宮之上貴昭執筆による長期連載


by ymweb
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カテゴリ:じゃずぎたりすと物語( 77 )

【彼女が出来た!?】

〔前号までのあらすじ〕
「宮之上にギターは楽器が安いから音がしょぼい!」
バンド仲間の添田からこう言われて一念発起!
その時は胸倉つかんで殴りかかったものの、
神田の楽器屋で値切って買った1万8千円のギターでは
確かにプロとして情けない部分もあった。
そこでステータスと言われる「ギブソン」を買うために、
キャバレー以外に昼間のバイトもしようと決断。
家の近くにある喫茶店の募集張り紙を見て面接に行った。

【彼女が出来た!?】
「純喫茶・多摩」は家から道路を挟んだすぐのところにありました。
純喫茶と銘打っていますが、メニューにはドリンク以外にカレーやピラフ、
スパゲティやサンドイッチもあって、
どちらかといいえば軽食喫茶という感じの小ぢんまりとしお店。
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大学を出たばかりのボンボンという感じの若いマスターが出てきました。
18歳のわたしをしげしげと見て、安い時給と条件を言ってきましたが、
わたしはその条件を承諾してこの店でバイトすることになりました。
※この経験が後にわたしのコーヒーと料理に対する探究心、
また自分の店をオープンさせる礎となりました。

チーフと呼ばれる菊池さんは無口ですが、素晴らしい料理の腕前。
あちこちのレストランでも修行してきた人らしい。
わたしに優しく対応してくれて、
コーヒーの淹れ方や料理を丁寧に教えてくれました。
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とりわけ彼の作るカレーは絶品で、この店でも人気となっていました。
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マスターは店の2階にある自宅の部屋で毎晩麻雀に明け暮れていて、
たいてい昼過ぎに起きてお店に降りてご飯を食べに来ます。
従業員からは好感度は持たれていないようでした。(+_+)
ウェイトレスは2名いて、現在で言うところのヤンキーな感じ。
でもお二人ともとても美人でした。

そんなある日のこと、女子高生のアルバイト、
本村康子さんが入って来ました。(もちろん名前は変えてありますw)
彼女は「芽生え」でブレイクしているアイドル,
麻丘めぐみに感じがよく似ていました。
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彼女が仕事に慣れてきたころ、
近くに誰もいなくなった瞬間を見つけて
わたしにプレゼントを渡しました。('_')
ありゃ。。ひょっとしてわたしに想いを寄せたのでしょうか、
プレゼントのチョコレートの箱の中には「大好き!♡」とあります。(*_*;
18歳の宮之上、大いに照れるも、
仕事の休みには高尾山になど出かけて
初デートを健全に楽しみました。(^_^)/~

こうして夜はキャバレー、昼は喫茶店という生活がしばらく続き、
お金も貯まっていきました。
その後キャバレーバンドのバンマスと音楽的なことで揉めて
大げんかになり(また?w)
良い条件のところを探して自分でバンドを組んで演奏することにしました。
八王子以外にも相模原や千葉・本八幡など、自分がバンマスとしてトリオ、
あるいはボーカルを加えて演奏しました。
(当時はまだまだ好景気でしたね)

19歳、夢のギブソンを買うメドが付きました。(^^♪
どうせ購入するなら憧れのウェス・モンゴメリーと同じ「L-5」です。
御茶ノ水の楽器屋を回って「須賀楽器店」というお店でこれぞ!
という1本を見つけました。
当然現金で買えるはずもありません(笑)、
いくらかの頭金を払って残りは10回払いです。
でも手にしたのですギブソンを、それもL-5を!\(^o^)/
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しかしこの後そのL-5が大変なことに!
次号《L-5盗まれる!》 

【お知らせ】
いつも熱心に「じゃずぎたりすと物語」を読んでくださりありがとうございます。
執筆から今年で10年を迎えますが、皆さまに嬉しいお知らせがあります。
この「じゃずぎたりすと物語」は編集して書籍化を予定しています。
詳細が決まりましたらまたご案内いたしますが、良い報告が出来ますことを願っています。
引き続きよろしくお願いいたします。
宮之上貴昭
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by ymweb | 2017-02-13 16:26 | じゃずぎたりすと物語

喧嘩!

キャバレーでの演奏もずいぶん慣れてきて、
もっとジャズが演奏したいという気持ちが高まっていた中、
友人が八王子に「アローン」というジャズハウスをオープンするとの話。
その店に出演するために自分のバンドを組んで、
昼間毎日のように国立音大打楽器科の校舎まで出かけて練習しました。

キャバレーのメンバーはわたしの音楽を満足させるものではありません。
時として、バンマスと演奏のリズムなどについて意見が合わず、
しばしば激しい口論となりました。 
年上であっても、納得できないことは譲らない性格は、
自転車旅行で培った(培ってしまった?)のかもしれません。(-ω-)/
この性格は次に起きる事件と関係があります。

キャバレーの休み時間は、
他のキャバレーで演奏するミュージシャンを聴きに行ったり、
仕事の情報や世間話など、言わば勉強と交友の時間でもありました。
以前お話ししたように日本はまだまだ好景気で、
徒歩圏内にたくさんキャバレーがありました。

近くのキャバレーバンドで演奏している少し年上の添田は
テナーとフルートが上手く、
バンド仲間からもチヤホヤされていましたが、
彼には少し酒乱の気がありました。
彼の楽屋で話をしていたある日のこと、酔った添田はわたしに、
「宮之上、お前しょぼい音出すなよ!」
「楽器が悪いからな。。。」

他のバンドマンはわたしのかたを持って
「添田、音楽は楽器ではないぞ、演奏内容だ!」

楽屋は険悪ムードでしたが、一番切れるのが早いのはわたしでした。
近くにあったダルマ(サントリーウィスキー)のボトルを手に取り、
添田の頭部めがけて思いっきり腕を振りかざしました。(; ・`д・´)
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これに驚いたバンドのギタリストが慌てて止めに入り、
あと数センチのところでわたしは犯罪者にならないで済みました。(*_*;
※この暴力的な性格はしばらく続きます(笑)

わたしの使っているギターは
神田で値切りに値切って買った1万8千円のグヤトーン。
確かに「しょぼい音」と言われても仕方ないかもしれません。
しかし当時でさえ安いギブソンでも30万円はしましたが、
プロと呼ばれるギタリストのほとんどはギブソン社製の楽器を使っていました。
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1万8千円と30万円。。。 ( 一一)ジー「

何としてでも手に入れたいです、ギブソン。

そんなある日のこと、
家の近くにある軽食喫茶の「アルバイト募集」の張り紙が目に入りました。
ギブソン買うために昼間はここで働いて夜はキャバレーでの演奏?!

早速面接に行くことにしました。

はたして面接は受かるのでしょうか、
そしてギブソン買うお金は貯まるのでしょうか?

                            つづく




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by ymweb | 2016-08-19 18:18 | じゃずぎたりすと物語

モテモテ!?

〔前号までのあらすじ〕

こうしてキャバレーで順調に演奏しているある夜のこと、
事件が起きました。

「宮ちゃんはわたしのものよ!!」
「何言ってんの?!私の宮ちゃんよ!!」

何と、
ホステス同士がわたしのことでつかみ合いになっていました。|д゚)

ギョエ~~!! ('Д')

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【モテモテ!?】

音楽、そしてジャズのことしか眼中になかったのですが、
驚いたことに、知らない間にキャバレーのホステスの間で人気になっていました。

演奏の良し悪しなんてホステスはほとんど分からないと思うので、
ひょっとしたら、若さに加えて当時流行っていた服装や長髪がモテた原因なのかもしれません。
「ミ~ヤちゃ~~ん♡」
階段ですれ違いざまに抱きしめられたり、
「ねえ~♡ 飲みに行かな~い?」
帰りに店の裏出口で待っていて声をかけられたりしました。|д゚)

こんなこともあったのですね~
この日に時間を戻したい!?(笑)

しかしわたしは取って間もない免許で車を運転して来てましたから飲みになど行けません。
だいいち興味ありません、ホステスよりジャズです。(-ω-)/
少し嘘くさいですが、まあ本当です。(^^)/

数日後、キャバレーが開店する前の早い時間に、
店長とホステス、そして「黒服」と呼ばれるスタッフで「ミーティング」が行われていました。

「ホステスとバンドの付き合いは禁止!もしその状況が認められたら店を辞めてもらいます!」

ほら、だから言ったでしょ( 一一)
店側も客をそっちのけでバンドに色目を使うホステスなど必要ないのです。

その後わたしに直接色目を使って近づくホステスは少なくなったものの、
客と踊っている時にわたしの方を見てウィンクしてくるホステスはいました。

そんなキャバレー演奏生活もおおむね順調にこなしていましたが、
昼間は時間があったので、国立音大の打楽器科の教室で仲間と練習しました。
※当時は音大はJR国立駅の富士見通りにありました。

こうしているうちに(もっとジャズを演奏したい)という気持ちが強くなってきました。
予てから応募していた新宿「ピットイン」で朝の部の出演が決まりました。
演奏が良ければ、ひょっとしてレギュラーで出演出来るかも。。。
そんな願いもありました。

練習している臨時メンバーで初出演しましたが、
身内の客は来てくれましたけど、ブッキングを担当したり、
音をじっくり聴いてくれるようなスタッフなど一人もいませんでした。

現在は分かりませんが、
当時は一流と呼ばれる「夜の部」出演するサイドメンの一人がリーダーとなって演奏するのが「昼の部」、
「昼の部」のサイドメンがリーダーとなって演奏するのが「朝の部」、
という感じで基本的なシフトが組まれていて、
新人はその「空いた枠」に入れていくという感じだったように思えます。
※ずっと後になって「夜の部」でレギュラー出演することになりましたが。(^^♪

しばらくすると、友人の青木君がジャズのライブハウスをオープンするので是非出てほしいとのこと。
キャバレーのある同じ街、八王子でした。
「アローン」と名付けられた店に定期的な出演が決まったのです。

ジャズの道スタート!?

次回「喧嘩!」

また波乱含みで   つづく


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by ymweb | 2016-08-12 18:56 | じゃずぎたりすと物語

キャバレーデビュー

こうしてオーディションに無事合格して、
八王子のキャバレー「ニュー・クラウン」にてプロデビューとなります。
宮之上貴昭18歳です。
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日本が高度急成長を遂げた時代の後半でしたが、
まだ好景気の名残はあって、この3階建てのキャバレーには、
1階にショーを受け持つメインバンドとチェンジバンドの2つ、
2階にも同様に2つ、3階に1つの、計5つものバンドが入っていました。
 
私が演奏することになるのはチェンジバンドのギタートリオで、
メインバンドの演奏と交代でステージに上がります。
中には休憩時間に他の店に飛んで行き、
掛け持ちで演奏しているミュージシャンもいました。
カラオケの無い時代でしたからミュージシャンはたくさん仕事がありました。

ステージは一晩3、40分が4回だったかな。
客のいない早い時間はずっとジャズを演奏することが出来ました。
今考えてみるとこの時間がとても勉強になったのかなと思います。(^^♪

客が入ると誰もが知っている歌謡曲やルンバ、
チャチャ、演歌も演奏しました。
「影を慕いて」「夜の銀狐」「ラブユー・東京」「ある恋の物語」
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「マイアミビーチ・ルンバ」「キサス・キサス・キサス」・・・
実はお手の物でした。 今も?(笑)
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こうして初めてのプロ活動はスタートしました。

ホステスたちと隣り合わせの控室は、
化粧と汗の臭いが染み込んでましたが、
大好きな音楽でお金をもらえることが嬉しかったのです。
日曜日は休みで、1ヶ月のギャラが確か7万5千円、
実家から通っていたので衣食住の心配もなく、
悠々自適な生活でした。

キャバレーで順調に演奏しているある夜のこと、
事件が起きました。

「宮ちゃんはわたしのものよ!!」
「何言ってんの?!わたしの宮ちゃんよ!!」

何と、
ホステス同士がわたしのことでつかみ合いになっていました。|д゚)
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ギョエ~~!! ('Д')

波乱含みで つづく





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by ymweb | 2016-08-08 16:41 | じゃずぎたりすと物語

オーディション

〔これまでのあらすじ〕

高校も無事に卒業することが出来て、
ジャズギターの研鑽に勤しむ日が続いていたそんなある日のこと、
音楽仲間からの情報で、
キャバレーのバンドリーダーがギターを募集しているとのこと。
オーディションを受けるために八王子まで出かけました。

訪れたキャバレーの控室は
初めて嗅ぐ独特な臭いに満ちていました。

エレベーを持ったバンマスが
「みやのうえ君、だね?!」

「何か演歌弾ける?」

"(-""-)"

つづく。

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【オーディション】

演歌!!?? |д゚)

最初はドキッとしましたが、実はわたし、兄の影響で、
ギターのルーツが古賀正男にあったことを覚えていますか。
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ジャズの勉強しているけど、高価なレコードなどそう買えるものでもなく、
テレビやラジオから流れるすべての音楽が
ギターの勉強につながっていました。
したがって聞いたことのある、
というか無理やり放送で聞かされている演歌を弾くことなど
わたしにとっていとも簡単なのでした。(^^♪

しかし、でした。
バンマスがわたしに赤い本を差し出してパラパラめくり、
「ではこの曲弾いてみて!」
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(*_*;

そう、譜面はまったく読めないのです。

まったく読めないわたしにバンマスは
「じゃぁ、この中で何か知っている曲ある?」
ほとんど知ってましたし、
逆に知っている曲ならなんでも弾くことが出来ました。

バンマスはそうしたわたしの才能?に気付いたのか、
「では歌手の名前を言うからその人の曲弾いてみて!」
「はい、森進一!」
♫「おふくろさん」 ♫「えりも岬」 ♫「港町ブルース」
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「では青江美奈!」
♫「池袋の夜」♫「長崎ブルース」♫「伊勢佐木町ブルース」
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「では美空ひばり!」
♫「柔」♫「悲しい酒」♫「リンゴ追分」
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バンマスの顔が笑いで止まらなくなっています。
そう、わたしは放送で数回聞いただけで
イントロからエンディングまですべて覚えてしまう特技の持ち主、
いわゆる「福耳」の持ち主なのでした。( `ー´)ノ ソレチャウヤロ!

かくして、生まれて初めてのプロデビューとなります。
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そしてキャバレーのお姉さま方の熱~い視線を浴びることとなります(-ω-)/


                            つづく
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by ymweb | 2016-08-03 16:10 | じゃずぎたりすと物語

卒業の日

《前回までのあらすじ》

自転車日本一周旅行を終えて高校生活に戻ったものの、
勉強そっちのけでギターにいそしむ毎日。
そんな高校生活も終わりに近づいたころ、
担任の先生から重大なことを告げられます。

「宮之上! お前落第だな!」

ヒェ~~ Σ(゚Д゚)

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入学する時には受験テストが仮に0点でも入れるくらい
内申書の成績が良かったものの、
ジャズとギターのことしか頭にない生活が続いたため
当然ながら成績はどんどん下がっていきました。
それ以上に問題だったのが授業の出席率でした。

先生から現実的な問題を指摘されてあわてましたが、
この先授業一日も休まず、
すべて出席すれば何とか卒業出来そうとのこと。

残された授業を仕方なく?全部出席して、
無事に卒業の日を迎えることになりました。

どういう訳でしょう、
一緒に卒業するはずのクラスメイトは
皆わたしに拍手を送っています。(-ω-)/


こうして天下御免となりました。(^_^)/~

自宅で生活しているので衣食住の心配もなく、
これからはジャズとギターを存分に学んで楽しむことが出来ます。

そんなある日のこと、音楽仲間からの情報で、
キャバレーのバンドリーダーがギターを募集しているとのこと。
オーディションを受けるために八王子まで出かけました。

訪れたキャバレーの控室は
初めて嗅ぐ独特な臭いに満ちていました。

エレベーを持ったバンマスが
「みやのうえ君、だね?!」

「何か演歌弾ける?」

"(-""-)"

つづく。


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by ymweb | 2016-07-09 14:44 | じゃずぎたりすと物語

【初のバンド結成!】

【初のバンド結成!】

日本一周の自転車旅行でしっかり体力と根性を養い
学校の勉強ではなくジャズギターの練習にいそしみました。
毎日毎日、朝から晩までギターに触らない日はありません。

自分のバンドを作りたいと考えて、
同級生には無理やりコントラバスを買わせて教えたり、
スイングジャーナル誌の「メンバー募集」欄でバンドのメンバーを募集しました。
生意気にもオーディションなんかして、
家の近くの集会場を音楽スタジ代わりに借りて練習しました。
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※写真は当時のメンバーで、
右が久島勝則(ds)左が斉藤康彦(b)中央の不良がわたし(g)です。

その後ピアニストも募集してジャズの研鑽を積んでいました。
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※左は田中満秋(p)、右は斉藤康彦(b)中央のイケメンがわたし(g)です。

そんな高校生活も終わりに近づいたころ、
担任の先生から重大なことを告げられます。

「宮之上! お前落第だな!」

ヒェ~~ Σ(゚Д゚)

波乱含みで つづく


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by ymweb | 2016-07-07 13:36 | じゃずぎたりすと物語
【じゃずぎたりすと物語再開!】


「じゃずぎたりすと物語」
愛読してくださっている方に感謝します。
続編を書いていきますが、
自転車旅行記が長くなりました。( `ー´)ノ
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そもそも何故自転車で日本一周することにしたのでしょう。
では2007年の記事に戻すことにしましょう。
ジャズギタリスト目指す宮之上貴昭、
15歳の時の出来事です。

■じゃずぎたりすと物語
第16話【大きな進歩】

初めてのジャズギターを手にして、
相変わらずレコードを聴いては片っ端からコピーする毎日。
フレーズやコードもレコードに合わせれば
同じように弾けるようになったものの、
一体どこでこのフレーズを使うことが出来るのか
よく解かりませんでした。
コピーしたその曲でなければ適用できないのです。
それで、大筋でコード進行の解かる〈ブルース〉のソロを中心に勉強することにしました。
この練習方法はどうやら大正解だったようです。
同じキーのブルースをコピーしていくうちに、
コードに基づく特定のスケールの法則を発見することが出来ました。

考えてみれば私は兄の影響で古賀正男から入りました。
演歌は曲の構成のそのほとんどが分散和音です。
「そうか、このコードの時にこの音が使えるのか!」
そんな私がコードに基づくフレーズを理解することは比較的簡単でした。
ギターの演奏に固執することなく、ブルースの入っているレコードを選んでは
自分の好みのフレーズだけをピックアップしてコピーして弾けるようにしました。
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そんなある日、また一つ大きな発見をしました。
スタンダード呼ばれているたいていの曲はその終わりの部分で
ブルースで使ったのと同じようなフレーズが使われていることに気が付いたのです。
それは後に解かったことですが、ジャズのフレーズの基となる、
いわゆるⅡ・Ⅴ・Ⅰのコード進行だったのです。

このことを理解したということは、それまでひたすらコピーしてきたフレーズは
単なるジャズのムード向上や指の運動に終わった訳ではありません。
そうです、
コピーしたフレーズのほとんどを有効に活用できるのです。

たちまち多くのフレーズをブルースに当てはめて弾くことが出来て、
しかも〈枯葉〉などのスタンダード曲にも適用出来るまでになりました。
これは大きな進歩です。

たいていの幼い子がそうであるのと同様に、1歳まではほとんど会話が出来ませんが、
2歳になったとたんに堰を切ったようにいろいろな単語を並べて話をし始めます。
それまで表現できなかった文法や単語を心の中で蓄積させ、
ある時期に表現の方法が見つかると突然話し始めるのです。

私の場合もそれと似ているような気がします。

ただ単にフレーズを当てはめて弾くという練習方法を行っているうちに、
同じコード進行内ではフレーズ同士を途中からスイッチして演奏することや、
休符を入れて、残りを16分音符にして弾くことが出来ることにも気付きました。
これは素晴らしい進歩です。

とはいえ、それまで蓄積してきたコピーしたフレーズの量が極めて多いので、
この練習には終わりが無く、考えれば考えるほど気が遠くなる作業でした。
実際のところ私の頭の中は四六時中ジャズのことで一杯でパンクしそうでした。


季節は梅雨になりました。
梅雨が明けると高校生活初めての夏休みがやって来ようとしています。
学業ではなく、ギター生活にかなり疲れていました。
はっきり言って弾き過ぎです。
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それで、この夏休みの期間はギターから少し離れて充電期間を設けようと考えました。
部屋に引きこもってギターだけに焦点を合わせた生活から離れることは、
後になって自分のための良い音楽につながると思いました。

そうです、音楽とは無縁の状況に身を置くことを決意しました。
それは精神的にも肉体的にも鍛えられる方法です。
その方法とは誰もが「あまりにも無謀」と口を揃えるものでした。

自転車で日本一周を計画したのです。                  
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                       つづく

それでは今後、いかにしてプロになっていくか、
続編もお楽しみに!




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by ymweb | 2016-07-07 11:58 | じゃずぎたりすと物語

【最後の難所Ⅰ・Ⅱ】

【最後の難所Ⅰ】

1970年8月31日(月)

朝7時に起きて家の方に挨拶に行くと、
そこにはオルガンがおいてありました。('_')
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もちろんギターのようには弾けませんが、
出発までの短い時間、触らせてもらって弾きました。
家路が近くなってくるとジャズのことが気になってたまりません。
ギター弾きたいです。( ノД`)

今日は峠を越えて本州を縦断するつもりでペダルを漕いでますが、
「痛い!」 Σ(゚Д゚)
湯沢町まで進んだころ足が痛んできました。
事故に遭った時に擦りむいた右足でした。

当初は擦り傷だけの外的な問題だと考えていたのですが、
打ち身もあったみたいで、今頃になって腫れ上がって来ました。
これではあまり進むことが出来ないかもしれません。('Д')

今日は夏休み最後となる31日、明日は二学期の始業式です。
ずっと自転車旅行とジャズのことしか頭になく、
学校なんてどうでも良いという気持ちもありましたが、
現実に戻ることを考えると思いは複雑です。(*_*)

そんな中、愛車レッド号は塩沢、そして湯沢の街を過ぎ、
最後の難関である越後山脈に差し掛かって来ました。
しかし右足がカクカクして痛みは限界に近づきました。

ふと道路の右手に集落が見えます。
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今日の走行はあきらめて、この辺りに宿営しようかと思います。
※日記にはこの場所が湯沢町大字神立芝原と書いてあります。

古ぼけた神社があります。
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この敷地にテントを張ろうとして、
近くで農作業していたおばさんに聞きました。

「ここにテントとか張っても大丈夫ですかね?」

そのおばさんは怪訝な顔をしてわたしを見つめ、
「そんなもんダメだ!シッシッ!」
そう言って手で迷惑そうにわたしを追い払いました。
(静かに生活しているのによそ者が来て何かあったら大変だ)
うん、わかるような気がします。('_')

半分あきらめかけて集落を出ようとした時でした。
「にいちゃん!」
隣で畑仕事をしている別のおばちゃんから声がかかりました。
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※写真はイメージです。

「家に泊まるか?」
(^◇^) 何と嬉しい言葉でしょう。

そのおばちゃんの家に上がり込み、
傷を冷やしているとワイルドなご主人が帰宅しました。
黄色いヘルメットをかぶっていたので、
土木作業の仕事をしているに違いありません。

無口なご主人は、わたしがどこから来たのか、
何しているのかまったく興味のない様子でした。(*_*;
でも黙って映りの悪いテレビを見ながら
わたしにビールを注いでくれて、
ご飯とうどんもご馳走になりました。。(^^)/

静かな山里の集落。
まだ足は痛いですけどひっそりと眠りに就きました。

〔この日使ったお金〕 牛乳¥35 アイスクリーム¥30 合計¥65


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【最後の難所Ⅱ】

1970年9月1日(火)
ご主人が仕事に出かける音で目が覚めました。
考えてみれば今日は高校の始業式 |д゚)
足の腫れも引いたようなので今日は走れるところまで行きたいと思います。

しかしここは越後山脈の麓、
三国峠越えが最後の難関になりそうです。

お礼を言って出発。
いきなりの急坂も自転車から降りることなく、意地でペダルを漕ぎました。

涙が出るほど辛い上り坂の連続でしたが、
やっとのことで三国トンネルをくぐり、峠を越えました。
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気持ちいい~~~
下り坂は自転車の醍醐味です。
この気持ち良さを体感するために上り坂を頑張れるのです。
厳しい練習した後にそれが実践で活用されることと共通・・・
こじつけかな(*^^*)
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こうして愛車レッド号は赤谷湖から猿ヶ京、沼田に進み、
渋川を抜けて前橋まで来たところで陽が傾いてきました。

交差点で地図を見つめていたところ、
知らないお兄さんが「どこまで行くの?」と声をかけてきました。

日本一周しているなど事情を話して、
今夜泊まれそうなところを探していると言うと、
「うちでよければ泊まんなよ!」と優しい言葉。
一緒に家までついて行きました。
そんなに広くないアパートでした。

外に出て定食をご馳走になり、部屋に戻ると若い女性がいました。('_')
どうやら彼女と同棲している様子。
当然のことながら二人は自転車旅行のことを興味深く聞いてきました。

二人が寝るベッドにはカーテンがあり、締めていましたが、
疲れていたのでガソゴソという音は気にならず?(*_*;
しっかりと寝ました。(^_^)

いよいよ明日は自転車旅行最終日、ゴールです。
ギター弾けます、両親に会えます。!(^^)!

〔この日使ったお金〕
パン2個¥40 牛乳¥35 アイスクリーム¥30 合計¥105




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by ymweb | 2016-06-25 17:51 | じゃずぎたりすと物語

【事故!!!】

【事故!!!】

1970年8月30日(日)

「起きてメシ食うべや~!」
7時10分過ぎ、おじさんの声で目が覚めました。('_')

朝ごはんをいただき出発の準備を整えて、
家族の見送りの中、新潟県・佐々木を出発。
何とお弁当まで作っていてくれました。
お世話になった佐藤さんご家族に感謝です。(^_^)/~

新発田を過ぎてさらに進み、
阿賀野川の大きな橋を越えると新潟市に入りました。
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交通量の多い街なか
信号で停まるとお店のおじさんが「どこから来た?どこまで行くの?」
愛車レッド号には「日本一周一人旅」と書いてあるので、
しばしばこうした質問を受けます。(*_*)
さらっとかわして先に進みます。(笑)

その直後でした。
路地から車が急に出て来て衝突してしましました。Σ(゚Д゚)
事故です!!!

わたしは横倒れになり、
積んである荷物が道路に散乱しました。

見ていた周囲の人たちはざわつき、
運転手が車から降りて来て「大丈夫ですか!?」
わたしを起こしました。

しばし呆然としましたけど足を少し擦りむいた程度、
幸いにもぶつかった角度が良かったのか?
愛車レッド号はチェーンが外れただけで済みました。
何のつもりか、運転手はわたしに千円を手渡し、
「ごめんね」と言って去りました。
※その後の後遺症はありませんでした。
えっ?あるって?(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

それにしても日本一周の最終段階にきて初めて事故に遭うとは。"(-""-)"
でも千円手にしたことだし?気を取り直して再び出発!(*^^*)

国道8号線に入り新潟平野を南西に進みます。
道は狭くて交通量は相変わらず多いのですが、
平坦なので比較的に走りやすくて距離も稼げそう、
事故でロスした分を取り戻したいと思います。

三条を過ぎて中之島村で小休止。
商店に入ってパン一個とペプシコーラ(大)を注文、
作ってもらったお弁当にプラスしての昼ごはんです。
商店のおじさんはお茶を出してくれて気さくに話しかけてきました。

走っている時から足が痛いなと感じていましたが、
気が付けば事故で擦りむいた足から出血していました。(;_;
40分ほど休み、タオルで止血して再出発です。

※日記にははっきりと「中之島村」と記されていますが、
調べたところ「昭和31年に北魚沼郡塩沢町と合併して消滅」とあります。
これはどういうことでしょうか?
ひょっとしたら信号名だけ昔の地名で残っていたのかもしれません。
どなたかご存知の方は教えてください。

国道17号線に入りました。
賑やかで信号の多い長岡の街を過ぎてしばらくすると、
道の脇から冷たい空気が。('_')
「風穴」です。
興味が沸いて中に入ってみると、すぐに行き止まり。
それなのに、どこからとなく冷たい風が吹いてきてとても気持ち良かったです。(気持ち悪いかもw)
※この風穴も調べましたが、どこなのか謎のままです。
ご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。

小千谷を過ぎるころ日も傾き、そろそろ今宵の寝床探しです。

民家の庭にテントを張らせてもらうことを考えましたが、
テントの設営には手間と時間がかかります。
寺の本堂など、屋根のある場所を借りる方が合理的でした。
もちろん家に泊めていただければ最高なのですが、
それは甘え過ぎというものでしょう。( `ー´)ノ

川口町というところまで来ると、
近くに宝積寺(ほうしゃくじ)というお寺がありました。
※北魚沼郡川口町=現在は長岡市の飛び地のようです。

宿泊のお願いをするとOKしてくれましたが、
お客さんたちが来ているので帰るまで時間をつぶしていてくれとのこと。

思いがけず千円の大金を手にした?宮之上少年の目指すは
街のパチンコ屋です。('ω')
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最初は出玉が良く、そこで止めておけば良かったのですが、
結局100円をすることになりました。(*_*;

宿泊の許可をいただいたお寺に戻り、
手作り寝袋にくるまって本堂の横に寝ました。

〔この日使ったお金〕 ペプシコーラ(大)¥60 パン4個合計¥80
グリコ・ジャイアントアイス¥30 パチンコ¥100 合計¥270



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by ymweb | 2016-06-23 23:13 | じゃずぎたりすと物語