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宮之上貴昭執筆による長期連載


by ymweb
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わたしの演奏をオマさんは聴いたことがあったのか、メンバーから噂を聞いたのか、「宮之上君?今度さー、俺のバンドに参加して欲しいんだけど。」

突然にライブを頼まれた。(^^;;

今から423年前の話だ。


当時はわたしは自身のバンドを率いて活動していたので、オマさんのバンドも掛け持ちで忙しくしていました。


そんなある日のこと、

上京したばかりの吉岡秀晃(pf)は、オマさんバンドで演奏するわたしとギターアンプを六本木「Misty」まで運ぶ運転手をしてくれた。


店に入るとオマさんがいて何やら慌てている様子。

「困っちゃったよ〜 コルゲン(鈴木宏昌さん)が来れなくなったんだ〜。。。宮之上、誰かピアノいないか?ピアノ」

「オマさん、ちょっと待っててください。」

急いでMistyの階段を駆け上ると、わたしの車が目の前を通って信号で停車。

ドアをノックして、「吉岡!!チャンスだよチャンス!」 

オマさん(鈴木勲さん)の思い出_e0095891_22334061.jpeg

かくして、吉岡秀晃はオマさんのバンドで上京後にプロデビューしました。

(当日SMOKIN'はレギュラーピアニストがいたので、彼がわたしのバンド入るのは少し後です。)


オマさんのバンドでライブやツアーはもとより、宮崎や広島のジャズフェスティバルにも出演しました。


最後にお会いしたのは仙台でのコンサート。

本番前の楽屋で黙々と練習していました。

誰かが「オマさん、よく練習しますね〜」と言うと、

「ミュージシャンは進化してなきゃ駄目なんだ、な〜宮之上!」

オマさん(鈴木勲さん)の思い出_e0095891_22350524.jpeg

89歳だったそうです。


# by ymweb | 2022-03-10 22:28 | じゃずぎたりすと物語

ニューヨーク在住のドラマー、田井中福司(以降福ちゃん)と一緒に日本でのライブを企画していたD.R.ロニー・スミス(以降ロニーさん)は、オルガンと合うギタリストと一緒に演奏したいね、と話していた。

その頃わたしはジミー・スミス(org)とのレコーディングもしていたこともあって、福ちゃんから「六本木サテンドールでロニーさんと一緒に演奏らないか」と連絡があった。ロニーさんと言えばジョージ・ベンソンとも共演している素晴らしいオルガン奏者だ。


演奏当日のサテンドールは大盛況、連れて行った岡安芳明ら弟子たちも大喜びだった。

ロニーさんはわたしの演奏をかなり気に入って、「来年はこのメンバーで日本全国ツアーに行きたい」と言い出した。


かくして、北は秋田、南は長崎まで、10数カ所のツアーを敢行した。

B3オルガンは知り合いからレンタルして、新進気鋭の岡淳(ts,fl)を手伝いと運転手を兼ねて参加させた。


「オルガンの前に立って吹くな!」とか、「何度も同じフレーズを吹くな!」岡にはとりわけ厳しかったことを思い出す。

しかしながらロニーワールドのツアーはどこも大盛況でした。


ロニーさんと福ちゃんがアメリカに帰って何年も後のこと、ブルーノート東京でルー・ドナルドソン(as)のバンドでロニーさんと福ちゃんが出演すると聞き、訪れてみた。

素晴らしい演奏に聴き惚れていると、ロニーさんがステージから客席のわたしを発見!

曲が終わるとマイクで「グレイトギタリスト!ヨシアキミヤノウエ!!ワーォ!」と、満席のブルーノートのお客様に紹介されて照れました。


さらに数年後、3年に1度くらい呼ばれているカリフォルニアのサンノゼジャズフェスティバル。

ある年のプログラムで、ゲストに「D.R.ロニー・スミスバンド」と書いてある。

これは是非とも会いに行こうと思ったら、わたしのステージと出演時間が被っている。

終演後急いで駆けつけると、ロニーさんも演奏を終えてファンに囲まれている。

女性ファンばかりだったので気を良くして?わたしに気が付かないのか。。

目と目が合った。

ミヤ⁉︎ミヤノウエ!!ウワォ!

なんでここにいるんだ?

長いハグだった。

D.R.ロニー・スミスの思い出_e0095891_11592768.jpeg

可愛い女の子が目の前を通り過ぎると、そこに壁があっても(今ここを歩いている)と目は追う。(^^)

敬虔なシーク教徒で、鶏肉以外の肉は食べないけど、豚骨ラーメンのスープは大好き。


ロニーさんの食事に困ったわたしと福ちゃん、相談した結果、そうだ!

それから彼はどこへ行っても「親子丼」でした。


昨日、D.R.ロニー・スミスの訃報を聞きました。


# by ymweb | 2021-09-30 11:57 | じゃずぎたりすと物語

内田裕也さんの思い出

jazz inside story

内田裕也さんの思い出


何故わたしが内田裕也さんと繋がっていたか、不思議に思われる方も多いでしょう。


ずいぶん昔のことですが、わたしは北村英治(cl)バンドの一員として、神戸から「飛鳥」に乗船して鹿児島まで行くクルーズで演奏する、という仕事がありました。


北村バンド以外にもいくつかのバンドが出演していて、メンバーがバラバラ組まれてスペシャルセッションにもなり、小曽根真(pf)と初めて共演したのもその時です。

お客様の中には作家、藤本義一の奥様の藤本統紀子さん、そして内田裕也さんもいました。


かなりゴージャスなクルーズですが、台風が近づいていて船は大揺れ。鹿児島港に接岸出来ずにそのまま引き返すというアクシデント。

そんな大揺れのセッションバンドで演奏していた時でした。

内田裕也さんが「俺も歌って良いか?」

ロッケンロールは無理だぞ〜と思いきや、「ルート66!」

イントロを付けて丁寧にバンキングして、思いっきりソロをしたら、裕也さんはことの外喜んで、名前も聞かれました。


このクルーズからしばらくして、六本木交差点近くにあるおでん屋に飲みに来ないかと、お友達になった藤本統紀子さんから連絡がありました。彼女自身が経営しているそうです。

再会を楽しみに行ってみると、何とそこに内田裕也さんもいました。

「裕也さん、お久しぶりです」

「お〜ミヤノウエ君か!」

嬉しいことに名前を覚えていてくれました。(ひょっとして統紀子さんが来ることを伝えていたのかも知れませんが)


この数年後、わたしはハワイでコンサートがありました。

一緒に演奏することになっているベーシストがホテル・ハレクラニのラウンジで演奏していると聞き、打ち合わせを兼ねてギターを持って行きました。

早速シットインして演奏。何とボーカルは知る人ぞ知るアジュー・マッコール(voc)でした。

いい気分で演奏していたその時、

「ミヤノウエ!!」

内田裕也さんでした。驚いた。

内田裕也さんの思い出_e0095891_13375561.jpeg

「ゴキゲンなギターがいるなと思ったら宮之上だったか!」

「うわ〜裕也さんお久しぶりです、このホテルに泊まっているんですか?」

「こんな高いホテル泊まれる訳ねーだろ」


奇妙な繋がりでしたけど、個性豊かなお方でした。

ロッケンロール!!


# by ymweb | 2021-08-09 13:37 | じゃずぎたりすと物語

アンディ・シンプキンスの思い出

Jazz inside story


アンディ・シンプキンス(bs)は、ブルーノートレコードの看板バンド「The three sounds」やジョージ・シアリング(pf)のバンド、またサラ・ボーン(voc)の伴奏者として来日したこともある素晴らしいベーシストです。

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わたしが彼に初めて会ったのは、サラ・ボーンのコンサートを終えて、わたしの出演していた六本木のジャズクラブに遊びに来た日のことでした。

その時はベイシーバンドの名ドラマー、ハロルド・ジョーンズ(ds)と一緒でした。

アンディの大ファンだったので、彼らを呼び込んで数曲演奏することが出来て大感激でした。


当時わたしは米軍横田基地で黒人たちと演奏していました。

ある日仲間から、赤坂山王ホテルで行われる、ロレツ・アレキサンドリア(voc)とハーブ・エリス(gt)カルテットのチケットをもらいました。

山王ホテルは基本的に軍関係者しか入れないホテルなので特権でした。

歌も演奏も素晴らしくて、終演後は彼らに近づいていろいろお話ししました。

もちろんアンディと話すのが目的でした。

(わたしの英語力は大したことないです。)


話は変わって。

日本側は北村英治(cl)さん、アメリカ側はビル・ベリー(cor)さんが主催して「International JAZZ Party」がアメリカ西海岸で毎年行われました。

日本からも大勢のお客様が参加して、アメリカのお客様の中には、レイ・ブラウン(bs)がいたり、クリント・イーストウッドがいたりと、それはそれはVIPばかりです。

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もちろん北村英治さんのバンドの一員として演奏もするのですが、アメリカ側が用意した、たくさんのバンドのメンバーと「一期一会」のバンドも組まされます。

わたしの場合、嬉しいことにアメリカ人のファンがたくさん付いていたので毎年組まされました。

例えば「ヨシアキ"ミヤ"スペシャルバンド」みたいな。

どんなメンバーで組まされるのか、行って見ないとわからないので、緊張感半端でなく楽しみでもありました。

ある時はテナーがスコット・ハミルトンでベースがジョン・クレイトンとか。(^^)

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ある年のこと、何とアンディ・シンプキンスと一緒になりました。(^o^)ヤッタ〜

言うまでもなく演奏は最高で、終わった後アンディに「今度わたしとレコーディングしていただけますか?」と聞いてみたところ、二つ返事でOK

帰国後にキングレコードのディレクターと相談してレコーディングが決まりました。


こうして1997212日〜15日、カリフォルニア・ロングビーチのスタジオで、フランク・コレット(pfアンディ・シンプキンス(bsシャーマン・ファーガソン(ds)のメンバーで「L.A.Connection」を収録しました。

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ホテルはアンディの家の近く、AzusaにあるL.A.郊外のマリオットで、部屋からほとんど出ずにギターの練習してました。

ホテルのレストランに食事に行くと、どのテーブルも男女のペアでいっぱい。

なるほど今日がバレンタインデーだったのかと我に帰った。


連日アンディがわたしをピックアップして、スタジオのあるロングビーチまで1時間のドライブ。

アンディに初めて会った六本木のジャズクラブでのことや、山王ホテルのことなど、彼は一切覚えていませんでした。ははは(*_*)

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アンディはその1年半後に病気のために亡くなりましたが、わたしにとって素晴らしい思い出、そして素晴らしい作品を収録出来たことを有り難く思います。

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# by ymweb | 2021-07-24 17:43 | じゃずぎたりすと物語

ジミー・スミスの思い出

【じゃずぎたりすと物語

久しぶりの再開は《jazz Inside story

長いことジャズミュージシャンやっていると、いろいろな出会いとエピソードがあります。


▪️ジミー・スミス(org)の思い出

1980年代初頭は忙しく、またお金も儲かった。

まさにバブルの時代だった。


わたしにはプロデューサーKが付いて、レコーディングの企画をいろいろ持って来た。

1981年にアルバムをコロンビアから出そうと、当時のレギュラーメンバーでレコーディングしたのが《リヴィエラ》で、バンド名をSMOKIN'にしたのはこの時から。

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同年、プロデューサーKは、さらに美味しい仕事?を見つけた。

読売新聞、日本テレビを親会社に持つVAPレコードだ。

VAPレコードから初となるジャズのアルバムを作ろうという訳だ。

当時売れ筋だったクロスオーバーやフュージョンのような音楽をわたしに期待したようだが、お察しの通り断固拒否。

来日するオルガンの神様、ジミー・スミスとの共演を強く望んだ。

VAPレコードもそれを承諾してレコーディングすることになった。


ここで、もしわたしが前者を選択していれば、もしかしてハワイに別荘があったかもしれない。(^^)

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ジミー・スミスのレセプションがあるとのことで、レコーディング関係者と一緒に大阪に飛んだ。


高級なホテルのラウンジには、ジミー・スミスの演奏や取材を求める記者、またジャズ関係者で溢れていてたが、本人の姿はなく、前座とおぼしき日本人のオルガンバンドが演奏していた。

どうやらジミー・スミスはここで演奏することを聞いてなく、プロモーターと揉めて機嫌を損ねているそうだ。(゚∀゚)

こうして2時間経っても本人は現れず、仕方ないから解散?と誰もが思ったその時、場内の雰囲気が一変した。

大勢に囲まれてジミー・スミスが現れた。

とても恐い顔をしている。


挨拶と媚び売りがはびこる中、VAPレコードのプロデューサーMがわたしを連れてジミー・スミスの元へ。

「こちらがあなたとレコーディングするミヤノウエ、日本のウェス・モンゴモリーです。」

( ̄^ ̄)ハッ!


ジミー・スミスはわたしの耳元で、「I like Wes Montgomery,but I don't like coppy

((((;゚Д゚)))))))ガクガクブルブル


ジミー・スミスがステージに上がって弾き出した。

レコードで聴いた、まさにあのジミー・スミスだ!!(当たり前だけど、こんな表現しか出来ない)


ウルウルっとしかけたその時、ジミー・スミスが、「ミスターミヤノエ?」

わたしをステージに呼び出して、このヤングマンとレコーディングすることになっている旨を来場者に伝えた。

そして打ち合わせも何もないのにいきなり弾き出した。

Baby,it's cold outside」だ。

曲は知っていたけど演奏したことなかったから、探りながらの演奏。

しかもウェスど真ん中の演奏しか出来ないのに、コピーは嫌いだと言われてる。

ええい、どうにでもなれ!!


恐い顔して弾き出したジミー・スミスだったけど、わたしの演奏で表情が変わり、しまいには笑顔になった。(о´)ホッ

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終演後、ジミーさんからわたしに近づいて来て、レコーディングを楽しみにしていると話してくれた。

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こうして1981926日、東京アオイスタジオにてレコーディングして、「Touch of love」(VAPレコード)が完成しました。

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ハワイに別荘は持てなかったけど、オルガンの神様をゲストに迎えて素晴らしい作品を残すことが出来ました。


41日発売の新作CDTHE MASTERS」のプロモーションビデオはこちらです。

https://www.youtube.com/watch?v=1jwW8ga7Cn4


# by ymweb | 2021-03-14 13:39 | じゃずぎたりすと物語