりすと物語
〈じゃずぎたりすと物語〉

【これまでのあらすじ】
※長い間執筆を中断していたので、
  読者の皆さんに途中からでも分かるように、
  とても大雑把ではありますが、
  ここにこれまでのあらすじを記します。

10歳の時に兄からもらったギターを初めて手にした宮之上少年は、
その後練習を積んで中学の音楽会に参加し、独自にアレンジした
〈ウィリアムテル序曲〉で学校中で大好評を得る。

15歳の時に初めて聴いたジャズのレコードで目覚め、
毎日10時間の練習をこなし、ジャズギターの道まっしぐら。

そんな中、兼ねてから趣味だったサイクリングが加熱し、
ジャズのためにも精神と根性、肉体を鍛えるべく目標に置いたのは
「自転車による単独日本一周旅行」。

しかし高校の夏休みは40日しかないので、
一気に日本一周するのは物理的に不可能。
そこで一年の夏休みに南日本を一周し、
二年の夏休みに残りの北日本を一周、
そうして半分ずつ回ることに決めた。

とはいえほんの少年にすぎない宮之上が旅で遭遇するのは、
初めて訪れる美しい景色や接する人々の優しさ、
嬉しい楽しいことだけではなく、始終危険と隣り合わせ、
時には命の危機にもさらされるハプニングもあって、
まさにハラハラドキドキワクワクの連続です。

現在16歳の宮之上少年は日本一周旅行・北バージョンの7日目、
岩手県の盛岡を過ぎて、
途中で知り合った日当君という同じサイクリストと共に、
沼宮内のお寺に泊まりました。

〈じゃずぎたりすと物語 46 さらば友よ〉

ギターの中は暖かいと思ったら、F字ホールがあるので隙間風が吹いて寒い。

コケコッコ~ッ!
うう、さ、寒い。。。

変な夢と、けたたましく鳴くニワトリの声、
そして寒さと喉の渇きのために起き上がったら5時半。
昨日知り合った日当(ひなた)君はまだ熟睡ムードだ。

私は出発の荷を整えて、6時になったところで彼を起こしました。
記念に一緒に写真を撮って、彼の支度も手伝うと、
出発は7時頃になりました。

国道4号を彼の自転車と連なって走りました。
後ろを走る彼の自転車には鍵に鈴が付いていて、
道にでこぼこがあると、時たまチリ~ンと涼しげな音がします。
この音が聞こえるので、後ろをいちいち振り返らなくても
彼との距離感を把握することが出来ます。

朝食は小鳥谷(こずや)というところにあった商店に入って、
パンと牛乳を買ってベンチに腰掛け、二人揃って食べました。

自転車旅行の難関は「峠」と書かれた地図上の文字です。
これから「十三本木峠」と地図に書かれた場所を通過します。
しかしこれまで日本の屋根「北アルプス」をはじめ、
幾多の峠を超えてきた私。
これくらいの「等高線」は何てことないはずです。

えっさえっさ、ほいさ、チリ~ン ほいさ。。。 チリリ~ン
日当君の自転車の鈴の音も頻繁に鳴っています。

地図で調べてみると、
この十三本木峠は二段階に分かれているようで、
峠を二つ越す必要がありました。
ちんたら続く上り坂の連続は、
宮崎県にあった「宗太郎峠」を思い出しました。
※ 25話〈四国上陸〉を参照ください。
http://ymweb.exblog.jp/m2007-11-01/

しかし下り坂では自転車旅行の醍醐味である、
素晴らしいダウンヒルを楽しむことが出来ました。
後ろに続く日当君の鈴の音も軽やかに鳴り続けています。

気持ちの良い下り坂も終わり、流していた汗も乾いたころ、
金田一村に入る少し手前の商店に入って、私はファンタ、
彼はパインジュースを注文して、ここで少し休憩することにしました。
というのも、昨日から一緒だった彼とのお別れが近いからです。

ウニやアワビの豪快な食べ方や水産高校のことなど、
興味深い話を熱く語ってくれた日当正人君。
君とは心から打ち解けて親しくなることが出来ました。

国道395号線との分かれ道、右「久慈」と書かれてある交差点。
いつかまた会おうと約束してここでお別れです。
お互いに大きく手を振ってそれぞれの道を進みます。

私はそのまま国道4号を進みますが、
さっきまでの鈴の音はもう聴こえません。
とても寂しくなりました。

※あれから時を隔てた現在。
彼はどこで何をしているのでしょうか。
元気なのでしょうか。。。

愛車レッド号は岩手と青森の県境の峠に差し掛かりました。
環境はたいていが峠になっているので、
別の県に入る喜びは自転車にとって苦しみでもあるのです。
やはりこの県境の峠もきつかった。。。

走行距離は少し短いけれど、そろそろ宿の準備が必要です。

右「八戸」と書かれてある標識のあるところまで来ると、
田んぼの仕事で一休みしているおばさんがいたので、
「この辺に泊まれそうな場所はありますか?」と訊ねると、
「お宮が近くにある」とのこと。
早速そのお宮に向かってみたが、こりゃまずい。
気持ち悪い場所にあって、いかにも「出そう」だ。
ここにテント張るのは絶対に嫌だったので、
仕方なく上り下りの国道をさらに北上して、
三戸郡扇田というところまで来ました。

近くの民家に「この辺にテント張れるような場所があるか」と訊ねると、
「そこに大きな家があるから行って頼んでみなさい」とのこと。
中川原さんという家の庭にテントを張らせていただくことになりました。

中川原さんの奥さんは気さくで優しい感じ。
家の子供たちも出て来て、私のテント張りを手伝ってくれました。
私のことが珍しいのか、小さな子供たちも大勢やって来て、
すぐに打ち解け、一緒に庭で野球をしました。

何やら木の実を取ってきて「食べて」と言って近づいてきます。
「すぐり」と呼ばれる実で、甘酸っぱくて爽やかな美味しさでした。
(後に調べると、ユキノシタ科の落葉性の小木の実だそうです。)
さらに「ハタンキョウ」という実を持ってきて食べさせてくれた。
知らない名前の果実でしたが、これはほとんどプラムでした。
(後に調べると桃の近縁でトガリスモモと言うそうです。)

テントを張った庭のすぐ先には清水も湧いていて、
どうやら素晴らしいところに今夜の宿を設営したらしい。

さて明日は東京を出発して8日目。
いよいよ北海道に入ることが出来そうだ。

しかし順調ならば、だが、明日からまたとんでもない人に出会い、
そして北海道上陸の日に最悪な一夜を過ごすことになろうとは。。。

                                  つづく
【遣ったお金】
パン3個 牛乳1本 \105
ファンタ2本 \60 アイスクリーム \40
合計 \205
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by ymweb | 2010-01-13 05:56 | じゃずぎたりすと物語
じゃずぎたりすと物語45 〈友だちが出来た!〉

7月27日(月)
今朝は5時半に起きた。
昨日一緒だった高校生たちはまだ寝ていた。

顔を洗って歯を磨き、出発の用意を整えて玄関に立つと、
「おっ!早いなぁ!」と、ペアレントと呼ばれるユースホステルのご主人。
「お世話になりました!」と挨拶して、予定通り6時半に出発。
「毛越寺ユースホステル」の宿を後にしました。

歴史にはあまり興味が無いものの、
テレビでしばしば見かける今東光が住職を務める「中尊寺」は見学したいと思いました。

参道の入り口に自転車を停めて、本堂のある山頂へと続く長い砂利道を登った。
とてつもない敷地の広さに驚きました。
この上り坂はかなりきついけど、眼科に広がる田園風景と、
木々の間から時たま吹き抜ける一筋の風が汗を癒してくれる。

ようやく本堂に着いた。
今東光には会えなかったけど、本堂の写真を記念にパチリ。
一人旅では、基本的に自分が写真に写らないのが残念だ。

愛車レッド号は北上を通過。
この辺りから上り坂がきつくなると予想していたのだけど、さほどでもなく、
軽快に進むことが出来ました。

昼食はパン2個と牛乳を買って、涼しそうな八幡様の境内で食べました。
そこには土木作業員が10人くらいいて昼寝をしていました。
私も少し離れたところで横になり、休みました。

昼食にお金をかけず、今夜のねぐらにお金がかからなかったら、
夕食は盛岡で「わんこそば」にしようと目論みました。
何しろ「食べ放題」ですから。

今宵の宿と決めていた盛岡市に入り、ユースホステルの「瀬川屋」に電話すると、
これが断られてしまい、「わんこそば」も夢と消えてしまいました。

すっかり肩を落として、国道をゆっくり走っていると、
後ろから「こんにちは」

メガネをかけた、人の良さそうな同業者、つまりサイクリストだった。
彼と一緒に走ることにしました。

彼の名前は日当正人。
陸中海岸の最北、岩手県種市から来たそうで、水産高校の3年生。
東北地方の東の部分を一周するそうです。

十三本木峠の途中、沼宮内まで来たところで夕食を取ることにしました。
食堂に入って、彼はカツ丼とかき氷、私は大盛りラーメンと、かき氷を注文しました。
あまり美味しくなかったけど、10円ずつまけてくれました。

「沼福寺」というお寺がわたしたちの宿泊をOKしてくれたので、
そこに二人で泊まることになりました。
しかし、宿泊するのは本堂ではなく、別棟の「お堂」のようなところ。
電灯を点けると、外からたくさんの虫が入って来てブンブンと騒がしい。

話し好きな彼は、地元のことをいろいろと話してくれました。
水産高校の授業の様子は、私の高校とはまるっきり違っていた。
地元でガゼと呼ぶウニやアワビの、聞いたこともないような豪快な食べ方は
それはそれは興味津々で、彼の話に聞き入りました。

当然のことながら、自転車旅行一人旅は、出発してから何日、何十日の間、
知り合いと話することが出来ません。
それで人が恋しくなるのです。

こうして、いろいろな話で盛り上がり、寝たのは10時30分。
私も話し過ぎのせいか、夜中に喉がカラカラになって水が飲みたくなりました。

                             e0095891_354452.jpgつづく

写真:中尊寺

[遣ったお金]
パン3個 60円 / パン2個 40円 / ファンタ 30円 /  牛乳25円 / アイスクリーム 10円 /
電話 10円 / ラーメン大盛り 110円 / かき氷 30円 おまけ-10円
合計 305円
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by ymweb | 2009-07-10 03:56 | じゃずぎたりすと物語
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じゃずぎたりすと物語44 〈松島~平泉 奥の細道・僕の舗装道〉

7月26日(日)
今日は寝すぎて、起きたのが6時30分。
それで出発は7時10分になり、松島を後にしました。

「松島や ああ松島や 松島や~」

ユースホステルで頼まなかった朝食を、矢本町付近でパンを買い求め、
ペダルを踏んで走りながら食べました。

ところで私は、AB型という血液型が作用しているのか否かは不明ですけど、
例えばメモにしろ何にしろ、書いたものの、字を間違えたり、
曲がったりして気に入らないと、その紙をビリッと破いて、
最初から書き直すことがしばしばです。
その辺をちゃんとしないと気持ちが治まらないのです。

出発後、古川市に向かうはずが、間違えて河北町の方に行ってしまいました。
ここで機転を利かせて別のルートを検索しようとせず、元に戻って走り直しました。
だって、出発前に私の描いたルート通りではなくなるからです。
その辺が私の頭が固いところです。

いずれにせよ、自転車旅行にとって全日本道路地図は大雑把過ぎます。
またルートから外れてしまったようで、休憩と地図検索を兼ねて、
「もも太郎」という商店に入ってアイスクリームを食べました。
その店のおじいさんに道を聞いたところ、方言が強くて、
何を言っているのかさっぱり解りませんでした。
それでも古川市経由で一関方面に向かうのが一番早いということは理解できました。

古川市は開市20周年記念ということで、街を走ると、
あちこちでその垂れ幕やポスターを見ました。

高清水という町の汚い店に入って、昼ごはんに「カレーうどん」を注文しました。
120円と高かったけど、美味しかったので許す。

この辺りは上り下りが多くてとてもきつい。
宮城県と岩手県の県境まで約8kmというところでまた休憩。
商店に入り、アイスを食べた。
でも空模様が変になってきたのであわてて出発。
案の定、大粒の雨が直撃してきました。
雨宿りする場所が無いので、とりあえず道路脇の大きな木の下に入りました。
5分ほどすると、雷の音がひどくなり、凄い迫力で鳴り響いています。
ここにいると落ちる心配があったので、大雨の中を濡れながら走り出しました。

その雨も一関市内に入る頃にはすっかり止んで、太陽が顔を出していました。
雨で体力を奪われたためか、先ほどから頭痛がしています。

そろそろ今夜のねぐらを探す時間です。
また寺に泊めてもらおうとして3軒回ったけれど、1軒目と2軒目は予約制、
3軒目は留守でした。
一関の先、約8kmのところに「毛越寺ユースホステル」がありますが、
電話したところ満室の理由で断られました。
でも通り道だし、体調も思わしくないので、
一応そのユースホステルに直接行って交渉しようと思いました。

「あっ、キャンセルが出ました」
ラッキーなことに、空きが出来たため、泊まることが出来ました。

高校3年生4人のグループと泊まり合わせました。

「今夜は僕たちが高校生最後の旅行でなので、寝る前に部屋で『食う会』やるんだけど、
よかったら君も参加しない?」
この年代は1学年違うだけで、今で言う「上から目線」的発言をします。
でも無料ですから、答えはもちろんYESです。

コーラや煎餅、飴などをご馳走になって、10時頃寝ました。


※情報によれば、これまで毛越寺には宿坊(ユースホステル兼業)が併設されていたが、老朽化が著しいとの事情により2007年11月20日をもって営業を終了したそうです。

「夏草や 兵(つはもの)どもが 夢のあと」


[出費]
パン合計4個 80円 / アイスクリーム2個 20円 / カレーうどん 120円
サイダー 25円 / 電話代20円 /  宿泊料450円  
合計715円
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by ymweb | 2009-07-08 02:50 | じゃずぎたりすと物語
じゃずぎたりすと物語 41 〈ちょい悪少年!?東北へ〉

目が覚めると、朝6時30分だった。
いかんいかん。
予定では6時30分には出発のはずでした。

泊めていただいた神龍寺の住職に挨拶に行って、
恐る恐る「宿泊料はいくらですか?」と訊ねたところ、
「そんなものいらんから心配するな」とのこと。
しかも「朝ご飯も食べて行きなさい」と言ってくれました。
さすがにそこまでは甘えることが出来ず、お礼を言って出発しました。

今日も朝から真っ青な空が広がり、
昼はまた炎天下になるに違いありません。
昨日の熱射病のようなことがないように 帽子を深く被り、
美野里町で買ったパンを頬張りながらペダルを漕いで、
30分遅れた分を取り戻すべく 一生懸命走りました。

地図によると未完成の水戸バイパスでしたが、ほとんど完成していて、
道幅は広く平坦なため、自転車にとって走りやすい道路でした。

勝田の親戚の家に立ち寄ろうかどうしようか迷いました。
母が茨城県出身のため、勝田にも親戚がいて、
私のいとこがオープンして間もない旅館「再会荘」を経営していました。

通り道だし、おなかも空いたことだし。。。
せっかくですから寄って行くことにしました。

旅館「再会荘」に着くと、いとこの弘子と息子のやっちゃんがいました。
弘子は母の姉の娘で、私よりずいぶん年上です。
その弘子が、「おなか空いたっぺ?」と言って、寿司の出前を頼んでくれました。

もちろん寿司は当時でも高級で大好物ですが、う~ん、微妙です。
自転車旅行中のベストな食事は「高たんぱく高カロリー」が基本なのです。

「まったく貴昭は真剣に馬鹿なことばっかりやっから~」
「昔から変わんね~っぺ?」
届いた寿司を食べている最中に、少し予期していたフレーズが弘子から出されました。

これでは物足りない様子を感じ取ったのか
「おなか一杯っちゃあんめ、こっちも食べたらいかっぺ!?」
弘子はおもいっきり茨城弁です。

「もうすぐ照子おばちゃんも来っから~ ゆっくりしていったらいかっぺ? ほれ。」

「ほれ」と言われて1時まで待ちましたが 来ません。

出発しないと予定が狂ってしまうので、
お礼を言ってこのクーラーの効いた涼しい環境を後にし、
また炎天下の道路に戻り、一路北へと進みました。

また予定を30分遅れてしまいましたので、ペダルを漕ぐ足にさらに力を込めました。
今日はなんとしても福島県境までたどり着くというのが目標です。

右手に見える太平洋の美しい大海原も、体力的「きつさ」が圧倒して、
「目的地に着く」ことしか頭に浮かびませんでした。

日立を過ぎて高萩に着くころ、追い越していくバスの窓から
「頑張れ~~!!」と学生が私に声援を送ってくれました。

青空がだんだん夕陽色に変わり、少し薄暗くなり始めたころ、
国道6号は少しの登り坂に差し掛かりました。

「勿来の関」 ・・・・・ 「福島県」
やった!!!!! 福島県まで来た!!

そうです、福島県は立派な「東北地方」です。
自転車で東北地方まで走破することが出来ました。

外の景色はだんだん暗くなってきました。
辺りが暗くなると、宿を探すのに一苦労します。

「鮫川」という川を越えて間もなく、近くにいたおじさんに声をかけて事情を話し、
この辺で泊めてくれそうなお寺があるかどうか尋ねました。

紹介されたお寺に行って宿泊を頼んでみたものの、あっさり断られ、
来た道を戻ったら、さっきのおじさんが立っていて、「断られたか? んじゃうち泊まるか?」
立っている目の前がその旅館でした。

小さな白い看板には「仕出し・旅館」と書かれていました。
「心配ないよ、安くしておくから」 とのことでした。
とはいえ値段が気になったので率直に聞くと、
素泊まり700円でいいそうです。
お寺の「タダ」の比べれば高い宿泊料でしたけど、
とても親切で優しそうなご主人だったので安心できました。
どうやら宿泊客は私一人のようです。

ご主人に「有名な常磐ハワイアンセンターって どんなところですか?」と尋ねると、
「どこにあるのか?」と聞き間違えたらしく、地図を広げて丁寧に説明してくれました。
しかし、地図でなかなかその場所が見つからずに、少ししらけました。

部屋で少しくつろいだところで、おなかが空いたので外に出て夕食をとりました。
今にもつぶれそうな店に入って、「焼きそば定食」を注文しました。
高カロリーでおなかは一杯になりました。

ところで、16歳の宮之上少年は、少しだけ大人の仲間入りに憧れて?
悪いことも目論んでいました。

「タバコ」

当時は自動販売機などほとんど設置されていませんから、
タバコ屋で直接買うしか手に入れる方法はありませんでした。

今でさえ「童顔」、当時はそのまんま童顔の宮之上少年。
暗くなった時間が唯一タバコをゲットするチャンスでした。

帽子を深く被ってケースの真ん中辺りにあるタバコを指差し、
目一杯頑張った低い声で 「これください」

店のおばちゃんはそんな私を少し疑うような目で見て、
「はい、ホープね、50円」と言って差し出しました。

50円を手渡すと、「上半身はそのまま、足は小走り」で
その場をささっと立ち去りました。

部屋に戻って早速試してみることにしました。生まれて初めての タ・バ・コ

ゴホッゴホッ!! オエッ!! 
なんぢゃこれ?? ま、不味い。。。

初タバコの感想でした。
※これを機に「ン十年」と喫煙していましたが、ずいぶん前に卒煙しています。

[使ったお金]
パン3個 ¥60 
牛乳1本 ¥30
サイダー2本 ¥80
リンゴソーダ1本 ¥35
アイス1本 ¥10
まんが1冊 ¥100
夕食 ¥180
タバコ(ホープ)1個 ¥50
【合計 ¥545】

                                              つづく
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by ymweb | 2009-03-05 20:12 | じゃずぎたりすと物語
じゃずぎたりすと物語 40

予定では5時に出発するところ、30分ほど遅れたため、
朝食を取る時間を削って出発しました。
そんな私に母がパンを持たせてくれました。
「行ってきま~~す!!」
階段の下の自転車のところまで見送る父と母。
父は小さな声で「気をつけるんだぞ」と言いました。
道路に出たところで振り返ると、母だけが手を振っていて、
父の姿はもう見えませんでした。

立川まで15分の予定が20分かかり、水戸街道に出るまでのチェックポイントに、
それぞれ5分くらい予定より時間がかかりました。
柏市までは大型ダンプカーと車、車、車。
危険でほこりまみれで、走りにくいことといったらありません。
私にとってダンプは悪魔のようです。
しかし水戸街道に出てからは 交通量はひどく多いしダンプも多いのですが、
道幅が広く、上り下りもほとんどないのでスピードを出せて、
ここで時間を取り戻すことが出来ました。

今年も真夏の太陽が照り付けています。
取手市に入り、しばらく走っていると、いきなり激しい頭痛が襲いました。
熱射病です。

考えてみれば、炎天下の中を帽子も被らずに走ってきました。
出発当日ということもあってか、異常にテンションが上がっていて、
帽子を被るのも忘れていたようです。

とはいえ、日陰がまったく見つかりません。
左手に、一文字ずつ「日清食品工業建設用地」と描かれた大きな看板がありました。
事態は急を要しましたので、看板の「日」の下の小さな日陰に身をゆだねて休みました。
途中で買ったパンと牛乳で水分と栄養も補給したところ、
程なくして体調は急激に回復していきました。
しかし初日からこの調子だと、この先の長旅が心配になりました。

荒川沖の近く、国道の脇に涼しげな公園を発見しました。
体調も今一つでしたので休憩を取ることにしました。

悪魔ダンプ? の運転手風のお兄さん3人が私のところに近づいてきました。
彼らの風体は運転手というよりは、むしろチンピラ風です。
目を国道の方に向けると、事実ダンプが数台停まっていました。

「へ~~ 日本一周??」 「もう南は回ったの!?」
すると一人が「俺、感動しちゃった~~!!」
そう言うと、車から「氷」を持ってきて私にプレゼントしてくれました。
この何の変哲もない「氷」の美味しかったこと、嬉しかったこと。。。

彼らは公園にいた小さな子供たちにカブトムシをあげたりしていました。
さっきまで悪魔だと思っていましたが、人は見かけによらないなぁ、
先入観で勝手に思い込んではいけないとつくづく思いました。

かくして、土浦市には暗くなる前にぎりぎり到着。
昨年の経験から、経費と時間の節約には「お寺に泊めてもらう」こと。
これが最善であることを学びました。
この日もテント張る場所探しと、時間を節約するために、
泊めてもらえそうなお寺を探しました。

最初に入ったのが、ハトがたくさんいる「神龍寺」
とても親切そうな住職さんが対応してくださり、二つ返事で宿泊OKをいただきました。
さらに布団まで貸していただけるとのこと。
あまりにすんなりとOKが出たので、翌朝に宿泊料金を請求されまいかと、
実は内心ひやひやしていました。

そのお寺で紹介された「亀屋」という定食屋に入って夕飯を取ることにしました。
メニューにある「定食」というのを注文しました。

16歳の新入生グルメの私にとっては、
霞ヶ浦名産の「コウナゴ」の佃煮なんか期待しましたが、
40分もかかってようやく出てきたのは「シャケ定食」でした。

昼間の熱射病も私の若い体力の方が勝り、すっかり元気になりました。
明日は東北地方となる福島県まで無事に行けるでしょうか?
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[使ったお金]
ファンタ1本 ¥30
サイダー2本 ¥80
アイスクリーム ¥10
牛乳 ¥25
夕食 ¥120
電話 ¥20
合計 ¥285
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by ymweb | 2009-02-25 00:11 | じゃずぎたりすと物語
じゃずぎたりすと物語 39 〈なんだかんだで 出発!!〉

ご存知の通り、普段は物静かだが、怒れば灰皿が飛んでくる怖い父です。
※第5話〈魔の練習:中学校時代〉をご覧ください。

「担任の先生がな、おまえはこのままだと落第するって言っているぞ!」

ひぇ~~っ!!

父はよほどの事がない限り、私に直接近づいて説教するような人ではありませんでしたが
このシチュエーションは高校入試の時以来2度目です。
おそらく「よほど」の事だったのでしょう。

「明日から夏休みだけど、先生がおまえの事で学校まで出向いてくれるそうだ。」
私が「でも明日から自転車旅行があるし・・・」と言うと、
「やかましい!!」

幸いな事に父のそばに灰皿は置いていませんでしたが、いつ殴られるかドキドキでした。

翌日父は仕事のため、母が同行して担任の待つ学校へ出向きました。

休みに入った誰もいない学校。
職員室のドアを開けると担任が一人、書類を片手に私を待っていました。

いくらか予想はしていました。
テストの点は芳しくありませんでしたし、来る日も来る日もギターに明け暮れて、
寝坊のため欠席したことも多かったことは事実でした。

呼び出された内容は、残念ながら予想を裏切りませんでした。
入学時にはトップクラスの成績で入ったにもかかわらず、
現在では後ろから数えたほうが早い成績にまで落ち込んでいる事に加えて、
授業の3分の1近く欠席しているということでした。

母が「親の立場からもよく見守って注意するようにします」
「これから頑張るわよね」

「あ、ああ。」
そう答えたものの、窓の外でけたたましく鳴く蝉の声で昨年の自転車旅行の想いが蘇り、
心はすでにここにはなく、1日遅れてしまった出発のことで頭の中は一杯でした。


旅行の荷物の準備と点検を済ませて、4時40分に目覚ましをかけて寝ました。

朝起きると、夜中に仕事を終えて帰った父が、私の自転車レッド号に油を差したり
緩んだネジを締め直したり、ギアの点検など、一生懸命に行なっていました。
きっと父は寝ずに作業を行なってくれていたのでしょう。
昨日担任に呼ばれた内容のことなど、一切問いただしませんでした。

「気を付けるんだぞ」
わたしはこんな父が実は大好きでした。


1970年7月22日水曜日午前5時30分 自転車日本一周旅行後半・北日本編
今日の目的地、茨城県・土浦に向けて、いざ出発!! 

                                         つづく

※後のストーリーで明らかになりますが、実は持参した大切なカメラを北海道で紛失したため、
実際の写真に収める事が出来ませんでした。
しかしながら、途中で知り合った心優しいサイクリング仲間がカメラを貸してくださり、
貴重な後半部分は写真記録が残っています。
さらに、就寝前に欠かさず書いた日記が赤裸々なまでに日々を綴っています。
南日本編にはない、日記を中心としたリアルな旅行記をお楽しみにしてください。
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by ymweb | 2009-01-28 16:03 | じゃずぎたりすと物語
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時折 窓の外の雨を眺めながら地図を広げて、
昨年の続きとなる「日本一周自転車旅行:後半」の構想を巡らせます。
南日本を周った時の実際的な教訓があるので、一日にどれほど走れるか、
予算はどのくらいかかるかなど、具体的に計画をまとめることが出来そうです。

AB型という血液型が性格に影響するかどうかは解りませんが、
私は部分的に?異常なほど細かくて、ある時突然大雑把な性格になります。
どのように部分的に細かくて、突然大雑把な性格になるかというと、
例えば本棚を整理しようと思う場合、本の高さからきちっと揃えて整理し始めます。
しかしその途中で電話が鳴ったりすると、話が終わって部屋に入った途端その作業は終了で、
残りの本は適当に本棚に突っ込んじゃいます。
電話ではなくても、例えば整理している途中で興味のある本が出てくれば、
そこで読み入ってしまい、本棚の整理は終了となってしまいます。

現在私のバンドのドラマー太田耕平は、「宮さんは演奏前がA型で演奏中はAB型、
演奏が終わるとB型になります」と述べています。
O型の彼にそんなこと言われるのも少し悔しいけど、当たっているかもしれません。

話が飛んでしまいましたが、そんな訳で今回の自転車旅行の計画は綿密に行ないました。

高校の夏休みは40日のため、東京から水戸街道を北上して海沿いに仙台まで行き、
上り下りが多く距離も長い三陸沿いを走ることを断念して、
国道4号で盛岡から青森県・野辺地まで行き、そこからフェリーで函館、
時計回りに北海道を一周して、室蘭からフェリーで青森、
青森から秋田、山形の奥羽地方の海沿いに走って新潟から越後湯沢を通り、
山を越えて東京に戻るというコース。

昨年のように大変な思いをしなくて済むように、
1日に走る距離を少なめに設定して、無理のない計画を立てることにしました。

この旅行のために1日1ページずつ計40枚もの行程表を作りました。
その全てに北日本の地図を書いて、全行程を黒いボールペンで書き、
1日に走らなければいけない行程部分だけ、赤のボールペンで記しました。
1日ごとにその行程表を取り換えて、
自転車のフロントバックの透明ケースに入れて走るという訳です。
例えば1日目は東京から茨城県土浦市まで進む予定なので、
全体から見れば少しだけ赤くなっていて、旅行終盤ではほとんどが赤くなっているので、
これまで走った距離が一目で解るというものです。

私の細かさはそれだけではありません。
到着予定地の名産品も事前に書き記しました。
例えば霞ヶ浦近くの土浦だったら「コウナゴの佃煮が美味しそう」とか、
札幌だったら「味噌ラーメン食べるべし!」などなど。。。
今考えれば高校生の浅い食知識ながら、自分で調べた特産品も書き記しました。
どうやら食い意地と食に対する執着はこの頃からあったようです。

1学期が終わりを迎えて、間もなく始まる夏休み。
自転車日本一周旅行出発の日が近づきました。

そんなある日、突然父が深刻そうな顔をして
「貴昭!お前に重大な話がある。」と言って私に近づいてきました。

なんだなんだ??

                                         つづく

写真:リアルタイムで綴った自転車旅行日記
この日記と写真を基に〈じゃずぎたりすと物語〉は書かれています。
そのため当時の記録が鮮明に残っています。
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by ymweb | 2009-01-24 18:27 | じゃずぎたりすと物語