じゃずぎたりすと物語 47〈北海道初上陸!〉
2010年 01月 19日
朝6時に起きて、テントの中で荷物を整理していたら、
家の子供が来て、「はい」と言ってトマトを2個くれた。
「ラジオ体操に遅れるぞ!」と言っても彼らは行かなかった。
黙々と片づけをしていると、ラジオ体操が終わったらしく、
昨日の子供たちが大勢やって来た。
「あれ~っ??」
その日に必要な経費を入れておく小銭入れに
お金を入れようとしたら、
元の財布自体が見当たらないではないか。
ひぇ~~
ひょっとしたら、
昨日野球した場所に落ちているのではないか。。。
子供たちに手伝ってもらって、庭一帯を探してもらった。
私はもう一度テントの中を捜すと、コトっと音がして、
財布はテントをしまう袋の中から出てきました。
いや~焦ったのなんのって。。。
一時はどうなるかと思いました。
財布はなくしたものと思って、
手伝ってくれた7人の子供たちに
100円渡して10円のアイスを買ってあげることにしました。
お釣りをもらうはずが、
お金を渡した子供がそのままソロバン塾に行ってしまったため、
30円パーになりました、ガク。
テントもたたんで荷物を自転車に積んで出発の準備が整い、
中川原さんにお礼を言って行こうとしたら、
「よかったら朝ごはん食べて行きなさい」
すっかりご馳走になって、記念の写真を撮られてから出発。
※前回46号に載せた写真がこの時の写真です。
後に中川原さんから送っていただいたものです。
実は北海道旅行中にカメラを落としてしまいましたので、
この写真は特に貴重なものとなっています。
今日の目的地、初めて訪れる北海道に向けて国道4号をひたすら走る。
三戸を出発して五戸を通過、十和田の街に入った。
この辺も上り下りが多くて、自転車にとってはけっこう厳しい。
ところでこの辺りには何故「~戸」(へ)という地名が多いのだろう。
後に調べてみました。
■平安時代後期の奥州藤原時代に、現在の青森県東部から岩手県北部にかけて糠部(ぬかのぶ)郡が置かれました。さらにそのなかを9つの地区に分けたときに、一戸から九戸の地名が付けられました。この場合の”戸”は”部”、つまり、”○○地区”くらいの意味でしょう。”七戸(しちのへ)”なら”第7地区”という意味になります。ほか、”戸(へ)”の意味については、「牧場の木戸のあった場所」、とか、「蝦夷(えみし)平定の際に残した守備兵の駐屯地〔柵戸(きへ)〕」など、いろいろな説があります。
(青森県史ホームページより)
だそうです。
疲れるので深く考えるのはやめました。(笑)
七戸の小さな街並みを通過してしばらく走ると、
道はなだらかな下り坂が多くなって、
海が近くなっていると感じます。
青森県陸奥湾は「W」の形をしていて、
夏泊半島を凸部にして、右の凹み部分にあるのが野辺地町、
そして左の凹み部分が青森市です。
私が選択した本州~北海道~本州のフェリーの行程は、
行きは野辺地から函館、帰りは室蘭から青森に渡るコースです。
こうすることによって、同じルートの重複を免れるだけでなく、
時間的にも大きな節約になるのです。
とはいえ、野辺地~函館の便は1日3本だけです。
フェリーの出航時間までは調べられなかったので、
直接フェリー乗り場まで行って確認しなければなりません。
もし時間的に合わなければ、青森までさらに50キロほど走って、
そこから乗らなければなりません。
さあ、その野辺地までやってきました。
目の前は陸奥湾の海が広がっています。
早速フェリー乗り場へと急ぐことにしました。
何とも小さな木造のフェリー待合室。
時刻表を見ると、
函館行きフェリーは17時30分出航と書かれてあります。
所要時間は4時間40分となっているので、
函館到着は10時過ぎです。
現在の時刻は3時少し過ぎですから、
まだ時間に余裕がありましたが、
早めに到着したトラックや自家用車は
窓口に並んで出航手続きをしています。
ここで私が考えていた作戦を行使しようとたくらみました。
トラックの荷台に自転車を載せてもらう作戦です。
こうすれば自転車は「荷物」として扱われるので
お金がかかりません。
荷台が空いているトラックを探していたところ、
到着したばかりの小型トラックの荷台に十分なスペースを発見!
車体には「茨城研究所」と書かれてあります。
何を研究しているのかよく分からないけど、
待合室から出てきた少しヤクザっぽいオヤジに声をかけた。
「あの~もしよければ荷台に自転車を積んでいただけますか。」
こっちの顔を見ると
「俺は社長だぞ!」
ん?・・・・
はっきり言って品というものは全く感じられず、
頭も悪そうです。
「んだから~ 社長なんだよ。」と言って名刺を差し出した。
ん?・・・
「ああ、そ、そうですか、載せてもらえますか?」
「480円だかんな、金よこせ!」
あれ~~社長だろ、社長。。。。
細かいのがなかったので1000円を渡すと、
「んぢゃ、ちょっと待ってろ、今話してくっからな」
そう言うや受付窓口に行って何やら交渉しているようだ。
「同乗者は無料ですから・・・」
受付の女性の声が聞こえた。
どうやら一緒に乗っている人の渡航料金は無料らしい。
しかし彼が戻ると
「500円だけ返してやっからな、ほれ」
あれ~ せこいな~~
でも、本来なら渡航料は自転車と人で700円なので、
それでも200円安いから我慢することにした。
周りの人に名刺を配っては「俺は社長なんだ」と言っています。
一体何者だろう、馬鹿かこの人。
渡された名刺を見ると「茨城研究所」とあって、
住所があって、名前の前に「取締役社長」と書かれてあります。
しかし解せない。
研究所だったらたいていは「所長」だよね。
それに「茨城研究所」って何だ??
普通は「茨城○○研究所」となっているはずなのに、
茨城の何を研究しているんだろう。
フェリーに乗っちゃえばずっと一緒にいなくてもいいわけだし、
先ずは愛車レッド号を荷台に積むことにした。
すると、車の中からひょいと会釈をした少年がいた。
人のことは言えないけど小汚い格好の少年だった。
奇遇なことに、彼は高校三年生で無銭旅行中。
たまたまこのトラックに載せてもらったそうだ。
16歳の宮之上は「カッコ付け少年&ニヒル気取り」だったので、
こういう人と親しく話をしないようにしました。
出航までの間、美しい陸奥湾を眺めて北海道に思いを馳せていると。
例の社長が地図を持ってやって来て「どこを通って来た?」
話しなどしたくなかったけど、すっと4号線で来た旨を話すと、
「おお、ここな!」と言って陸中海岸沿いの道を指で辿っていました。
どこまで馬鹿なんだろう。。。
その後に信じられない光景を目にします。
吸い終わったタバコの空き箱を海に投げ捨てました。
それだけではなく、
ポケットに入っていた紙ゴミもポイポイ捨てています。
「せっかく綺麗な海なのに!」
少し恐かったけど、投げ捨てるように吐いて待合室に戻りました。
フェリーが到着してトラックに乗り込み、乗船です。
隣には無銭旅行もいます。
エンジンをかけた瞬間から
8トラックテープで演歌を大きく鳴らしています。
うわ~ 勘弁してよ。
初対面から拒否反応を起こして、
絶対に親しくなれない人っていますね。
節約のために声をかけたのが間違いでしたが、彼がそれ。
世の中で最も嫌いなタイプです。
それほど大きくないフェリーでしたが、
ペダルを踏まなくて進むのが嬉しい。
船室に入ってくつろぎ、美しい海の夕日も堪能しました。
私と同じく自転車で日本一周をしている青年にも会いました。
大学生で大阪から来ているそうです。
東京を出発して8日目に北海道上陸です。
お父さんお母さん、そして弟は元気にしているのでしょうか。
あの馬鹿野郎のことを考えてあまり眠ることが出来ないまま、
「間もなく函館」との船内アナウンス。
仕方なくまたヤツの車に入って荷台の愛車レッドと共に下船。
函館港に降りたところで「ここでいいです」
馬鹿トラックは無銭野郎と共に北海道の暗闇に消えて行きました。
さすがに北海道。
夜も11時になると肌寒い。
しばらく街に向かって走ったが、
こんな夜遅くに宿も見つかるはずもなく、
フェリーの待合室に戻って、そこで一夜を明かすことにしました。
ちょうどいい具合にソファーがあったので、
その一番奥に横になることにしました。
12時に売店でうどんを注文して食べました。
わりと量があったので、おなかは少し満たされました。
さてこれで気持ちよく寝れる。。。 と思いきや
「ヒュルヒュル~ズゴゴ~ン!!」
「バキュ~ン ウォ~ン バギャ~!!」
ゲームの音です。
せっかくいい気持ちでうとうとしているとこの爆音が。
朝の便を待っている客が退屈しのぎに遊んでいるのです。
置いてあるゲーム機も商売だろうから文句も言えず、
ひたすら爆音を我慢しました。
ゲーム機によって爆音度が違います。
1位「西武」
2位「ミサイル」
3位「レーサー」
4位「玉のゲーム」
※順位は実際の日記をそのままに写しましたので、
これらが一体どんなゲームだったかは不明です。(笑)
でも、ゲームをやる方もやる方だよね。
すぐ脇で人が寝ているんだから。
優しさというか、思いやりがないよね。
寝るに寝れない苛立ちが頂点に達した午前3時
「お兄さん! 休んでいる人がいるから、もう」
売店のおばさんだった。
この一言でピタッと静かになり、
ようやく眠りに就くことが出来ました。
おばさん、ありがとう!! ZZzzz…
次回 北海道の大自然満喫の旅 乞うご期待!
つづく
【遣ったお金】 アイスクリームご馳走代¥100 パン計5個¥100 サイダー計2本¥70 うどん¥50 フェリー代¥500 合計¥820