宮之上貴昭執筆による長期連載


by ymweb
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【感動ゴール!】

9年間かけて書いている「じゃずぎたりすと物語」
続編を執筆再開しています。

「じゃずぎたりすと物語」は、私がギターを始めるきっかけから
プロのジャズギタリストになるまでの出来事を、
おおよそ史実に基づいて書いています。
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このところ、人生においての大きな思い出となった
「自転車日本一周旅行記」の話が長くなっていますが (ーー;)
私にとって15歳~16歳にかけての自転車日本一周旅行は、
体力作りはもとより、
根性や気力といった精神態度の原点ともなっています。
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しかしこの自転車旅行記も今回で終了です。
※自転車旅行記はその時に書かれた日記や写真を参考に、
史実通りお伝えしています。
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※初めて読まれる方は是非第一話からお読みください。
http://ymweb.exblog.jp/


【感動ゴール!】

1970年9月2日(水)

部屋に泊めてくれたお兄さんが
わたしが起きたのに気づきました。

顔を洗いながらこちらを見て「おはよう!」 
その後にカーテンを開けて彼女が起きてきました。
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※写真はイメージです。

「おはよう、眠れた?」
ネグリジェ姿の女性が目の前に。Σ(゚Д゚)

16歳の宮之上少年、
目のやりどころに困りました。|д゚)
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※写真はイメージです。

二人とも仕事に出かけるようです。
わたしは二人が出かける前にお礼を言って出発しした。
今日が日本一周自転車旅行一人旅のラストランです。!(^^)!

前橋から本庄、いよいよお隣の埼玉県に入りました。
熊谷から東松山、川越から狭山湖、
そして多摩湖で県境を越えて東京都に入りました。
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帰って来たぞ~~ (^_^)/~

これまでは走ると必ず山や海に出会いましたが、
走っても走ってもずっと街なか、東京なのです。

辺りが薄暗くなるころ立川から日野橋を越えて、
わたしの住む日野市に入りました。
いよいよゴール間近です。

甲州街道を左折して家の前をちらっと見たけど通り過ぎ、
そのままゆっくり豊田駅の小さなロータリーを一周してから家に帰ります。

これは南日本を一周したゴールの時と同じです。
自分なりの「凱旋帰郷」なのです。(-ω-)/

どうしたのでしょう、
わたしの目から大粒の涙が溢れ出しています。( ノД`)

家に着きました。

南日本と北日本を100日間共に周り、
思い出も共有した愛車レッド号をしばし見つめ、
丁寧に駐輪させました。
見ればサドルはボロボロになりスタンドも折れています。
家のチャイムを押しました。


「ただいま~」



〔この日使ったお金〕 パン4個¥80 牛乳¥30 アイスクリーム¥30 
合計¥140



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【自転車旅行記を振り返って】

高校の夏休みを使った100日に及ぶ自転車旅行でした。
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美しい景色、人情、
恋もありましたしアクシデントもたくさんありました。
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お寺や神社にもたくさんお世話になりました。
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目標に向かっての達成感は半端でなく嬉しかったです。
そして強健な体力作りの源となったに違いありませんし、
根性も少しは鍛えられたかもしれません。
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反面、バイクや車で旅をしている人たちに対して、
「ふん、俺は自力の自転車だぞ!」みたいなエゴとか、
変なプライド観を養ってしまったかもしれません。
ジャズギターで例えるなら
「俺は親指一本で弾いているんだぞ」みたいな。
こういう考え方はけっして褒められたものではありませんね。
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出会う人の優しさにたくさん触れました。
しかし、それが当然のものと考えてはいけません。
最後の方は、はっきり言って甘えすぎでしたね。(-ω-)/
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タバコも吸ったしパチンコもしました。
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自転車旅行にお金はどれほど持って行ったか分かりますか?

南日本、北日本を一周するのに
それぞれ1万5千円ほどでした。

これは自分の小遣いをコツコツ貯めたもので、
親の援助は受けませんでした。
考えてみれば親も親ですね、
旅に出るのにいくら持って行くのか尋ねませんでした。"(-""-)"
しかも使い切らずにケチ作戦したのには理由がありました。
家に戻ったらジャズのレコードを買いたかったのです。
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自転車旅行の経験は良きにせよ悪しきにせよ、
現在におけるわたしの性格や行動、
音楽に反映されているに違いありません。

自転車旅行記に多くの時間を費やしましたけど、
これまで熱心に、そして楽しみに読んでくださった方々に
お礼を申し上げます。

しかし【じゃずぎたりすと物語】 まだまだ終わりません、
というか、これからが本題です。(^^♪
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また書いていきます。
引き続きお楽しみください。

宮之上貴昭



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by ymweb | 2016-06-27 18:30

あっ! ギター!

1970年8月23日(日)
【あっ! ギター!】

白老の朝。
起きて出発の準備に取り掛かりました。
帰ってからお礼状を書くためにこのお寺の住所を聞いて出発。

北海道の滞在も少なくなってきたので、のんびり走りました。
今日の目的地は登別温泉あたりで、比較的近いのです。

途中お腹が空いて、豆パン1個買って食べましたがぜんぜん足りません。

小1時間走ったところでもう登別駅に着いてしまいました。
ここから登別温泉まではすぐだろうと、たかをくくっていましたが、
それがとんでもない上り坂の砂利道でした。('_')

自転車を降りて押しながら坂道を登っていると、
そこへ1台のバイクが近づいてきました。

「引っ張って行ってあげようか、ロープで!」
こうしてバイクに引っ張られて坂道を登って行くとすぐに転倒。
気を取り直して再びトライするもまたまた転倒して、
膝を擦りむいてしまいました。
気持ちに感謝してお別れしました( `ー´)ノ

ようやく登別温泉・地獄谷に到着しました。
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ほとんど知られていなそうな、
倶多楽湖(くったらこ)という湖を訪ねてみることにしました。
透明度の高いとても綺麗な湖です。
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湖畔には「倶多楽湖ユースホステル」と、裏手にはキャンプ場もあって、
少し早いけど、今夜はこのキャンプ場に泊まろうかと思います。

しかしです、ふとユースホステルの窓を見ると、
何とギターが見えるではありませんか!!
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ギターが弾きたいがために?早速行って空き部屋を確認して
こちらに泊まることにしました。(^^♪

しかしこのユースホステルは風呂の設備がなくシャワーのみ、
食事もお粗末で、ミーティングと呼ばれる
ユースホステル独自のイベントもありません。
ペアレントと呼ばれるオーナーはあまりやる気がないように感じました。
※日記に書いてあるその時の個人的な意見です。

しかし宿泊者で外でキャンプファイアーをしている人たちがいて、
その人たちが自発的に「夕べの集い」を行い、わたしもそれに参加しました。

一人ずつ自己紹介している間もわたしはずっとギターの演奏に耽り、
自分の番が回ってくるのも忘れていました。

「へ~~ 上手ですねギター! 何を弾かれているのですか?」
「ありがとうございます、ジャズです。」

パチパチパチパチ

「真っ黒に焼けていますけどどちらからいらしたんですか?」
「自転車で東京から来ています」

パチパチパチパチ

「今日で何日目ですか?」
「え~と。。。1ヶ月と1日です」

パチパチパチパチ

質問に答えるたびに周囲から拍手が起こりました(笑)
宿は期待に反しましたけど、素晴らしい出会いに感謝です。
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※この写真はイメージです。

ほんとうはもっとギターを触っていたかったのですが、
9時半ごろ床に就きました。
布団の中に入っても足はまだビートを刻んでいて、
なかなか寝付けませんでした。('_')

さて明日はいよいよ北海道とお別れして本州に戻ります。
この自転車旅行も終盤に入りました。

※情報によると倶多楽湖ユースホステル(白老郡白老町字虎杖浜)は、
解約後も『倶多楽湖キャンプ場』敷地内のロッジとして営業を継続していましたが、
1999年に廃業し、閉鎖された模様です。

〔この日使ったお金〕 豆パン1個¥60 / ファンタ¥30 / ナイスクラッカー¥50
ユースホステル代¥600 合計¥740


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by ymweb | 2016-05-23 16:25
〈じゃずぎたりすと物語 49 君は何を長万部!〉
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目覚ましはどういうわけか鳴らなかったけど、
習慣から6時半に起床。
昨日の睡眠不足をすっかり解消しました。

朝ごはんを一番乗りで食べに行った。
少し予算オーバーな宿泊場所だったので、
元をとろうと?ご飯三膳と味噌汁二杯を胃袋に収めて、
宿泊料の900円をあまり感じの良くないおばちゃんに払って、
支度を整えて、そそくさと出発。

今日は残念ながら特異な形をした山頂は雲に隠れていましたが、
駒ケ岳の雄大な裾野を右に見て、国道5号を北上。
駅弁の「いか飯」ですっかり有名になった森町を過ぎると、
右手には海が広がりました。
対面の室蘭まで大きく弧を描いている内浦湾(噴火湾)です。
海を眺めながらしばらく走ると、何と何と砂利道になりました。
1級国道の5号線ですよ! 砂利??
砂利道は走りにくくて厄介なのですが、そんなことより、
5号線に砂利道があることに衝撃を覚えました。

蛯谷(えびたに)という所まで進んで昼食。
スペシャルサンドという名前のついた普通のパンを買って、
海を見ながら休憩しました。

この辺りはひなびた漁村で、交通量はけっこうあるのだけれど、
うら寂しい景色だ。

道も良くなって快適に八雲まで進んでくると、
そちらこちらにサイロのある家が多く見られます。
私は北海道の新鮮な牛乳というのを飲んでみたくて、
サイロのある家に飛び込んでみました。

ノックして出てきたのは中年の奥さんで、
突然の訪問者にも快く対応してくださり、
冷蔵庫から牛乳を持ってきてくれてご馳走してくれました。

コップの上に脂肪が浮いています。
濃い。 でも少し焦げ臭いな。。。
当然口には出さないものの、率直な感想でした。

乳を搾った後はそのまま飲むことはせず、
殺菌のため軽く沸かしてから飲むそうです。
今朝は少し沸かし過ぎたらしいということで納得。

実は気になっていた質問にも答えてくれました。
牧場の家の屋根が何故「八」の字の形をしているのか、
それは牛の餌となる牧草を蓄えておくスペースのためだそうです。
なるほど、それで屋根の部分が上に膨らんでいるのです。

目論見どおり?牛乳もご馳走になり、
ついでに元気もいただいて再び出発。

ペダルを踏み込む足も力強さが増しました。
と思ったのも束の間、
後ろを振り返るとサイクリストがピタッと着いて来ています。
私を追い越すわけでもなく、挨拶をしてくるわけでもありません。
「ヒョーッヒョ~ ヒョッヒョ~ 」
そんな奇声を発しながらペダルを漕いでいます。
パーカーで顔の上半分をすっぽり覆っているので人相がつかめません。
何なんだこいつ。。。
とても不気味でした。

国縫(くんぬい)というところまで来ると、
ひょっとすると昼食を取るためか、彼の姿は見えませんでした。

私も疲れたので商店に入って休憩を取ることにしました。
「すいません~~」
出てきたのは私と同い年くらいの女性でした。

か、可愛い。。。

ちょっと緊張してしまい、いつもより低音の声になって
「あの。。ファンタとアイスクリームください」

ジャズとギターのことしか頭にない16歳の宮之上少年。
東京に帰っても、もちろん「彼女」なんているはずもありあません。
でも、こうしてあちこちでほのかな情愛を抱くことによって、
恋愛面でも確実に大人に成長しているのかもしれません。
なんちゃって。

右手に海、左手には牧場が広がっていて、
イメージした通りの北海道らしい景色が続いていますが、
「太平洋牧場」という牧場はその広大さがとりわけ印象的でした。

長万部(おしゃまんべ)の街に着いたのは午後2時。
遅めの昼食に「大盛りそば」を食べて、
もう少し先に進むかこの街に宿泊するか迷っていました。
少し中途半端な時間なのです。

小用がしたくなり、トイレを探しているうちに、
普通の民家のようなお寺に行き着きました。
トイレを借りるついでに今夜の宿泊も頼んでみたら、
「どうぞ」と快くOKの返事。

本堂の脇の部屋に上がって荷物を降ろしていると、
お寺の住職が宿泊名簿を持ってきました。

夏休みに時期には、全国から旅行者が来て、
私のように無料で泊めてくれという人も多いようだ。

実のところ今宵の宿泊者は私一人ではなく、
昨夜から泊まっているという青年の旅人がもう一人いました。
新潟から650ccのバイクで旅行しているそうです。
少し吃音の気があるようですが、
一生懸命聞けば彼の話したいことが分かります。
あなたは何を「おしゃまんべ?」 あっ、失礼。
とても真面目ないい人でした。

長万部の名物はもちろん「毛がに」
駅を挟んだ国道沿いには
「毛がに」と書かれたのぼりを立てた店が林立しています。

私も覗いて見ることにしました。

大きさによって50円から500円まで様々の値段が付いています。
80円の蟹を買い込んで宿に戻り、早速食べました。

身の味が濃厚で、こんなに小さいのに卵(内子)も入っていて、
思ったよりずっと食べがいがあります
こうして隅から隅までほじくって80円の毛がにを堪能しました。
しばし部屋でのんびりして明日からの計画を練り、
夕食には「ときわ食堂」という店に入って
「鍋焼きうどん」を注文しました。
店が臭くって、長く待たせた上にまずかった。

【遣ったお金】 宿泊料¥900 パン2つ¥40 ファンタ¥30 
アイスクリーム2個¥20 牛乳¥27 大盛りそば¥120 毛がに¥80
鍋焼きうどん¥130 合計¥1347
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by ymweb | 2010-01-26 22:49
じゃずぎたりすと物語 43 「あ~あ 松島や」
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目が覚めるといい匂いが立ちこめていました。
予算の関係上、この民宿には朝食を頼んでいませんでした。

荷物をまとめて玄関に向かうと、宿のおばさんが 
「よかったら朝ごはん食べてください」
すっかりご馳走になった上に、お弁当のおにぎりまで作ってくれました。
さらにさらに、宿泊料金は800円のはずでしたが500円でいいとのこと。
私は素晴らしい海の景色に加えて人情の厚さで、
この松川浦がすっかり気に入ってしまいました。
しかし自転車旅行に長居は出来ません。
智子さんという娘さんに私のカメラで記念の写真を撮ってもらい、
しばらくここに滞在したいという気持ちを抑えて6時45分に出発。

※その後数十年を経て、北村英治クインテットのコンサートで相馬市文化会館を訪れた際、
その民宿を探し当てて挨拶に行きました。
民宿だった家に着き、チャイムを鳴らして出てきたのは、すっかり年老いたお母さんでした。
「そんなこともあったかもしれない。。。」と記憶も虚ろでしたが、
「その節は大変お世話になりました」とお礼を述べることが出来て、
わたしの気持ちは少し晴れやかになりました。
残念なことに松川浦は大きな貿易港が建設されていて、当時と形相を異にしていました。
夢にまで見た あののどかな松川浦の景色はもうありませんでした。


さて今日も良い天気。
炎天下の国道6号をひたすら北上し、いよいよ宮城県に入りました。
亘理町の2キロほど手前に「氷」の看板を発見。
その小さな店に入ると、なんと氷いちごが20円と書かれてあります。
早速注文すると、おじいさんが重い氷をセットして、必死に手で回して削っています。
なんだか可哀そうに思えてしまいました。

亘理町に入ると、街中魚くさい臭いで充満していました。
魚介類を加工する臭いなのでしょうか。。。
海の匂いのような清清しい匂いではなく、吐き気をもよおす臭さです。

仙台市街を避けて、名取から国道45号線に出る海岸沿いの道は、
平坦でしたが陽を遮る並木などがないため、かなりしんどかった。
途中、やっと見つけた商店でパンを1個を食べてコーラを飲みました。

また辺りに魚くさい臭いが充満してくると塩釜の街に到着です。
地図を見ようとして国道から路地に入ると、うまい具合に小さな食堂がありました。
食事そのものは注文せずに、かき氷のレモンとコーラを注文して、
民宿で持たせてくれたシャケとおにぎりと食べました。

おなかも一杯になったところで、
楽しみにしていた日本三景の一つ、「松島」に向かいます。

眠い目を擦りながらようやく到着した松島。

ゲゲッ!!!

土曜日ということもあってか、混雑していて駐車場も満車。
観光バスから団体で観光客が降りて来ます。
観光船の発着する港には大小さまざまなゴミが浮かんでいます。
実際にタバコの吸殻を平気で海に捨てている人もいました。
土産物屋はこぞって客引きの甲高い声を上げています。
自然の美しさも、人間の心の汚さには勝てなかった、と感じました。

そんな中、ある男性が近づいてきました。
「へえ、日本一周か。。。」

3年前に大学を卒業したそうで、以前に北海道を自転車で一周した経験があるそうです。
「氷でも食べる?」と言って店に入り、かき氷をご馳走してくれましたが、
観光地ということなのか、値段の割りに量が少なくて、少ししらけました。
「もう一杯どお?」と言ってくれましたが、「いや、いいです」と断ると、
あっさり「あっ、そう。」と言っておしまいでした。
彼を引き立てようと 「名前を教えていただけますか?」と言うと、
「旅の記念として心にとっておくだけでいいよ、じゃね!」とカッコつけて去って行きました。

うわっ、かき氷で。。。

想像していた「松島」とはえらくイメージが違ってくらくらしたのか、
炎天下を走ったためにくらくらしたのかは定かではありませんが、
気分がすぐれないので、どこか近くに宿を取ろうと決めました。

松島ユースホステル
松島の半島、大高森という場所に向かいました。

「予約していないんですか!?」

そんなもの長距離の自転車旅行では不可能です。
もし予約したとしても、体調を崩した、台風が来た、自転車が壊れた、
こんな状況が起きたら全てキャンセルしなければなりませんし、
実際のところ明日が、今日がどうなるかも定かではないのがこの旅行です。

話は変わりますが。。。
駐車場や役所にお勤めの方にありがちな場合ですが、
広い駐車場で、他に車が停まっていないから、
どの方向から停めたとしてもいいと思うのだけど、
「こらこら、こっちから回って!」と、自分の法律を作っちゃうおじさんがいます。
以前、ハワイのアロハタワーでエレベーターのボタンを押して屋上に出ようとしたところ、
「No!! It’s my job! Don’t touch!」 と急に出てきたおじさんに言われて驚いたこともあります。

そう、彼らは自分の仕事に自信を持っていて、独自の法律を作って、
それを人にも守らせようと必死です。

話は戻ります。
ユースホステルの受付女性は「今度から予約しなきゃダメ!」とぬかします。
16歳の宮之上少年は意気盛んな年ごろ。
「だから、それが出来ないのでこうしてここに来ているんです」

聞きたいのは、今夜泊まれるか否か、なわけです。
それを回りくどく、恩着せがましく「では泊めてあげましょう」的な発言に切れそうになりました。
陽も暮れてきましたし、他のスタッフは優しそうでしたから、
仕方なくこのユースホステルに泊まってあげることにしました。

ユースホステルの食事に豪勢な海の幸は期待しないものの、
昨夜の民宿の豪華な食事の後だけに、夕食はお粗末なものに感じました。
「ミーティング」と呼ばれるユースホステル独自の交友会もつまらないものでした。

※39年前の自転車旅行日記を忠実に再現したため、
このユースホステルが現在もあるとすれば、
当時の実情とは大きく異なっているに違いありません。

ギターが弾きたい気持ちは募るばかりでしたが、
今回の旅行では触るチャンスもまだありません。

夜10時に寝ました。
                                      つづく

【使ったお金】
松川浦民宿宿泊料 ¥500
氷いちご ¥20
氷レモン ¥30
コーラ2本 ¥70
パン ¥20
サイダー ¥30
アイス ¥10
ユースホステル 宿泊料 ¥480
合計 ¥1160
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by ymweb | 2009-03-25 15:58
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じゃずぎたりすと物語 42

自転車旅行3日目 〈松川浦の美〉
目覚まし通り6時に起きた。
旅館のご主人は 宿泊料金は700円と言っていたのに、
なんと500円にまけてくれた上、奥さんがお弁当まで包んでくれた。

「湯本」の5キロほど走ったところに 飲み物などを売っている 
売店兼食堂のような小さな店があった。
サイダーを1本買って、いただいたお弁当を広げました。
醤油の焼きおにぎりと酢漬け生姜、きゅうりの漬物とゆで卵も入っていました。
ゆで卵は5つも入っていたので、3つ食べて残りはお店のおばあさんにあげたら、
おばあさんはお茶を入れてくれて、おしんこをくれました。
とても嬉しく思いました。
さらに「とうもろこしも食べるかい?」と訊いてきましたが、
さすがにそこまでは甘えずに遠慮しました。

「平」を過ぎると車の量もすいぶん減ってきて、その点では良かったのですが、
国道6号は海沿いを走るわりには登り下りが激しくてとても疲れました。

「富岡」という町で信号待ちをしていたところ、食堂の2階から身を乗り出したおっさんが
「日本一周か??  休んで行け!」
そのおっさんは漫画に出てきそうな風体で、目がまん丸で毛むくじゃら。
熊が「へ」ーしたような雰囲気でした。

(呼び止めたのだからただで飲ませてもらえるかな??)
そう期待した私はその食堂に入りコーラを注文しました。

60円もとりやがって!!
夢ははかなく消えてゆきました。

しょぼんと肩を落として店を出るときに 熊のへーのおっさんが 
「しっかり行け!!」
ふざけんな。。。

自転車旅行はカロリーをかなり消費するので、
コーラのような甘い飲み物を体が要求するようです。
少し進んだ「大熊」というところで商店に入ってコーラの飲み直しをしました。
「熊」がからんでいるので少し心配でしたが、今回は35円。
なんだかほっとしました。

昨夜泊まった旅館のご主人はとても優しくていい人でしたが、
距離とかかる時間を把握していないというか、その点では大雑把な人だったようで、
目的地の相馬までは3時間で行けると言っていましたが、とんでもありません。
街から次の街まで遠いのなんの、体はバテバテです。
やはり自分の計算した距離や時間が正解で、かなりハードな行程でした。

原町の手前10キロほどのところに差し掛かったのは午後1時30分。
おなかが減ったっけどなかなか食堂が見つからず、
さらにしばらく走ってようやくパン屋を発見。
遅い昼食にありつくことが出来ました。

自転車旅行では「飯ごう炊さん」も考えましたが、かなりの荷物の増大に加えて、
食事の準備に要する時間を考慮に入れる必要がありました。
そのような訳で食事はすべて外食なのです。

ところで、私のように日本一周している人はいないとしても、
夏休みには大勢の人がサイクリングをしているようです。

南日本に行った時にも多くのサイクリストとすれ違い、
あるいは同じ方向に向かっていて、追い越したり、されたりします。
そんな中でもちろん気軽に声をかけて親しくなる場合もあります。
原町付近で知り合った大学生風の二人も同じ方向に向かうサイクリストでした。
私のこれまでの経験を彼らに伝えて、泊まれそうな寺を一緒に見つけようと提案しました。
相馬は「馬追い」で有名なのは、集めている切手によって知識として知っていました。
しかし入った2軒の寺に宿泊を断られ、意気をくじかれた彼ら二人は
「先に進む」と言って別れることになりました。
私は宿泊場所として、相馬の市街から東に進んで海に出た
県立公園に指定されている「松川浦」というところが気になりました。
さっそく行ってみることにしました。

松林に囲まれた、見るからに遠浅の海は浜になっていて、
並んでいる屋台では、ハマグリやホッキ貝を網焼きしています。
帆船など浮かんでいたらさぞかし風情が増し加わるに違いないな。
そんな穏やかでのどかなこの場所に泊まりたいと思いました。

海を眺めながらそんなことを考えていたら、
目の前の民宿から素敵なお嬢さんが出てきて門の外を掃除していました。
(ここっきゃないな。。。)
民宿は私にとって少し贅沢ですが、今夜の宿はここに決めました。
宿泊料金は800円にオマケしてくれるそうだ。

夕食の準備が整うまで、ご主人が船で松川浦の湾を一周してくれるそうだ。
私のほかにもう一人の女性泊り客を船に乗せて、
松川浦や灯台の歴史などを詳しく説明してくれました。
夕日が美しい。。。
カメラを部屋に置き忘れたのが悔やまれます。
すっかり松川浦を堪能して民宿に戻ると、良い匂いが立ちこめています。
ひゃ~~豪勢!!
お刺身の盛り合わせや蟹や海老。
本当に美味しく、おなか一杯になるまでご馳走になりました。
民宿は素晴らしい!

テレビで放送している「ザ・ガードマン」を見て、満足度100で寝ました。

【使ったお金】
植田の旅館の宿泊料¥500
サイダー ¥30
オレンジジュース ¥25
トマトジュース¥50
サイダー ¥30
アイス ¥10
パン2個 ¥40
コーラ ¥60
コーラ ¥35
アイス ¥20
合計 ¥800
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by ymweb | 2009-03-24 03:56
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結成したギタートリオで練習を重ねると同時に、
例のジャズ雑誌に、ピアノやサックスなど、
さらにメンバー募集の手紙も出していたところ、

後にそれが掲載されました。
この募集記事を見て、他の楽器が私のバンドに参加してくれれば、
きっとゴージャスなサウンドになるに違いありません。
期待が高まります。


ところで自分のトリオのバンド練習では、もっぱらウェスの曲のまるコピーと、
オリジナルやスタンダードを中心に演奏しました。
もちろん自転車旅行の初恋の人に捧げた「To South」も。※25話をご覧ください

ベースの斎藤君のためにベースラインを考えて教えながら進行してゆくので、
練習はとてもゆっくりペースで進んでいきました。
とはいえ、気心知れたこの仲間と一緒に練習するのはとても楽しく、
バンドという媒体を通してジャズがさらに魅力的なものになっていきました。

週に2回、団地の集会所を借りて練習しましたが、
ドラムが入って練習することは、音量の点で問題もありました。
盛り上がって夜遅くまで練習していると、
「音がうるさい」と近所のオヤジが文句を言いに来ます。
「すいません」とその場は謝るものの、オヤジが帰った頃を見計らって、
音量を落としてまた再開します。

とりわけ練習に余念がないのは、実はある目的もあったのです。
それはこの集会場にお客さんを呼んでミニコンサートを開くことでした。
その中には中学校の時から思いを寄せていた女の子にも声をかけていたのです。

「初恋」だと言って、自転車旅行の時に出会った女性のことを書きましたが、

考えてみれば私の初恋はずっと前、そう、世田谷の「さくら幼稚園」時代に
手をつないで一緒に通った「奥田みどり」ちゃんだったかもしれず、
小学校の時に一緒に校庭で鉄棒した「北田早苗」ちゃん、
あるいは中学校の時から思いを寄せている、
今回呼んだ彼女「敦部亜子」さんかもしれません。
※ 名前は変えてあります。

そう、私の場合「初」がたくさんあるのです。

話は戻ります。
このミニコンサートのために、臨時でキーボードに参加してもらうことにしました。
林田君は私と仲良しでピアノの名手。
良家のお坊ちゃまで、一流大学進学を目指していつも勉強していました。
私が彼の家に遊びに行くと、お母さんは決まってジュースやお菓子を出してくれましたが、
その表情の奥には(早く帰ってね)という気持ちも見え隠れしていました。
本当は彼に私のバンドに入ってほしかったのですが、
そのような訳で今回は臨時参加となったのです。


コンサート当日は小雨のしとしと降る寒い日となりました。
来てくれたお客さんは3名ほどで、
残念ながら4人編成のこのバンドより少ない人数でしたが、
その中には亜子さんの姿もありました。

レパートリーが少ないのですが、ウェスのナンバーから〈Missile Blues〉や
〈The Way You Look Tonight〉〈For All We Know〉、
オリジナルの〈To South〉など、6~7曲ほど。
照れ臭いので、メンバーや曲の紹介もしないまま演奏しました。

演奏がすべて終了すると、彼女が私に近づいて、
「2曲目に演奏した曲が良かった」と言ってくれました。
それはオリジナルの〈To South〉でした。
「この曲は自転車旅行の時に恋した女性に捧げて・・・」などと言えるはずもなく、
ここは微妙な笑顔を取り繕って「ありがとう」と言いました。

数日後のこと。
「よしあき 電話よ!」と母が。

「はじめまして。わたし田中と申しますが、
雑誌で拝見した『メンバー募集』の件で電話させていただきました。」

この1本の電話が後にさまざまな思い出をつくることになるとは。。。

                             つづく

写真:宮之上貴昭トリオ
左から斎藤康彦(b) 宮之上貴昭(g) 久島勝則(ds)
「高校生のくせに煙草なんか吸ってんぢゃねーよ!」の図 
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by ymweb | 2008-10-29 12:58
35 〈ただいま!!〉

朝7時半起床。
この旅でお寺に宿泊することもすっかり慣れっこになりました。
本堂に隣接した住職の家の奥さんにお礼を言って荷物をまとめて出発。

寺の脇道を30mほど下るとすぐに甲州街道に出ました。
この道をひたすら東に走れば我が家に到着なのだ。
とはいえ岡谷から日野までの距離を計算するならば、およそ180km、
この旅で最も長い走行距離にあたるかもしれない。
しかも全てが山道なので、相当きつい行程を覚悟しなければなりません。
でも自転車旅行南日本編は今日で終わって、
お父さんやお母さんの待つ我が家に帰れることを思うと元気が湧き、
ペダルを踏む足にもひときわ力が入りました。

坂をずっと下って程なくすると、右手に諏訪湖の雄大な景色が広がりました。
ここは湖ですから地形的にも低く、盆地のようになっている訳です。
素敵な湖の景色の後に必ずやって来るのは上り坂です。

エンヤコラ エンヤコラ・・・・
私の頭にあるのは周りの景色や坂道のことより、
あと後数時間頑張りさえすれば帰り着く我が家のことでした。

相変わらず上ったり下ったりの坂道の連続でしたが、
ここまでは思ったよりスムーズに進むことが出来ました。

左に八ケ岳連峰、右手には南アルプスの駒ケ岳を望み、
愛車レッド号は小淵沢を過ぎて甲府市街に入ってきました。

道路の両脇には「ぶどう狩り」の看板が軒並み並んでいます。
さすがに季節にはまだ早いものの、実が一房ずつ丁寧に新聞紙に包まれていました。

ちょうど喉もカラカラになった頃、「葡萄ジュース」の看板が目を引きました。
早速そこに寄って1杯注文しました。

値段が書いてなかったので少し心配でしたが、案の定、1杯200円も取られました。
値段は高いし量も少ないのですが、その美味しさと言ったら半端ではありませんでした。

ここで少し充電してまた出発。

厳しい上り坂も頑張って進むと、聞き覚えのあるトンネルに差し掛かりました。
有料の「笹子トンネル」です。
※当時一般国道のトンネルとしては日本でも有数の長いトンネルとして有名でした。

トンネルに突入する前から嫌な予感がしました。
甲州街道は道幅が広くなく、この道幅のままトンネルへと続いているし、
自転車専用レーンなどもちろんあるはずはありません。
加えて交通量は多く、大型トラックが後ろからばんばんやって来ます。

道路の端の方に寄っていざトンネルに突入。

有料なのに中は思ったよりずっと暗くて狭い。

危ない!!!
先がよく見えない暗闇だし、上り坂のためにフラフラしていると、
今にも後ろから来たトラックに接触しそうになります。

いつまで続くんだ~~このトンネルは。。。。
排気ガスの臭いで気持ち悪くなり、頭がくらくらしてきました。
もう最悪です。

ようやく下り坂になって前方に出口らしいかすかな光が見えてきました。
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【新笹子トンネル】 
昭和33年完成。延長2,953㍍、幅員7㍍。
当時は関門トンネルに次ぐ日本第2位の道路トンネルであった。
///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

トンネルを出ると、横の草むらにドテッっと倒れこんだ。
うぁ。。。 きついな。。。

しかし道路標識には聞き覚えのある地名、「大月15Km」と書いてあります。
また気を取り直して出発。

相変わらず上り下りの山道を進んでいると、
「日本三奇橋 猿橋」という看板が目に入りました。
国道から外れるわけではないので休憩を兼ねて立ち寄ることにしました。

四国の「かずら橋」、岩国の「錦帯橋」と並んで、この猿橋が奇橋と言われる由縁は、
一本の釘も使わずに川の両岸からそれぞれ「南京玉簾」重ねたように設計されているからだそうだ。
しばし先人の素晴らしい知恵に思いを馳せました。

ここまで来れば通話料金もそれほど高くないはずだ。。。
近くの茶店から家に電話しました。
「今ね~山梨で、甲州街道の猿橋というところまで来たんだ!」
興奮と嬉しさ、通料料金、そんな気持ちがすべて併さって、
ものすごく早口だったに違いありません。

電話に出たお母さんは私とは対照的にゆったりと、
「お父さんは貴昭が今日帰ってくるから、休みとって待ってるんだよ。
ちょっと待ってね代わるから」

代わった父は
「おお貴昭か、今どこだ?ん? 猿橋か。じゃあまだまだだな、大垂水峠もあるしな。」
日常の無口な父とは違い、とても早口でした。


久しぶりに両親の声も聴けてウルウル。
今夜はご馳走が待っているに違いありません。
ではのんびりしている訳にはいきません、また出発です。

小・中学校の頃、父の運転するバイクの後ろに乗って
「鮎釣り」のお供で来た記憶がある梁川を通過。
さらには上野原も過ぎて相模湖に到着。

駅で言えば我が家までは、相模湖の次は高尾、
そして西八王子、八王子、そして家のある豊田、そう、たった4つだ。
しかしこの単純な考えは「魔の峠・大垂水」の前に程なくして崩れ去ります。

相模湖を過ぎて間もなく、とても漕いでは登ることの出来ない急坂の連続が続きます。
標高からいえば断然昨日の北アルプス超えが勝っているはずですが、
すでに岡谷を出発して相当な距離を走ってきた後のこの予期していない急坂の峠は
拷問に等しいものがあります。

アルプス越えの時は、あのカーブを曲がったら峠かな?という期待を持つことが出来ましたが、
この大垂水峠はそれがありません。
というのは、ずっと一つの山肌の斜面をくねくねと登っていくので先が見えるのです。
遠く、そう、今かなり遠くに見えている山の上のダンプカーの所まではくねくねと登らないといけません。
(まずはあそこまで登るんだ。。。)
何キロあるんだろう。。。 気が遠くなります。
ここまで来て、父が「大垂水峠もあるしな」という意味がようやく解りました。

高尾~相模湖間に鉄道を通した人を尊敬します。

ずっと自転車を降りて押しっぱなしで、へとへとにくたびれて見上げると
「峠の茶屋」と書かれたドライブインがあります。
いよいよここが峠なのでしょうか?

道はいくらかなだらかになり、その先には道路標識らしきものが。。。。。。

「東京都 八王子市」  

やった~~~!!
ついに東京まで帰ってきました!

さてここからは自転車の本領発揮!
今までこの峠で漕いだ分を取り戻すかのような爽快なダウンヒル・・・

と思ったのもつかの間、たった5分ほどで下り坂は終了。
そう、この大垂水峠は地形的に東京側からは一気に下り、
相模湖側からは登るだけの、ある意味でまさに「悪魔の峠」でした。

とはいえ、その後高尾から先、交通量は急に増したものの順調で、
レッド号は八王子を過ぎて、家のある日野市豊田へと帰って来ました。

でも私はそのまま家に直行することをやめました。
自転車旅行の締めくくりをもう少し、そう、もう少しだけ味わうことにしました。
家のある団地の前をゆっくり通り過ぎて豊田駅まで行き、
ロータリーを一周してから家に向かいました。

「やった~~~~!!!!!!」
声に出して自分で自分を褒めてあげました。

スタンドが取れているレッド号を階段の下の壁に寄りかからせて停めた時、
今までの自転車旅行の全てが走馬灯のように頭をよぎりました。


「ただいま!!!」    

                           つづく
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by ymweb | 2008-06-21 04:13
34 〈恐怖の「んほほ」おじさん〉

青い小型トラックは私を通り越したところで急停止しました。
そしてまたキキーッと勢いよくUターンして反対車線の私のすぐ横に車をつけました。

「よしあき君か?? そうじゃな!?んほほ。」

何だ何だ??
知らないおじさんが運転席の窓から私に声をかけました。

「弘子の義理の兄じゃよ。ほほ。」
「連絡があっての、迎えに来たんじゃ。んほほ。」

どうやら体調不良を心配した弘子おばちゃんが迎えをよこしたらしい。

「ほれ、自転車を荷台に積みなさい!」

昨日の夜はえらい目にあったのでほとんど睡眠が取れず、
体調も最悪だったので、これはまさに地獄に仏。
言われたとおりに愛車レッド号を荷台にくくり付けて、私は助手席に座りました。

「はじめまして!よろしくお願いします。」
そう挨拶すると、おじさんは「んじゃ行くか、んほほ。」と言って走り出しました。

車の中でいくらか寝れて休めると思った期待はすぐに消し飛ばされました。

「よしあき君は ほほほ、旅に出てどのくらいになるのか?んほほ。」
キーーーーーーーーーッッ!!
「あんたのお父さんはよく知っておるんじゃがな。んほほ。」
キーーーーーーーーーッッ!!

スピードメーターは直線で90キロを越えています。
ひぇ~~ 助けてくれ~~ 恐~~~い!!!!

この地域では「全てのカーブでローリングしてタイヤを鳴らさなければならない」
こんな法規でもあるのだろうか。

(降ろしてくれ~~~~~~)

途中、父の生まれた神岡の街を通ったはずだけど、
感慨に浸るそんな余裕など全く無いまま、車は飛騨古川から国府を経て
あっという間に高山の街に入って来ました。

おじさんの運転もおとなしくなりました。
おじさんはどうやら山道で燃えるタイプのようです。

荷台を覗くと、真ん中にくくりつけていた愛車レッド号は左端に大きく移動していました。

「ほほほ、着いたぞ。んほほ。」
弘子おばさんの家は高山市の街中から少し外れたところにありました。

トラックのエンジン音を聞いて家からおばちゃんが出てきました。
「貴昭!! まあまあよく来たね。」
長く一人旅しているので、久しぶりに見る「知っている人の顔」でした。

おじさんは荷台からレッド号を降ろしてくれています。

「寝ていないんじゃろ? 顔色が悪いよ。」
今の顔色の悪さはひょっとしたらおじさんの運転のせいかもしれません。

「義兄さんありがとう」
おじさんは寄らずにこのまま帰るみたいです。

「中へ入って休みなさい。布団も敷いてあるよ」

「あれっ?通宏と康宏は?」
2つ3つ年下の仲の良いいとこの姿が見えません。

「二人とも用事で出かけとるで、夕方には帰るでな。」

「自転車旅行のこともいろいろ聞きたいんやけど、今は休んだらええ。後でゆっくり聞くわ」

「そうそう義兄さんの運転恐かったやろ??」
「元レーサーやったんよ。」

うひゃ~~ どおりで。。。。

布団に入ると間もなく爆睡モードに突入。

いい匂いと、聞き覚えのあるいとこたちの声で目を覚ましました。

「おはようございます」

ドアを開けると食事の支度が整っていて、
「おっ、貴昭!目が覚めたか?」
弘子おばちゃんの旦那と、いとこたちが座っていました。
一眠りしたので時間の感覚が無くなっていて、
朝だと思い込んでいましたが夜の7時でした。

「やあ通宏! おっ康宏!」

いとこたちと久しぶりの再会で話が弾みます。

「おじさんの運転で来たん?!」
「僕ら怖いから絶対に乗らんもん。」

おばちゃんの作った美味しい料理をおなか一杯食べて、
夜遅くまで笑い声が絶えずに盛り上がりました。


翌朝、いとこの通宏の提案で高山の街を散策することにしました。

白川郷などにある取り壊しの決まった合掌造りの家を高山市内に移転して、
文化遺産の価値を持つ大きなテーマパークを作るという企画があって、
すでに何軒かが市内に移されているという。

それならわざわざ白川郷まで行かなくても合掌造りの家を見ることが出来ます。
早速通宏と自転車で行ってみました。

釘を1本も使用していないというこの建造物は、3、4階建てになっていて、
小さなビルほどもある大きさ。
残念ながら中に入ることが出来ませんでしたので、玄関口から覗き見ました。

「黒い」
そう、中央に置かれた囲炉裏から放たれる煤(スス)が建物の隅々まで充満して、
こびり付くことによって建築強度を増し加えているそうです。
先人の素晴らしい知恵です。
この薪を焚いたような匂いもたまりません。
気分が落ち着いて、ここに泊まりたいという衝動に駆られました。

しばし飛騨の山里の情緒に浸って丘を下る時、通宏が叫びました。
「貴昭、ほらっ 乗鞍!」

街の遠く向こうに、夏だというのに雪をかぶった北アルプスの乗鞍岳が見えます。
その名の通り、馬の鞍のようななだらかな形をしていますが、
標高は3.000mを超えています。
さらに左に目を向けると、やはり3.000mを越す穂高連峰がかすんで見えます。
さすがに「日本の屋根」と言われる北アルプスの景色です。

山に囲まれた美しい景色の高山という土地の魅力を再認識しました。
しかし同時に不安で一杯になりました。
この「日本の屋根」、北アルプスを越さなければ家に帰れないのです。

思いに浸っていると、突然通宏が
「貴昭はギター弾くんやろ?!」

ん? なんだ突然。

                              つづく

写真:合掌造り
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by ymweb | 2008-05-05 15:42
30 警察署

大型トラックは私のほんの30センチ右後ろで急ブレーキをかけて停止した。
あわてて左にハンドルを切りなおした私は縁石を乗り越えて転倒してしまった。
トラックの運転手は窓から顔を出し、「お~い、大丈夫か?」

車の接触したわけではないけど、倒れた勢いで、
ハンドルに固定されているバッグから荷物が歩道に散乱した。
運良くどこにも怪我はなさそうでした。

「だ、大丈夫です。。。」

こちらを確認するかのようにして運転手はそっと車を走り出させた。

大丈夫と言ったものの、雨の中で散乱した荷物を
歩道に這いつくばって拾っている自分がなんとも情けなく、
また涙が溢れてきました。

雨に濡れた地図を最後に拾い上げた時、
なんと、20メートルほど先に赤い光の電気の輝く建物を目にした。
そう、警察署だった。

この転倒事故を気付かなかったのか??
普通「こん棒」みたいなものを持って入り口の前に立っているだろ?

大きな警察署なのに雨のせいか外に警察官はいませんでした。

助けろよ。。。

少し腹が立ったまま警察署の中に入って、
どこか泊まれるところを紹介してもらおうと考えました。

事情を話したけど時間はすでに夜10時を過ぎていて、
適当な宿泊場所など見つかるはずもありません。

すると年配のお巡りさんが「あのベンチで寝てろ」
トイレの横のベンチを指差しました。

はっきり言ってベッドにしては背丈より短くて狭いし、
明るいし話し声もするので、
落ち着いて寝れそうにありませんでしたが、
事情が事情ですからやむを得ません。

結局どれほど眠れたのでしょうか、いつの間にか夜が明けていました。
疲れが取れたような気はしませんでしたが、雨風と寒さが凌げました。
この居心地のあまり良くない場所は早々に引き上げて、
早めに出発することにしました。

交通量が次第に増えてくると、自分が大阪の市街地に入ったことを示します。
久しぶりの都会ですが、交差点の信号で停まるたびに人々の視線が私に向けられるので
少し照れてしまいます。
ここから進路を東にとって古都・奈良を目指します。

見たことのある鹿のいる景色が広がりました。
シチュエーションこそまったく違うものの、
そう、中学校の時に修学旅行で来た奈良公園です。
観光客で賑わっていました。

ここから進路を北にとって京都を目指します。
京都ももちろん修学旅行のコースでした。

東京生まれの私にとって、京都とか奈良という場所は一種の憧れがあります。
しっとりしていて落ち着いた雰囲気というイメージです。
今夜は是非とも京都に宿泊して街を散策したいと考えました。

都会ではテントを張る場所を探すのが困難ということは理解していますから、
早めに着いて安宿を探すことにしました。

賑わう四条河原町から裏手に入って、安そうな旅館かホテルを探しました。
しかしさすがに京都。
どこの旅館もホテルも大仰な門構えで、いかにも「高い」感が溢れています。

そうこうしていると、麩屋町三条に質素な旅館を見つけました。
「炭屋旅館」と書いてあります。
ここだったら京都の街を散策するのには格好のロケーションです。

そんなに高そうではないし。。。。

玄関は綺麗に掃除が行き届いていて小ぢんまりしています。
「こんにちは~~」

女将さんらしき女性が出て来ました。

私の風体と自転車を見て
「旅行なさっているのですね?」

私は予算があまりないことを素直に伝えると、

「ではもし外国の方と相部屋でよろしければ、
素泊まりで1.500円でお泊まりください。」

この金額でも私にとっては大出費ですが、街の中に泊まりたかったことと、
外人さんと一緒というのも緊張感があって少し魅力を感じたので、
この旅館に宿泊することにしました。

※後から解ったのですが、この「炭屋旅館」は京都の老舗高級旅館でした。
現在は解りませんが、当時は外人旅行者用に同室で安く部屋を提供していました。

部屋に入って荷物を広げていると二人の外国の人が部屋に入ってきました。
緊張してしまいましたが、彼らの笑顔にこちらも笑顔でOKでしょう、きっと。
オハイオ州から来たと言っているような気がしました。

自転車は旅館に置いといて、京都の街を足で散策しました。
修学旅行の思い出は、ほとんど夜の「枕投げ」しか残っていませんが、
こうして京都に、自転車で九州から四国を回って来たことは感慨もひとしおです。
すごいなと、あらためて思いました。

満足のいくまで古都の空気を吸って部屋に戻り、お風呂に入ることにしました。
風呂はとてもいい匂いがしています。
驚きました、総ヒノキ造りの風呂でした。

風呂から上がると、先ほどの外人たちも部屋に戻っていて、
ガイドブックを見てくつろいでいました。
カタコトの英語で少しだけ話しましたが、
昨夜の警察署泊まりであまり眠れなかったので、すぐに眠くなりました。

彼らはまだ二人で話していましたが、私は自分の布団を引っ張り出して横になり、
「おやすみなさい」というつもりで、
何と「グッド・イブニング!」と言ってしまいました。

すかさず彼らは「オオッ、グッド・ナイト!」と言い返してきました。

壁側を向いて眠りに就くふりをする私の顔は、
この時赤くなっていたことを彼らは知りません。



京都まで来ましたが、このまま東海道を走って帰るわけではなく、
明日からは琵琶湖の東側を通って北陸に出て、福井から金沢、富山。
そして飛騨高山から北アルプスを越えて松本から甲州街道で帰路に着く、
まさに山あり谷ありのコースを選択してあります。

一日一日がまさに波乱万丈の自転車旅行記はまだまだ続きます。
 
   つづく
                             
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写真 : 奈良の五重塔と愛車レッド号
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by ymweb | 2008-02-08 05:48