宮之上貴昭執筆による長期連載


by ymweb
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カテゴリ:じゃずぎたりすと物語( 77 )

ファンの皆様には大変お待たせいたしました。
しばらく絶筆していた「ジャズギタリスト物語」の続編を書いていきます。

「じゃずぎたりすと物語」は、私がギターを始めるきっかけから
プロのジャズギタリストになるまでの出来事を、
おおよそ史実に基づいて書いています。

途中から人生においての大きな思い出となった
「自転車日本一周旅行記」の話が長くなっていますが、 (ーー;)
私にとって15歳~16歳にかけての自転車日本一周旅行は、
体力作りはもとより、
根性や気力といった精神態度の原点ともなっています。
ほどなくして旅行記は終了させて、
またジャズギタリストへの道を綴りたいと思いますが、
自転車旅行記もまだまだ皆さんにお聞かせしたい
ハラハラ、ドキドキ、ワクワクの出来事がたくさんあります。
完走するまで引き続き読んでくだされば嬉しく思います。

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北海道の日本最北の地に到達して南下する途中、
これまで記録したフィルムが残る大切なカメラをなくし、
予想外の砂利道の坂の連続を登りきり、
ようやくたどり着いた摩周湖は霧のため見ることが出来ず、
ガクッと肩を落として凹んでいる16歳の宮之上少年。
はてさて、これからの旅はどうなることでしょうか。


1970年8月12日(水)

昨日はようやくたどり着いたものの、
濃霧のため摩周湖を見ることが出来ず、
悔しいので朝7時に起きて、
バスでもう一度摩周湖天文台に向かうことにしました。
昨日の悪天候がウソのような晴天に恵まれ、
言葉で表現できないくらい摩周湖は美しい湖面も姿を現しました。
いや~来て良かった!!
しかしバス代が往復で380円とは高すぎる!
(日記にはそのように記されていますが、
当時の物価指数はいかほどだったのでしょうね)

美しい摩周湖を見てから再び宿に戻り、
昨日ブレーキが故障したので街の修理屋に寄った。
100円も取られた!

弟子屈の街を離れて「横断道路」と呼ばれる国道241号線に入り、
ひたすら阿寒湖を目指しました。

最初は舗装道路でしたがすぐに砂利道になって登坂もきつくて大変でした。
途中、ペンケトウ、パンケトウという小さいけど神秘的な2つの湖を遥か右手に眺め、
もう一つ峠を越えると阿寒湖まではもう一息です。

そんな時、「こんにちは」と声がかかって来ました。
わたしと同じく自転車旅行をしている大学生で、
岩手県から来て北海道一周しているそうです。
その小島さんは穏やかでとても良い感じのよい人で、
わたしが高校2年生だということを信じてくれませんでした。
すっかり意気投合して、今夜は彼と阿寒湖泊まりに決めました。
そして食事は彼持ち、テントはわたし持ちでキャンプ村に宿泊することにしました。
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移動距離が比較的短かったので時間がありました。
わたしたちはボートを借りて阿寒湖の景色を楽しみました。
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テントの隣では室蘭から来たファミリーがバーベキューを楽しんでいて、
わたしたちもちゃっかりご馳走になりました。(^^)/
そして何より嬉しかったのはそこにギターがあって弾くことが出来たことです。(^^♪
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さらに嬉しいことがありました。
わたしが途中でカメラを失くしたことを小嶋さんに話すと、
「あなたはまだ道中長いのでこのカメラを貸してあげる」
そう言ってくれました。
自分も旅の途中だというのに、何と自己犠牲の精神の持ち主なのでしょう。
少しだけ気が引けましたけどここは遠慮しないでお借りすることにしました。
それでここから先の写真はリアルにわたしの撮影したものになります。(^^)/
小島さん、ありがとうございました。
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※旅の後、ちゃんとカメラは小島さんにお返ししました。

小島さんと夜遅くまで話がはずみ、就寝したのは11時でした。

[この日使った費用] 弟子屈~摩周湖往復バス代380円 / 自転車修理100円 /
パン代合計85円 / アイスクリーム30円 / ボート代150円 〔合計745円〕
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by ymweb | 2016-04-15 16:49 | じゃずぎたりすと物語
「じゃずぎたりすと物語」は、私がギターを始めるきっかけから
プロのジャズギタリストになるまでの出来事を、
おおよそ史実に基づいて書いてます。
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途中から人生においての大きな思い出となった
「自転車日本一周旅行記」に変わりかけちゃっていますが(ーー;)
私にとって15歳~16歳にかけての自転車日本一周旅行は、
体力作りはもとより、
根性や気力といった精神態度の原点ともなっています。
まもなく旅行記は終了して、
またジャズギタリストへの道を綴りたいと思いますが、
自転車旅行記もまだまだ皆さんにお聞かせしたい
ハラハラ、ドキドキ、ワクワクの出来事がたくさんあります。
完走するまで引き続き読んでくだされば嬉しく思います。
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※初めて読まれる方は是非とも第一話からお読みください。
http://ymweb.exblog.jp/i4/6/

※記載してある自転車旅行記の情報は、
詳細に書き記された当時の日記からのものです。


【じゃずぎたりすと物語】 59話「霧の摩周湖は‘魔’周湖」

1969年8月11日(火)

朝6時30分に目覚めると、
昨日知り合ったサイクリストは境内にいて、
寺のおばあさんと話をしていました。

今日のルートは、ここ美幌から屈斜路湖を経て、
憧れの摩周湖を経由して弟子屈(てしかが)に向かいます。

美幌峠までの道はところどころ非舗装でとても走りにくい。
荷物の多さも関係しているようだけど、
彼は私をおいてどんどん先に進んで行きました。
彼に着いて行くことは諦めて自分のペースで走っていると、
途中で道路工事の旗振りのおばちゃんが、
「お友達が美幌峠で待っているそうよ」
聞くと峠はもうすぐだそうだ。
嬉しくなった。
自転車は砂利道の上り坂はきついのです。

やっと到着した美幌峠で彼が待っていてくれました。

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峠には休憩所が一軒あり、入ってみるとジャズがかかっていました。
ジャズ、じゃず、JAZZ、ジャズ、じゃず、JAZZ、ジャズ、じゃず、JAZZ
久しぶりに聴いたような気がします。
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火照った顔と体をすーっと冷ましてくれるような心地良い音楽。
早く東京に帰って演奏したい。
ま、この自転車旅行が無事に終わらなければ無理なのですが。

この休憩所でジャガイモの天ぷらを買って食べました。
少し上ると屈斜路湖を望む気色の良いところがあり、
アイヌ人が正装していて観光客の写真ラッシュです。

美幌峠を後に、長い砂利の下り坂を何度もすっ転びそうになって、
ようやく舗装道になると、屈斜路湖に小さく突き出た和琴半島です。
商店に入って食パンとソーセージ、そしてファンタを頼んで昼食。
この先に無料野天風呂があるというので行ってみました。
和琴半島の露天風呂は私たち二人のほかは誰もいませんでした。
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16歳の宮之上少年、他人に裸を見せる勇気がなく、
体のほこりを落とし、軽く洗髪をしただけでした。

「青春の半分を旅に!」
露天風呂の柱に生まれて初めて落書きしちゃいました。(^^;

風呂から上がった彼は「ここで別れよう」と言いました。
もちろんツアーの行程も目的地も違うので仕方のないことなのですが、
わたしがカメラをなくしたので、
彼に記念となる写真をもっと撮ってほしかったのです。
※住所を教えましたが、その後彼から写真は送られてきませんでした。

また独りになった私は屈斜路湖畔に沿って走り出しました。
キャンプ場として賑わっている砂湯というところがあり立ち寄ってみると、
湖畔のどこを掘っても温かい温泉が湧き出ている面白いところでした。
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湖とさよならして、しばらく走るとホテルが立ち並ぶ川湯温泉に着きました。
テントやお寺ではなく、たまにはこんな綺麗なホテルに泊まりたいなと思いました。
とはいえ、川湯温泉は今回の旅で楽しみにしていた摩周湖の入り口でもあるのです。
地図によると摩周湖の第三展望台までは13,5km。
道が蛇のようにぐにゃっと書いてあるけど大したことなさそう。
と思ったけど、実はこれは浅はかな考えで、大変なことになります。

【豆知識1】
摩周湖はカルデラ湖なので、山を登ったところにあります。
この付近上空はオホーツク海と太平洋からの気流がぶつかるので
天候が変わりやすく雨や霧が発生しやすい。

川湯温泉を出発してほどなく、道は非舗装の砂利道になりました。
砂利道の上り坂では自転車のペダルを踏んで進むことが出来ず、
仕方なく降りて愛車レッド号を押しながら進みました。
肌寒くなり、天気も悪くなってきました。
「痛い!!」
始末の悪いことに
ブ~ンブ~ンとアブ(虻)が飛んできては私の顔や首筋、腕にとまります。

【豆知識2】
北海道には虻が多く生息していて、虻田郡とか、
白老(アイヌ語で虻が多いところの意味)など、
虻に由来した地名が多くあります。

私はポンチョを出して着込んで自転車を押し、
顔や指にとまる虻を追い払いながら進みました。
しばらく進んだのですが、展望台まではまだ8kmくらいあるでしょうか。
いつになったら到着するのでしょうか。

次のカーブを過ぎれば展望台があるかな? 無い。
その次のカーブを過ぎれば展望台があるかな? 無い。
そのまた次のカーブを過ぎれば展望台があるかな? 無い。

行き交う人や車はほとんどいません、一人ぼっちです。
雨が酷くなってきました。

寂しい。。。。
家に帰りたい。(。´Д⊂)うぅ・・・。
16歳の宮之上少年の目には涙が溢れていました。

そんな時です。
向こうからサイクリストがやって来ました!

「展望台まであとどのくらいですか??」
「あと3、4kmだよ!」

しかし連続する急坂を自転車押しての3、4kmなので
まだまだかかりそうです。

次のカーブを過ぎれば展望台があるかな? 無い。
その次のカーブを過ぎれば展望台があるかな? 無い。
そのまた次のカーブを過ぎれば展望台があるかな? 無い。

(。´Д⊂)うぅ・・・。

道が突然舗装になりました。

次のカーブを過ぎれば展望台があるかな?

見えました!!!
「摩周湖第三展望台」と書いてあります。

ヾ(@⌒ー⌒@)ノ

湖は??

ん?? ジーッ (@ ̄_ ̄) ・・・・・
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摩周湖の湖面らしき下方から霧が舞い上がってきて何も見えません。

ふざけるな!!
バカヤロー!!ε=(。・`ω´・。)

この天気なので第二、第一展望台からの眺めも諦めて、
今夜の目的地、弟子屈(てしかが)に向かうことにしました。

自転車旅行の醍醐味は何といっても下り坂にあります。
展望台から弟子屈までのおよそ6、7kmはずっと下り坂。
霧の中、車の速度だと危険ですが自転車の速度には問題ない視界。
ペダルを踏まずにかっこよく爽快に走り抜けました。

日記には「ほんとにほんとにほんとにほんとに、かっこよく気持ちよかった」と綴られています。
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過酷な上り坂の苦しさゆえに下り坂の爽快さがひとしおだったのでしょう。

しかし弟子屈の街に到着した時に、
下り坂で酷使した後ろのブレーキが故障してしまいました。

今夜の宿探しに数軒のお寺をあたったけど、
最後のお寺に「お寺を旅館と勘違いするな!」と怒られました。(´・ω・`)ショボーン
仕方なく駅前にある簡易宿泊所に泊まることにしました。

今日見ることの出来なかった摩周湖にもう一度行くぞ! 
という目論見をしながら9時30分就寝 zzz

/////////////////////////////////////////////

【この日使ったお金】

ジャガイモの天ぷら¥50 
食パン¥55 
ソーセージ¥30
ファンタ¥30
パン¥110
カレー南蛮¥140
宿泊料¥500

合計¥910
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by ymweb | 2013-02-25 16:35 | じゃずぎたりすと物語
ファンにお年玉③

《じゃずぎたりすと物語》 58話「北海道の湖を巡る①」 
書き上げました。
http://ymweb.exblog.jp/

... 「じゃずぎたりすと物語」は、
私がギターを始めるきっかけから
プロのジャズギタリストになるまでの出来事を、
おおよそ史実に基づいて書いてます。

途中から人生においての大きな思い出となった
「自転車日本一周旅行記」に変わりかけちゃっていますが(ーー;)
私にとって15歳~16歳にかけての自転車日本一周旅行は、
体力作りはもとより、
根性や気力といった精神態度の原点ともなっています。

まもなく旅行記は終了して、
またジャズギタリストへの道を綴りたいと思いますが、
自転車旅行記もまだまだ皆さんにお聞かせしたい
ハラハラ、ドキドキ、ワクワクの出来事がたくさんあります。
完走するまで引き続き読んでくだされば嬉しく思います。

※初めて読まれる方は是非とも第一話からお読みください。
http://ymweb.exblog.jp/i4/6/

※記載してある自転車旅行記の情報は、
詳細に書き記された当時の日記からのものです。

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じゃずぎたりすと物語 58話「北海道の湖を巡る」
1969年8月10日(月)
朝、搾りたての牛乳をいただいて出発!
国道238号線はサロマ湖畔の美しい眺めと裏腹に、
タイヤが埋まってしまうほどの砂利道と、
道路工事による土埃の舞う悪路でした。
目に埃が入ってチリチリになるので、
鼻から口までタオルで覆い、
サングラスをしてペダルを踏みました。

原生花園で有名な能取湖畔に着いた時オシッコがしたくなり、
咲き乱れる美しい花の真ん中で用を足しました(´Д` )
広い北海道、気持ち良かったです(^O^)
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途中、青森から来たという自転車旅行者に出会い、
道中を共にしました。
カメラを紛失した私は、
その彼に写真を撮ってほしかった目論みもありました。
網走に到着すると、有名な刑務所の前で記念撮影をしました。
※この数十年後、私が北村英治(cl)バンドで
網走刑務所に慰問演奏に来ることになるとは、
この時点で予想するはずもありません。

網走市街を抜けて女満別に向かう国道沿いに
網走湖という湖が現れます。

大勢の人が水に浸かって何か採っています。
私たちも加わりました。
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アサリほどもある大きなシジミがたくさん採れました。
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目的地の美幌に到着すると、
二人でシジミを持参したのが功を奏したのか、
美幌の元町という地区にあるお寺が
今夜の宿泊を快諾してくれました。

スポークが折れていた愛車レッド号は近くの自転車屋に。
無料で直してくれたのはラッキーでした。
でもスタンドは外れたままですが(>_<)

二人で「ホルモン焼き」と書かれた看板に惹かれて店に入りました。
思ったより量が少なくてお腹が一杯にならず、
店を出てもう一軒ラーメン屋に入りました。

一人旅を続けている16歳の宮之上少年にとって、
話し相手がいること自体とても嬉しかったのです。
旅の出来事や情報などを交換して9時半頃に寝ました。

[この日使ったお金]
ガラナ\45 パン\20 ファンタ\40 ファンタ\30  パン\55 パン\54
夕飯 ホルモン焼き\100 めし\60 塩ラーメン\100  
合計\504
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by ymweb | 2013-01-03 14:46 | じゃずぎたりすと物語
「じゃずぎたりすと物語」は、
私がギターを始めるきっかけから
プロのジャズギタリストになるまでの出来事を、
おおよそ史実に基づいて書いてます。

途中から人生においての大きな思い出となった
「自転車日本一周旅行記」に変わりかけちゃっていますが(ーー;)
私にとって15歳~16歳にかけての自転車日本一周旅行は、
体力作りはもとより、
根性や気力といった精神態度の原点ともなっています。
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まもなく旅行記は終了して、
またジャズギタリストへの道を綴りたいと思いますが、
自転車旅行記もまだまだ皆さんにお聞かせしたい
ハラハラ、ドキドキ、ワクワクの出来事がたくさんあります。
完走するまで引き続き読んでくだされば嬉しく思います。

※初めて読まれる方は是非とも第一話からお読みください。
http://ymweb.exblog.jp/i4/6/

※記載してある自転車旅行記の情報は、
詳細に書き記された当時の日記からのものです。

じゃずぎたりすと物語 57話「愛車レッド号骨折!」

8月9日(日) 
お世話になった浜野家の皆さんに挨拶をして、
10時30分に紋別を出発しました。
今日の目的地サロマ湖までの距離が短いので、のんびりの出発です。

走りやすかった国道238号は途中から砂利道になりました。
しばらく走っていると、激しい揺れのためにタイヤのスポークが1本、
続けてもう1本と折れてしまいました。
このまま走行すれば連鎖反応で他のスポークも次々と折れそうです。
道路脇に愛車レッドを停めて、
2本のスポークを絡ませて1本にして応急処置を施しました。
これでとりあえずOKかなと思ったら、
今度は自転車を支えるスタンドが根元からぐにゃっと曲がって、
レッド号はスローモーションのようにゆっくりと左に傾きました。
荷物の重みに耐え切れなかったようです。
何ということでしょう。。。
それでもオホーツク海の大海原を見てジャズの曲を口ずさみ、
16歳の宮之上少年はいくらか元気を取り戻してまた出発しました。

途中お腹が空いてきたので川西とう集落で商店に入り、
クッキーといちごサイダーというのを買いましたが、
結局お腹はいっぱいにならず、このチョイスは失敗でした。
湧別の街を過ぎて少し走ると、
左手には油を敷いたような穏やかで雄大な湖が姿を現しました。
北海道最大の湖、サロマ湖です。

珍しくまだ陽が高いうちに目的地まで到着しました。
観光案内所でテントを張れる場所や簡易宿泊所の情報などを聞こうと思い、
計呂地(ケロチ)という駅に行ってみました。
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もちろん口ずさんでいるのは「Take the A train」です。
確かに駅は駅でしたが、人もいないし、トイレ以外何にもありませんでした。
(計呂地駅は1987年に廃線になった湧網線の駅です。)
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写真:現在では鉄道公園として整備されているそうです。

さびれているとはいえサロマ湖は観光地なので、
そこら辺に勝手にテントを張るわけにもいきません。
商店に入って、アイスクリームを食べながら情報を聞いてみました。

国道沿い「法念寺」というお寺があると聞いて、早速行ってみました。
大きくはないお寺でしたが、綺麗に手入れされた美しいお寺でした。
境内にテントを張る交渉をしたところ、奥様が優しく対応してくださり、
住職と相談して、空き部屋に泊まらせていただくことになりました。

ちょうど札幌から来たという親戚の方が見えて、
その子供たちを湖畔に連れて行って遊んでくれとのこと。
思いがけずサロマ湖探索となりました。

美しい!!
ずっと地図みて心に思い描いていたサロマ湖が眼前に広がっています。

夕食もご馳走してくれることになり、
食卓には特産のホタテ貝とボラの刺身が並び、とても美味しくいただきました。
テレビでは「サインはV」の最終回を放送していました。
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部屋でくつろいでいると住職が、
「旅の目的や面白さを話してくれ」と近づいてきました。
これまでの出来事や、人との出会いなど、
私の話に熱心に耳を傾けていました。

明日の朝は搾りたての牛乳をご馳走してくれるそうで、
これも楽しみです。
寝たのは遅く、時計の針は11時を回っていました。

[この日使ったお金]
クッキー \50  いちごサイダー \30 アイスクリーム\20 
合計\100
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by ymweb | 2013-01-02 14:56 | じゃずぎたりすと物語
これまであらすじ

「じゃずぎたりすと物語」は、私がギターを始めるきっかけから
プロのジャズギタリストになるまでの出来事を、
おおよそ史実に基づいて書いてます。。

途中から人生においての大きな思い出となった
「自転車日本一周旅行記」に変わりかけちゃっていますが、
私にとって15歳~16歳にかけての自転車日本一周旅行は、
体力作りはもとより、根性や気力といった精神態度の原点ともなっています。
まもなく旅行記は終了して、
またジャズギタリストへの道を綴りたいと思いますが、
まだまだ皆さんにお聞かせしたいハラハラ、ドキドキ、
ワクワクの出来事がたくさんあります。
完走するまで引き続き読んでくだされば嬉しく思います。

※初めて読まれる方は是非とも第一話からお読みください。
※記載してある情報は詳細に書き記された当時の日記からのものです。

56話「オホーツクの風がほおをつく?」

1969年8月8日(土)

「おい、どうした!?」
ギギーーッと急ブレーキの音を立てて
斜めに止まったトラックから声がかかりました。
私のほうが少し驚きました。

思い出をたくさん記録したカメラをなくして気を落とし、
フラフラと蛇行運転している私を心配したのでしょう。
「乗っていくか?」と声をかけてくれました。
ペダルを踏む体力も気力もなくなった私にとってまさに救いの船、
二つ返事でお願いすることにしました。

建築関係の仕事をされているらしい二人は割と無口、
運転手は芦屋小雁似で、もう一人は高校の数学の先生に似ていました。
こうして愛車レッドを荷台に乗せてオホーツク海を南下し、
車に揺られてうとうとしていると、雄武(おうむ)の町に到着しました。
そこは彼らが共同生活をしているらしい建築現場の仮設住宅でした。
インスタントラーメンに缶詰とコロッケをご馳走してくれました。
ここで寝かせてくれるのかと思いきや途中休憩だったらしく、
さらに先の紋別まで走ることになりました。
到着した紋別の事務所で布団を敷いてくれてそこで寝ました。

思いがけず距離を稼げたおかげで、
今日は紋別に留まることにしました。
オホーツク海のど真ん中に位置する紋別は、
冬は流氷の街として有名な港町です。
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今夜もこの街に泊まろうと思いますが、
昨夜お世話になった事務所の人たちはすでに仕事に出ているし、
連泊はさすがに気が引けるので、
テントを貼れる場所または神社かお寺を探すことにしました。
港の見える高台の公園にたどり着くと、
ポカポカの日差しの中で漁師らしいおじさんが網を修理していました。

いかにも自転車旅行をしている格好の私に向かって、
「まんま食え、まんま、北海道の三平を食わしてやる」
私の腹ペコがどうして分かっちゃったのしょうか(ーー;)
公園の隣にある家にお邪魔していただくことにしました。

三平とは三平汁のことで、
鮭や鱈などの魚と根菜を塩だけで煮た鍋でした。
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蛸と葱の酢味噌和えもいただいて、
心もお腹もすっかりいっぱいになったところに小学生の娘さん二人が帰宅。
このお嬢様方はとってもべっぴんさんでした。
お友達三人と一緒に港に魚が上がるのを見に行きました。
今夜はこの浜野家に泊めていただくことになり、
おかげで夕食ではカジカの味噌汁や蟹子などなど、
オホーツクの海の幸を堪能することが出来ました。

しかしこうした幸せな時間はそう長くは続きません。

       次号「愛車レッド号の骨折!」につづく
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by ymweb | 2013-01-01 16:53 | じゃずぎたりすと物語

日本最北端の地に立つ

執筆中の「じゃずぎたりすと物語」は中盤から
「自転車日本一周旅行記」に変わりかけちゃっていますが、(^^;
私にとって15歳~16歳にかけての自転車日本一周旅行は、
体力作りはもとより、根性や気力といった精神態度の原点ともなっています。
まだまだ皆さんにお聞かせしたい
ハラハラ、ドキドキ、ワクワクの出来事がたくさんあります。
完走するまで引き続き読んでくだされば嬉しく思います。

※記載してある情報は詳細に書き記された当時の日記からのものです。


じゃずぎたりすと物語55話「日本最北端の地に立つ!」

朝5時30分に起床、6時から朝食だ。
日本一周自転車旅行の私にとって「早起き」はお茶の子さいさい。
ただ、宿泊している「青年の家」は少し右に傾いているのか、
国旗掲揚を見守ったり、ラジオ体操を義務付けられました。
右でも左でもない「ほんの少年に過ぎない」私にとって、
せっかく昨夜下げた国旗の掲揚はよく分からなかったけど、
ラジオ体操は楽しく参加しました。

7時
それほど居心地の良くなかった宿をさっさと後にして、
これから目指すは日本最北端の宗谷岬です!


風も強くて途中で雨にも降られたけど、
我慢してペダルを漕ぎ進むと間もなく宗谷岬。
宗谷岬とは岬の総称で、目指す最北端は大岬というところです。

着きました! ここが日本最北端の地です!
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比較的朝の早い時間だったので人影はまばらでした。
天気が悪いため、
期待していた樺太をここから見ることは出来ませんでした。

でも出発の時から思い描いていた最北端の地ですから、
近くにいた人にカメラのシャッターを押してもらいました。
そして行ったという証拠になる記念スタンプも日記に。
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私は近くにある灯台に登ってみました。
想像していたより面白くはなかったので、
すぐそばにある「日本軍望楼の基地」というところに行きました。
ここからソ連軍の船を監視したそうです。

その先の展望台みたいな場所にも登ってみました。
さすがにここは宗谷海峡を一望する素晴らしい眺めでした。
見下ろせば日本最北端の碑に集る人が増えてきました。
人はまるでバッタのようでした。


さて再び出発!!
ここからは進路が南へ南へと変わっていくわけです。

ガタガタガタガタ・・・・ 
道が悪くなってきました。
国道238号は非舗装の酷道です。

振動のために後ろの荷台のネジが外れて荷物がずり落ちました。
ハンドル前の荷物も飛び出しそうです。

どうしようかと困っていると、
後ろからサイクリストが来てゴムひもをくれました。
お陰で何とか応急処置を施して彼と一緒に再び出発。
しかしその後も悪路はずっと続き、
前の荷物が飛び出すのを手で押えながら必死に走りました。

それでも目の前に広がる猿払牧場の雄大な景色は印象的でした。

お腹が空いたので近くの商店に入りました。
私は食パンとソーセージを注文しました。

逆方向からサイクリストが走ってきたので、
気になる道の状態を聞くと、「もうすぐで舗装になる」とのこと。
すっかり気を良くして嬉しくなりました。
何しろ、ずっと続いたガタガタ道のために、
私の両手の平は血が滲むほど赤くなっていたのです。

出発の前にたくさんの牛が放牧されている
この猿払牧場の景色を写真に収めようと思い、
荷物の中からカメラを取り出そうとしたら・・・・

( ̄ー ̄?).....?? ん?

ない

カメラが ない (● ̄  ̄●)ボォ----

Σ\( ̄ー ̄;)ナンデヤネン

(☉౪ ⊙)プギャー!!!!

落とした!!!!

さっきオシッコしたところかな。。。。
最初に荷台が外れたところかな。。。。

知り合ったサイクリストにはこおこでお別れして、
落としたカメラ探しに、来た道をまた戻ることにしました。

何しろこれまでの想い出が全部撮影されているのですから。(゜-Å) ホロリ

目ぼしい所の近くに子供たちがいたので、
二人に100円ずつあげて道路の横を一緒に探してもらいました。
それでも見つかりません。
もう少し逆戻った場所まで行きました。
農作業を終えた人にも聞きました。
「この辺りにカメラ落ちていませんでしたか?」

どれほどの時間探したのでしょうか。
真っ赤になった両手の平が痛いです。

どうしてもあきらめることが出来ません、
でも仕方ありません。

16歳の宮之上少年の肩はガクッと落ちて、
おそらくは右に左にフラフラと蛇行して走っていたに違いありません。

その時!!
後方から猛スピードで飛ばしてくる一台のトラックが

ギギーーッ!

私の目の前で急ブレーキをかけて停まりました。

                  つづく
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by ymweb | 2012-01-30 12:37 | じゃずぎたりすと物語
じゃずぎたりすと物語54話 
「最果ての町で少しモテモテ?」

1969年8月7日(木) 天塩→稚内

目覚ましが鳴ったけど(もう少し・・・)
昨日運ばれた死体の関係者なのか、
周囲がざわついていて、気が付けば8時半。
死体の隣に寝た割には熟睡することが出来ました。(^^;

すっかり遅くなってしまって、出発の準備を整えていたら、
奥さんが朝食を食べていくようすすめてくれました。
しかも忙しい中でお弁当まで作ってくれていました。
とても優しい方でした。

出発の時、ミニスカートの女の子がお墓を掃除しに来ていました。
うわ~~っ! 見えちゃいますよ!
16歳、少し恥じらいの宮之上少年でした。(^m^ )


地図はわりとインチキで、国道232号線の振老(フラオイ)から先の
40号線に出れば舗装道路と記されているにもかかわらず砂利道だった。
おまけに雨も降ってきたのでカッパに着替えて、
濡れてはまずい毛布などの荷物にビニールで防水を施しました。

雨は一時的に止んだものの、豊富(とよとみ)で大雨になり、
商店に入って10円のキャラメルを買って雨宿りをし、
お弁当をいただくことにしました。
そうしているとお店の人がコーヒーを出してくれました。
少し売り上げに協力しようと?ウィスキーのポケット瓶を買いました。
1日の完走のご褒美に?毎晩1杯ずつ飲むことにしました。
はい、もちろん未成年です。( ´,_‥`)プッ

実はここから10キロほど走って日本海に出た
稚咲内(ちさくない)というところに、
砂丘原始林というのがあるので行って見たかったのです。
しかしこの雨なので、そこは残念ながら諦めることにしました。

ようやく雨も小降りになって出発し、徳満というところに来ると
「サロベツ原野展望台入り口」と書かれた看板が出ていたので、
そこに行ってみることにしました。

「宮の台」という場所にある展望台に登ると・・・

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360度ほとんど地平線で見渡す限りの草原。
さすがにサロベツ原野ど真ん中の風景です。
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独り静かにしばし眺めに浸っていると、

「こんにちは~!」 「わ~っ!日本一周?」

下に停めてある愛車レッド号の荷物に書いてあるのを見たようで、
少しインテリっぽい若い女性が声をかけてきました。
メガネをかけているけど、とても美人でした。

「私とても興味があるの、ねえお話聞かせてくれない?」

「僕は東京からです、先を急ぎますのでこの辺で!」

照れと恥ずかしさ、格好付けの16歳宮之上少年でした。

おいおい!何考えてんだ?(。´-д-)。o○
時間よ~~~その日に戻れ!!(笑)



愛車レッド号は最果て稚内の街に入って来ました。

稚内市は思ったよりは大きな街ですが、
どことなく寂しさが感じられます。

今夜もお寺に泊めてもらおうと2ヶ所訪ねたけど、
残念ながらどちらも断られてしまいました。
仕方なくユースホステルに電話したところ、
このユースホステルも満室だったけど、
稚内公園に「青年の家」という宿泊施設があるので、
そこに行ってみるよう勧められました。

稚内公園は海と街を一望出来る山腹にありました。
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※写真は現在の稚内公園からの眺め

「ユースホステルが満室だったので、
そこで紹介されてやって来ました」

受付のオヤジは
「そのような考え方だったら宿泊お断りだ!
うちはユースホステルの代用じゃない!」

私の言い方が気に入らなかったようですが、
それにしても何とひどい言い方でしょう。

現在と変わらず?感情がすぐ顔に出る宮之上少年は
「別にそう意味で言ったんぢゃね~よ!」と反論してオヤジをにらんだ。
オヤジがまだ話をしている途中で、隣にいた受付の美人お姉さまが、
「荷物は2階の講義堂に置いてください、4時までは部屋に入れませんので」
まるで(気にしなくていいわ、この人はいつもこの調子なのよ)
そう言わんばかりでした。

私はどうしてもこのオヤジと決着を着けたかったけど、
ここは美人に免じて勘弁してあげよう、そう思うのでした。(笑)

4時を過ぎて荷物を部屋に置くと、
集会室にオルガンと、何とギターがあるではありませんか!!!

久しぶりにギターを手にして早速弾いていると、
「聴かせてください」
そう言って若い男の人二人が近づいて来ました。
今夜私と同室になる二人でした。

得意気に演奏していると彼らはよほど音楽が好きなのか、
熱心に聴き入ってくれました。

彼らの話によると、この「青年の家」は規律が厳しくて、
「夕べの集い」や「国旗掲揚」「ラジオ体操」までが義務付けされています。

早速「夕べの集い」で自己紹介させられました。
次は国旗を降ろす行事に参加です、見ているだけですが。(笑)

夕食の時間、
隅の方で独りで食べていると若い女性二人が隣に座りました。
「どちらから?」勇気を出して訊ねると、東京からの観光客で、
何と渋谷と小金井から来たとのこと。
話を聞いているうちにまた少しホームシックになりましたが、
その後館内で放映されている利尻・礼文島の映画を一緒に見て楽しみました。

何だか素敵な女性と縁があった一日でした。

明日はいよいよ日本最北端の地「宗谷岬」を目指します。

[使ったお金]
ウィスキーポケット瓶150円、キャラメル10円、
アイスクリーム10円、電話代10円、宿泊料580円

※「青年の家」はネットで調べましたがほとんど情報が得られず、
その後ユースホステルになってからしばらくして閉館になったかもしれません。
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by ymweb | 2011-12-28 15:46 | じゃずぎたりすと物語
執筆中の「じゃずぎたりすと物語」は中盤から
「自転車日本一周旅行記」に変わりかけちゃっていますが、(^^;
私にとって15歳~16歳にかけての自転車日本一周旅行は、
体力作りはもとより、根性や気力といった精神態度の原点ともなっています。
まだまだ皆さんにお聞かせしたい、
ハラハラ、ドキドキ、ワクワクの出来事がたくさんあります。
完走するまで引き続き読んでくだされば嬉しく思います。

※記載してある情報は詳細に書き記された当時の日記からのものです。

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じゃずぎたりすと物語 53話 〈死体が!〉

1969年8月6日(水)

寒い、あまり眠れない。
リーーンと目覚ましが鳴ったけど、もう少し、と思ったのが間違いのもとだった。
結局起きたのは8時30分で、顔も洗わずに荷物を整えた。
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出発は9時。
寝坊のバチが当り? 国道232号線は自転車にとって最も走りにくい、
石ころだらけの砂利道がずっと続きました。

何度も転びそうになりながら必死にペダルを漕いでいたところ、
ザザーッと大きなトラックが横に止まり、「乗っていくか??」
メガネをかけた優しそうな運転手でした。
たくさんの荷物を積んだ重い私の自転車を一緒に荷台に乗せて出発。
遠別という町までの17キロの短い道のりでしたが、
その先は道路が舗装されていたので助かりました。

北海道らしいと言えばそうかもしれませんが、
左手遠くには日本海が見えるものの、まさに原野の中を走っています。

寂しい光景が、いくらか行き交う車が増えてきたと思うと、
愛車レッド号は今日の目的地、天塩市内に入りました。

早速今宵の宿探しのためにお寺を探してみることにしました。
※テントなどの野営道具も携帯していますが、
セッティングや片付けなどの時間と労力を考えれば、
お寺の本堂などに泊めていただく方がはるかに楽なのです。

1軒目に訪ねたお寺は断られてしまいましたが、
「鏡沼」というところに釣り人などが無料で泊まる寺があると聞き、
そこに行ってみることにしました。

訳を話して宿泊の交渉してみるとすんなりOKしてくれました。
それだけでなく、夕飯もビールもご馳走してくれました。
僕未成年ですが。(^^;
言葉はきついけど心が優しそうな住職です。

食後の散歩にそこの子供が沼に案内してくれるというので自転車2台で出かけました。
ずっと独り旅している私にとって鏡沼は何とも寒々しく荒涼たる光景で、
ぼんやり眺めていると寂しさが増してきました。

すっかり陽も落ちて辺りが真っ暗になり始めたころ寺に戻ると、
境内には4,5人の人がざわざわと話しをしています。

子供が僕の耳に小声で「死体が来た!」と話してくれました。
(そうか、ここはお寺だった)とあらためて思い直しました。

死体は40代の男性で、河岸工事で生き埋めになったそうです。
見れば正面の部屋には布団が敷いてあって、顔の部分は白い布で覆われています。

でも、あれっ??
あの部屋は私に用意してくれた部屋の隣? (☉౪ ⊙)プギャー!!!!

この日は訃報を聞いて駆けつけた親戚や知り合いなどで、
夜遅くまで話し声が聞こえていました。

一方私はと言えば。。。
そんなことも忘れそうなくらい疲れがピークに達していて布団に入るやいなや爆睡。
ご馳走になったビールのせいか、夜中にオシッコがしたくなって寝ぼけマナコでトイレに。
こっちが廊下だと思って襖を開けて歩くと、敷いてある布団につまづきました。
「すみません、間違えました」そう言って逆方向の廊下からトイレに行きましたが、
トイレから戻って寝床に入った時にふと考えました。
(何で私の布団と反対向きに敷いてあるんだ?)

あっ、そうか!さっきのは死体だったんだ、ナルホド。
そしてすぐまた寝入りました。
疲労は恐怖をも乗り越えちゃいますね。(^^;

間もなく宮之上少年は日本最北端の地に!

                 つづく

[今日使ったお金]
豆パン100円、ソーセージ50円、アイス2個40円、グレープサイダー35円
合計225円
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by ymweb | 2011-12-20 13:26 | じゃずぎたりすと物語
皆さん、たいへん長らくお待たせいたしました。

執筆中の「じゃずぎたりすと物語」は中盤から
「自転車日本一周旅行記」に変わりかけちゃっていますが、(^^;
私にとって15歳~16歳にかけての自転車日本一周旅行は、体力作りはもとより、
根性や気力といった精神態度の原点ともなっています。
まだまだ皆さんにお聞かせしたい
ハラハラ、ドキドキ、ワクワクの出来事がたくさんあります。
完走するまで引き続き読んでくだされば嬉しく思います。

※記載してある情報は詳細に書き記された当時の日記からのものです。


「前号までのあらすじ」

1969年8月3日(日)
自転車日本一周一人旅で北を目指した16歳の宮之上少年は
初めて訪れる北海道までなんとか辿り着き、
現在は札幌にいて、泊まるところを捜し求めて中島公園のベンチに。

母の手作りの寝袋は毛布の端を縫い合わせただけのもの。
母の思いとは裏腹にとても寒くて、ベンチで縮こまってます。

その時!!


じゃずぎたりすと物語 52話 〈北海道をひた走る!〉
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1969年8月3日(日) 夜10時

ガシャ!!
すぐ隣で怪しげな人影が。。。

誰だ?! 

私と同じくサイクリストであった。
いくつもある中島公園のベンチなのに、わざわざ私のすぐ隣のベンチに陣取って
挨拶も全く無いまま暖かそうに膨らんでいる寝袋をセットしてベンチの下で悠々と寝入った。

こいつ。。。。

1969年8月4日(月)

夜が明けました。
結局この夜は寒くてほとんど寝ることが出来ませんでした。(ノ┏Д┓`)ホロリ・・・

やつはしっかり寝入っています。

6時20分。
私は荷物をまとめて出発することにしました。
札幌駅ってどんなかな。。 少し見学した後12号線をまっしぐら。
どこかでラジオ体操をやっているようです。

それにしても眠い。。。
自転車の居眠り運転をしそうな感じです (。´-д-)。o○Zzz

ところで今日は費用を安く上げようと心に誓ったのでした。
何故なら昨日は札幌ラーメン2杯という贅沢をしたからです。(^m^ )

近くの商店で20円のパンを2個買ったら、勘違いで1個25円。
ええい!面倒臭いと、結局3個も食べてしまいました。(^^;
でも飲み物はなるべく我慢しました。σ( ̄。 ̄) オイラ

国道12号線は美唄市あたりから滝川市にかけて直線区間が続きます。
日本一の直線区間だそうで、実は楽しみにしていたのですが。。。
確かに地図であるいは上空から見ればそうかもしれないけど、
実際に走ってみると道は真っ直ぐだけど登り下りがたくさんあって、
期待していたほど面白くはありませんでした。(´・ω・`)ショボーン

直線区間ともお別れで、愛車レッド号は雨竜から275号線に入った。
国道とはいえ、砂利道の部分も多くて走りにくかったけど、
風が助けてくれて、車のすれ違いの時はほこりを被らなくてすんだ。

碧水という集落の先1キロほど行った所に
「清雲寺」という保育園もしているお寺があったので,早速宿の交渉。
いつものように本堂の片隅にとお願いしたところOKの返事。
しかもお風呂と夕食までご馳走になりました。
お寺で食事をご馳走になるのは今回の旅行で初めてでした。

しばらく振りで布団で寝られてとても嬉しかった。
ここにギターがあれば最高なのに。。。

昨夜の睡眠不足があったので8時頃に寝ました。

[この日使ったお金]
パン3個75円 / 豆パン1個65円 パン1個30円 /ファンタ1本30円
サイダー1本25円 / アイスクリーム2個30円  合計255円


8月5日(火)

爆睡とはこのことでしょうか。
睡眠不足と気持ち良い布団の効果と相まって、
6時30分まで一回も目を覚ますことなくしっかり眠りました。

出発の支度をしていると、おかみさんが
「朝食を食べなさい」と声をかけてくれました。
自転車旅行は想像を絶する運動量なので、
起きている間はずっとお腹が空いていると言っても過言ではない状態。
もしほっておくと、ご飯10杯は軽くいけそうです。
16歳の宮之上少年は恥ずかしさと少し遠慮の気持ちがあるので?
ご飯を2膳いただいて、おかみさんが「もっとどうぞ」と言うのに、
心にもなく「ご馳走様!」と言ってしまいました。

出発は7時30分

私の自転車レッド号正面の荷物入れの上は
地図などを挟める透明なビニールケースになっていて、
私はAB型の几帳面さを活かして? 
走行ルートや距離と目的地を日ごとに地図で記してあります。

今日は日本海側の留萌市に出て北上するルートを取ります。

格好を付けてご飯のお替りをしなかったために、
案の定、途中でお腹が空いてパンを買う羽目になったことを除けば、
日本海に抜ける手前の峠は、風も後押ししてくれて思いのほか楽でした。

留萌市に到着。

真っ青な海!!!
気持ちいい~~~ は残念ながらすぐ終わり、
国道232号は小平(おびら)という集落から先は
非舗装の砂利道に一転です。

ガタガタと、ほこりまみれの道をひたすら北上しました。
途中、今では先ず見ることがなくなった散水車が
道路に水を撒きながら走っています。

しかし道路はすぐに乾いてしまい、
またすぐにほこりだらけになります。

走っていて印象に残ったのは、
このあたりの集落がとても寂れていることです。
その昔はニシン漁などで栄えていたのでしょうか。
道路脇の草も木もすべてほこりを被っていて、
民家は今にも倒れそうです。
狭い砂利道の国道を時折猛スピードで走る車は、
街道筋を支配しているヤクザに見えました。

途中、透浦(とううら)という集落で休憩をして
パンとサイダーを買いました。
そこの親父さんが話し好きで、
これからバスで病院に行くという子連れの女性も話に加わって、
海を見ながら思いがけず長居をしました。
女性は話に夢中でバスが来たことに気付かず、バスは行ってしまい、
親父さんがあわてて車に乗せてバスの後を追いかけて行きました。(笑)

砂利と舗装の国道をさらに北上していると
急に後ろのブレーキが効かなくなりました。
ありゃりゃ。。。
ブレーキのワイヤーが外れたみたいです。
苫前(とままえ)という町で自転車屋さんを探して直してもらいました。
有難いことに修理代を無料にしてくれました。

昼食は工藤商店というお店で「豆パン」を1個だけ買ったら、
座敷に上げてくれてお茶までご馳走になりました。

遠くに天売島と焼尻島がかすかに見えます。
景色と同様、人情もほんのり温かい感じがしました。

もう少し先に進んで羽幌という町に着いたところで今宵の宿を探しました。
海から続くなだらかな坂を上がったところに法専寺という、
ここもやはり幼稚園もしているお寺があったので交渉したところOK。
お世話になるのに贅沢は言えませんが、昨日の待遇が良過ぎたので。。。(笑)
しかしここには嬉しいことに私の泊めていただく場所にピアノがあるではありませんか。
ピアノでジャズは弾けませんが、
久しぶりに音楽に出会い、長いこと音と戯れていました。

夕食は道を挟んだところにある食堂で、
ラーメンの大盛りとソフト饅頭3個食べました。

またピアノを触ってから9時30分に寝ました。
東京に帰りたい、ギターが弾きたい。。。

明日は自転車旅行で最も怖ろしい経験をすることなど全く想像していない
少しホームシックになった16歳の宮之上少年でした。

次号〈恐怖の宿〉につづく

[この日使ったお金]

豆のパン60円、サイダー35円、ファンタ30円、
ラーメン(大)90円、ソフト饅頭3個45円 合計260円
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by ymweb | 2011-12-16 18:28 | じゃずぎたりすと物語
じゃずぎたりすと物語 51話 〈札幌で凍死!?〉

1969年8月3日(日)

5時半に覚ましをセットしておいたので、
荷物をまとめて6時には出発の準備が整いました。

「お世話になりました!」と宿のおばちゃんに声をかけると
「朝ごはん食べて行きなさい」と言って、おにぎり3個と沢庵、そして味噌汁を出してくれました。
すっかり朝ごはんもご馳走になって、宿泊料はたったの350円でした。(^_^ゞ

昨夜の雨は止んだものの風がとても強く、曇り空の怪しい天候です。
肌寒いのでいつもの短パンはやめてGパンと長袖シャツに着替えて出発しました。

ひっくり返りそうになるほど上を見なければならないほど海岸線にまで迫り来る山、
そこにかかる滝の水はそのまま海に落ち込んでます。

愛車レッド号は強風に煽られて、思うようにハンドル裁きが出来ませんが、
迫力の雷電海岸の景観からパワーをもらって? 
ひょっとしたら「おにぎり3個パワー」かもしれませんが、
ペダルを漕ぐ足に力が入りました。

積丹半島の付け根にある岩内の街を過ぎて海岸線の景色としばしのお別れ、
半島を突っ切るために国道5号線に出ました。

16歳の宮之上少年には意地というかプライドみたいなものがありました。
そんなに大したことではないのですが、
「今回の旅行は、どんな急坂でも自転車から降りないでペダルを漕ぐぞ」というものでした。
この自分に課した公約は本日簡単に破られることになります。

「稲穂峠」

さほど高い峠でも急勾配でもないのですが、ちんたらと続く嫌な上り坂。
何でしょう、嫌いですこの峠。
かくして、今回のツアーで初めて自転車から降りて押すはめに。トホホ

峠を一気に下り、また日本海が見えてくると、ウィスキーとリンゴの街「余市」です。
今なら迷わず前者を選びますが?
リンゴもまだ時期ではなく、食べることが出来ませんでした。

天気もすっかり回復して、見たことのないような真っ青な海原が眼下に広がりました。

私を乗せた愛車レッド号は間もなく小樽市内へと入って行きます。

道路の脇から大勢の人が海を見つめています。
最初は何だか分かりませんでしたが、大海原に浮かぶ真っ白で大きな船影。
これは小樽~舞鶴を結ぶフェリーが出航しようとしているところに違いありません。


今日の目的地は札幌と決めています。
噂に聞いている「札幌ラーメン」を食べたいです。
しかし大都会に泊まる場合に心配になることは宿泊です。
ローカルな街だったら民家やお寺などの敷地にテントということも有りなのですが、
これまでの経験上、大都会ではたいていそれが出来ません。

「札幌7キロ」の標識のあるところで自転車を停めて、
料金が高いのが難ですが、安全策のユースホステルに電話しました。

円山ユースホステルでは大柄な態度で
「満室だし、予約をしていないと無理です!」

日本半周で40日以上もかかる自転車旅行では、
天候や体調のこともあるので、前もって予約して泊まるなんて無理。
しかたなくユースホステルはあきらめて市内に向かって走りました。

よっす!

後ろから同じサイクリストが声をかけてきました。
年のころは私と同じくらいでしょうか、少しにやけた雰囲気です。

聞くと私と同じく札幌で泊まるところを探しているそうです。
私の経験上から、お寺に泊めてもらおうと提案して、
二人で地図を眺めて近くの「龍光寺」に行ってみることにしました。

「ほほう、あなたは東京から日本一周!? ほほう。。。」
住職から質問がばんばん返ってくるので、てっきり宿泊OKだと思ったら、
他の寺を案内されました。((((_ ▲_|||))))ドヨーン

紹介された寺に行くと「座禅会」があるのでダメ。
また龍光寺に戻って相談したら、庭にテントを張ってOKとのこと。
ようやくねぐらにありつけると思ったらあいつが、
「こんなところなら学校の校庭の方がまだましだ!」とぬかしおった。

人間って第一印象で苦手で嫌いな人っていますね。
私にとっては彼がその人です、はい。

とはいえ知り合った同じサイクリストなので、
しばらく学校とやらを探しにまた二人で走り出しました。

「ここにしよ!」

彼が選んだのは交通量の激しい道路横の学校でした。

冗談だろ!
通行人から丸見えで車の音もうるさい。
しかもどうやって許可を取るつもりなのか。。。

私はどうにもこうにも彼の考え方に賛同出来ず、
「悪いけど俺は別行動にするわ」と言って彼とここで別れることにしました。

そんなこんなでお腹が空きました。
出発の時からこの日を楽しみに思い描いていた札幌ラーメンにしたいと思います。
「龍源」というお店に飛び込んで味噌ラーメンを注文しました。
興味津々で作っているところを見つめました。
もやしを入れると大きな火柱が上がって、想像していた通りの札幌ラーメンでした。
この後さらにもう一軒近くのお店に入って、今度は「醤油バターラーメン」を食べちゃいました。
今では考えられない大食漢の宮之上少年です。(笑)
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私は先ほどの寺の庭でテントでいいや、と思って龍光寺に戻ろうとしたら、
道に迷ってしまいました。
辺りはすっかり暗くなっていたのです。

大通り公園に来ました。

しかたない、今夜のねぐらはここでいい。
そう思ってベンチに薄いシーツを敷いて、
母の手作り寝袋(毛布の端を縫い合わせただけ)で横になりました。

しばらくして、男女の3人連れがそばにやって来て私の自転車を見つめ、
「へ~ 日本一周しているの。。。」
「でもここは人通りが多くて賑やか過ぎるから中島公園の方がいいよ」

わたしはすぐさまそちらに向かうことにしました。
時計の針は9時を回っていました。

中島公園は確かに人気はなく静まり返っていました。
早速ベンチに横になりましたが、身長より少し短いベンチはけっして寝易くはありません。
10時を過ぎて気温はどんどん下がってきました。

持って来た衣類のほとんどを着込んで横になっても、
寒さのためガタガタ震えが止まりません。

お母さん、この手作り寝袋、とても寒いです。。。。



ガシャ!!

その時、すぐ隣で怪しげな人影が。。。

                   つづく。
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by ymweb | 2011-01-08 13:34 | じゃずぎたりすと物語