宮之上貴昭執筆による長期連載


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2008年 06月 21日 ( 1 )

35 〈ただいま!!〉

朝7時半起床。
この旅でお寺に宿泊することもすっかり慣れっこになりました。
本堂に隣接した住職の家の奥さんにお礼を言って荷物をまとめて出発。

寺の脇道を30mほど下るとすぐに甲州街道に出ました。
この道をひたすら東に走れば我が家に到着なのだ。
とはいえ岡谷から日野までの距離を計算するならば、およそ180km、
この旅で最も長い走行距離にあたるかもしれない。
しかも全てが山道なので、相当きつい行程を覚悟しなければなりません。
でも自転車旅行南日本編は今日で終わって、
お父さんやお母さんの待つ我が家に帰れることを思うと元気が湧き、
ペダルを踏む足にもひときわ力が入りました。

坂をずっと下って程なくすると、右手に諏訪湖の雄大な景色が広がりました。
ここは湖ですから地形的にも低く、盆地のようになっている訳です。
素敵な湖の景色の後に必ずやって来るのは上り坂です。

エンヤコラ エンヤコラ・・・・
私の頭にあるのは周りの景色や坂道のことより、
あと後数時間頑張りさえすれば帰り着く我が家のことでした。

相変わらず上ったり下ったりの坂道の連続でしたが、
ここまでは思ったよりスムーズに進むことが出来ました。

左に八ケ岳連峰、右手には南アルプスの駒ケ岳を望み、
愛車レッド号は小淵沢を過ぎて甲府市街に入ってきました。

道路の両脇には「ぶどう狩り」の看板が軒並み並んでいます。
さすがに季節にはまだ早いものの、実が一房ずつ丁寧に新聞紙に包まれていました。

ちょうど喉もカラカラになった頃、「葡萄ジュース」の看板が目を引きました。
早速そこに寄って1杯注文しました。

値段が書いてなかったので少し心配でしたが、案の定、1杯200円も取られました。
値段は高いし量も少ないのですが、その美味しさと言ったら半端ではありませんでした。

ここで少し充電してまた出発。

厳しい上り坂も頑張って進むと、聞き覚えのあるトンネルに差し掛かりました。
有料の「笹子トンネル」です。
※当時一般国道のトンネルとしては日本でも有数の長いトンネルとして有名でした。

トンネルに突入する前から嫌な予感がしました。
甲州街道は道幅が広くなく、この道幅のままトンネルへと続いているし、
自転車専用レーンなどもちろんあるはずはありません。
加えて交通量は多く、大型トラックが後ろからばんばんやって来ます。

道路の端の方に寄っていざトンネルに突入。

有料なのに中は思ったよりずっと暗くて狭い。

危ない!!!
先がよく見えない暗闇だし、上り坂のためにフラフラしていると、
今にも後ろから来たトラックに接触しそうになります。

いつまで続くんだ~~このトンネルは。。。。
排気ガスの臭いで気持ち悪くなり、頭がくらくらしてきました。
もう最悪です。

ようやく下り坂になって前方に出口らしいかすかな光が見えてきました。
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【新笹子トンネル】 
昭和33年完成。延長2,953㍍、幅員7㍍。
当時は関門トンネルに次ぐ日本第2位の道路トンネルであった。
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トンネルを出ると、横の草むらにドテッっと倒れこんだ。
うぁ。。。 きついな。。。

しかし道路標識には聞き覚えのある地名、「大月15Km」と書いてあります。
また気を取り直して出発。

相変わらず上り下りの山道を進んでいると、
「日本三奇橋 猿橋」という看板が目に入りました。
国道から外れるわけではないので休憩を兼ねて立ち寄ることにしました。

四国の「かずら橋」、岩国の「錦帯橋」と並んで、この猿橋が奇橋と言われる由縁は、
一本の釘も使わずに川の両岸からそれぞれ「南京玉簾」重ねたように設計されているからだそうだ。
しばし先人の素晴らしい知恵に思いを馳せました。

ここまで来れば通話料金もそれほど高くないはずだ。。。
近くの茶店から家に電話しました。
「今ね~山梨で、甲州街道の猿橋というところまで来たんだ!」
興奮と嬉しさ、通料料金、そんな気持ちがすべて併さって、
ものすごく早口だったに違いありません。

電話に出たお母さんは私とは対照的にゆったりと、
「お父さんは貴昭が今日帰ってくるから、休みとって待ってるんだよ。
ちょっと待ってね代わるから」

代わった父は
「おお貴昭か、今どこだ?ん? 猿橋か。じゃあまだまだだな、大垂水峠もあるしな。」
日常の無口な父とは違い、とても早口でした。


久しぶりに両親の声も聴けてウルウル。
今夜はご馳走が待っているに違いありません。
ではのんびりしている訳にはいきません、また出発です。

小・中学校の頃、父の運転するバイクの後ろに乗って
「鮎釣り」のお供で来た記憶がある梁川を通過。
さらには上野原も過ぎて相模湖に到着。

駅で言えば我が家までは、相模湖の次は高尾、
そして西八王子、八王子、そして家のある豊田、そう、たった4つだ。
しかしこの単純な考えは「魔の峠・大垂水」の前に程なくして崩れ去ります。

相模湖を過ぎて間もなく、とても漕いでは登ることの出来ない急坂の連続が続きます。
標高からいえば断然昨日の北アルプス超えが勝っているはずですが、
すでに岡谷を出発して相当な距離を走ってきた後のこの予期していない急坂の峠は
拷問に等しいものがあります。

アルプス越えの時は、あのカーブを曲がったら峠かな?という期待を持つことが出来ましたが、
この大垂水峠はそれがありません。
というのは、ずっと一つの山肌の斜面をくねくねと登っていくので先が見えるのです。
遠く、そう、今かなり遠くに見えている山の上のダンプカーの所まではくねくねと登らないといけません。
(まずはあそこまで登るんだ。。。)
何キロあるんだろう。。。 気が遠くなります。
ここまで来て、父が「大垂水峠もあるしな」という意味がようやく解りました。

高尾~相模湖間に鉄道を通した人を尊敬します。

ずっと自転車を降りて押しっぱなしで、へとへとにくたびれて見上げると
「峠の茶屋」と書かれたドライブインがあります。
いよいよここが峠なのでしょうか?

道はいくらかなだらかになり、その先には道路標識らしきものが。。。。。。

「東京都 八王子市」  

やった~~~!!
ついに東京まで帰ってきました!

さてここからは自転車の本領発揮!
今までこの峠で漕いだ分を取り戻すかのような爽快なダウンヒル・・・

と思ったのもつかの間、たった5分ほどで下り坂は終了。
そう、この大垂水峠は地形的に東京側からは一気に下り、
相模湖側からは登るだけの、ある意味でまさに「悪魔の峠」でした。

とはいえ、その後高尾から先、交通量は急に増したものの順調で、
レッド号は八王子を過ぎて、家のある日野市豊田へと帰って来ました。

でも私はそのまま家に直行することをやめました。
自転車旅行の締めくくりをもう少し、そう、もう少しだけ味わうことにしました。
家のある団地の前をゆっくり通り過ぎて豊田駅まで行き、
ロータリーを一周してから家に向かいました。

「やった~~~~!!!!!!」
声に出して自分で自分を褒めてあげました。

スタンドが取れているレッド号を階段の下の壁に寄りかからせて停めた時、
今までの自転車旅行の全てが走馬灯のように頭をよぎりました。


「ただいま!!!」    

                           つづく
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by ymweb | 2008-06-21 04:13